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覚書

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仙台から46県庁所在地へ

札幌(さっぽろ) 仙台-函館北斗-札幌
青森(あおもり) 仙台-新青森
盛岡(もりおか) 仙台-盛岡
仙台(せんだい) -
秋田(あきた) 仙台-秋田
山形(やまがた) 仙台-山形 
福島(ふくしま) 仙台-福島
水戸(みと) 仙台-水戸 
宇都宮(うつのみや) 仙台-宇都宮
前橋(まえばし) 仙台-大宮-前橋
さいたま 仙台-大宮
千葉(ちば) 仙台-東京-千葉
東京(とうきょう) 仙台-東京
横浜(よこはま) 仙台-東京-新横浜
新潟(にいがた) 仙台-大宮-新潟
富山(とやま) 仙台-大宮-富山
金沢(かなざわ) 仙台-大宮-金沢
福井(ふくい) 仙台-大宮-金沢-福井
甲府(こうふ) 仙台-東京-甲府
長野(ながの) 仙台-東京-長野
岐阜(ぎふ) 仙台-東京-名古屋-岐阜
静岡(しずおか) 仙台-東京-新静岡
名古屋(なごや) 仙台-東京-名古屋
津(つ) 仙台-東京-名古屋-津
大津(おおつ) 仙台-東京-京都-大津
京都(きょうと) 仙台-東京-京都
大阪(おおさか) 仙台-東京-新大阪
神戸(こうべ) 仙台-東京-新大阪-神戸
奈良(なら) 仙台-東京-京都-奈良
和歌山(わかやま) 仙台-東京-新大阪-和歌山
鳥取(とっとり) 仙台-東京-岡山-鳥取
松江(まつえ) 仙台-東京-岡山-松江
岡山(おかやま) 仙台-東京-岡山
広島(ひろしま) 仙台-東京-新広島
山口(やまぐち) 仙台-東京-新山口
徳島(とくしま) 仙台-東京-岡山-徳島
高松(たかまつ) 仙台-東京-岡山-高松
松山(まつやま) 仙台-東京-岡山-松山
高知(こうち) 仙台-東京-岡山-高知
福岡(ふくおか) 仙台-東京-博多
佐賀(さが) 仙台-東京-博多-佐賀
長崎(ながさき) 仙台-東京-博多-武雄温泉-長崎
熊本(くまもと) 仙台-東京-新大阪-熊本
大分(おおいた) 仙台-東京-小倉-大分
宮崎(みやざき) 仙台-東京-博多-宮崎
鹿児島(かごしま) 仙台-東京-博多-鹿児島中央
那覇(なは) 仙台空港-那覇空港

選択

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思考

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めかぶ

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散歩

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呼吸法

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着物

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条里制

条里制とは、古代の長さの単位である、1町(ちょう 約109m)四方の区画を1坪(つぼ)とし、
坪を横に6個並べて1里(り)、縦に6個並べて1条(じょう)とした土地区画制度です。
1坪の中はさらに10に分けられ、その小さな1区画は1段(たん)とされました。

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書院造

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仏壇掃除

用意するもの
毛ばたき、
毛筆二本(ご本尊用とそれ以外用)
新聞紙
白手袋
軍手
香炉灰
灰ふるい
灰ならし
布(新品で仏壇用のもの)

あると便利なもの
金属磨き
不要な布
漆磨き布
ロウ取り

・仏壇に向かい、「これからお掃除をさせていただきます」との思いで
念仏をとなえる
・白手袋をして、新聞紙を少し離れたところに敷き
仏壇から取り出した仏具を並べる
手前のものから順番に
・屋根部分から毛ばたきで埃を払う
細かい造作には毛筆を使う
・からぶきをする
汚れが目立つ場合には水拭きでも構わないが
必ずからぶきをする
・ご本尊は台座を持ち、毛筆でやさしく払う
掛け軸は毛ばたき
・位牌は毛筆で埃を払う
塗り位牌は市販の漆磨き布で拭く
法名が金字で彫られている場合はなるべく触らない
・高坏はからぶき
・真鍮製の仏具は金属磨き(軍手をはめる)
・陶器の食器は漂白
・香炉の灰はふるって線香の燃え残りを取り除く
・燭台に残ったロウはロウとりで取り除く

掃除の後は新しいお供え物、新しい花を生ける
お線香を焚いて、もう一度心を込めて念仏をとなえる

(よくわかる浄土宗のお仏壇より)

数の単位

大数







京(けい)
垓(かい)
𥝱(秭)(じょ)(し)
穣(じょう)
溝(こう)
澗(かん)
正(せい)
載(さい)
極(ごく、きょく) 
恒河沙(こうがしゃ)
阿僧祇(あそうぎ)
那由他(なゆた)
不可思議(ふかしぎ)
無量大数(むりょうたいすう) 10の68乗

小数


毛(もう)
糸(し)
忽(こつ)
微(び)
繊(せん)
沙(しゃ)
塵(じん)
埃(あい)
渺(びょう)
漠(ばく)
模糊(もこ)
逡巡(しゅんじゅん)
須臾(しゅゆ)
瞬息(しゅんそく)
弾指(だんし)
刹那(せつな)
六徳(りっとく)
虚空(こくう)
清浄(しょうじょう)
阿頼耶(あらや)
阿摩羅(あまら)
涅槃寂静(ねはんじゃくじょう) 10の-24乗

コーヒーにしょうゆ?

友達にインスタントコーヒーのおいしい入れ方を教わった。
(友達はネットで拾ったと言っていたので知っている人もいるとは思うが)

小鍋に水200cc
インスタントコーヒー小さじ2と1/2
日本酒小さじ1
しょうゆ2滴

これをよくかき混ぜてから火にかけ沸騰直前まで。
砂糖やミルクはお好みで、飲むときに加える。

これが結構おいしい。
酒やしょうゆの気配は全くしない。

六輝は迷信

足利時代に中国から伝来。
一ヵ月30日を6日単位に数えるために考えられた。
暦に掲載されたのは明治六年。
現在の順序は明治半ば以降。
天保年間までは単に時刻の呼び名。吉凶の意味づけはない。

先勝(せんがち)
先手必勝、早い者勝ち、という意味で何ごとも早く、

急いで行えば幸運につながるという。
商品の仕入れや訴訟事は早めに積極的に。

友引(ともびき)
凶事に友を引き込むという。
何ごとも引き分けで勝負や損得が明確にならない日

先負(せんまけ)
先勝の逆で早まれば負けとなる。

もともとは大吉に次ぐ良い日とされていたが、
字面から何ごとも控えめにして相手の出方を待てという日

仏滅(ぶつめつ)
仏様も滅亡してしまうという最悪の日。

元は空亡(くうぼう)、虚亡(こもう)と書いたものを
意訳して物滅(もつめつ)となった。

祝事や法事はよくないが葬式はよい。

大安(たいあん)
泰安吉日。何をやっても良い結果が得られるという。

全ての念願が成就する。
開店、旅行、受験、習い事を始めるには大吉日。

赤口(しゃっく)
赤舌日ともいい、なんとなく嫌な感じがするので凶日とされている。
赤口とは羅殺神(らさつしん)という鬼のこと。
刃物を持つ職業の人たちは特に注意。


====================

諸葛孔明 戦術六輝
第一日 先んずれば勝つ
先制攻撃で敵の虚を突けば、

労少なくして勝利を獲得することができる。

第二日 友軍を引き寄せ戦力を強化
友軍に援護を求め敵勢より有利な条件を作れば勝利する。

第三日 先んずれば負ける
油断していると見せかけ、敵をおびき出し背後から攻撃する。

第四日 軍需物資の補給日
食料や飲み水が減少したので、物資の調達をする日

第五日 泰平楽な一日で鋭気を養う
戦いの疲れを癒し、大いに飲み食いをして安楽に過ごす

第六日 赤は血液の赤や軍隊の戦を意味する
明日からの戦に備えて、武器の手入れをする

法然の「ゆるし」

法然の「ゆるし」 梅原猛 町田宗鳳 新潮社

ほのをはそらにのぼり、みづはくだりさまにながる。
菓子の中にすき物あり、あまき物あり、
これらはみな法爾道理也。
阿弥陀ほとけの本願は、名号をもて罪悪の衆生をみちびかんと
ちかひ給たれば、ただ一向に念仏だにも申せば、
仏の来迎は、法爾道理にてそはなるべきなり
(禅勝房伝説の詞)

炎は上に向かって燃え、水は下に向かって流れます。
菓子の中には、酸っぱいものも、甘いものもありますが、
そのように当たり前の事実が法爾道理(ほうにどうり)なのです。
阿弥陀仏が、念仏すれば罪ある衆生も救おうとお誓いになったのですから、
ひたすら念仏すれば、仏が迎えに来ることも、また法爾道理なのです。

善人尚ほ以て往生す、況んや悪人をや、の事。
私に云はく。弥陀本願は、自力を以て、
生死を離るべき方便ある善人の為におこし給はす。
極重悪人にして他に方便なき輩を哀れんでおこし給へり
(三心料簡および御法事)

善人ですら往生できるのですから、悪人が往生するのは当然のことです。
阿弥陀仏の本願は自分で救いの道を見出す能力のある
善人のためにあるのではありません。
念仏するほかに救いの道がない極悪の人間を憐れんで、
本願を誓われたのです。

※悪人正機は親鸞より前に法然が言っている

又宿業かきりありて、受くへからん病は、いかなるもろもろの仏神に
いのるとも、それによるましき事也。
いのるによりて病もやみ、いのちも延る事あらば、
たれかは一人として病み死ぬる人あらん
(浄土宗略抄)

人間には与えられている運命というものがあって、
病気を直してほしいと、どれだけ神仏に祈ったところで同じなのです。
祈って、病気が治ったり、寿命が延びたりする事があれば、
誰一人として、病気で死ぬことがないはずです。

念仏申さむ者は、只生れ付のままにて申へし。
善人は善人乍ら、悪人は悪人乍ら、
本のままにて申すへし
(禅勝房伝説の詞)

念仏を称える者は、ただ生まれつきの性格のままで称えればよい。
善人は善人、悪人は悪人、
そのままで称えるとよいのです。

受けがたき人身をうけて、
あいがたき本願にあいて、
おこしがたき道心を発して、
離れがたき輪廻の里をはなれて、
生まれがたき浄土に往生せんことが、
悦びが中の悦びなり
(黒田の聖人へつかわす御文)

人間として生まれることが難しいこの世に生を受け、
出会うことの難しい阿弥陀仏の本願にも出会い、
起こし難い往生の志を起こし、
離れ難い生死輪廻の世界を離れて、
往生し難い極楽浄土に往生できるということ、
これこそ喜びの中の喜びではないでしょうか。

善導大師

(転載)

善導大師(唐)

一心に専ら弥陀の名号を念じ、
行住坐臥(ぎょうじゅうざがく)に時節の久近(くごん)を問わず、
念々に捨てざるもの、是れを正定の業(しょうじょうのごう)と名づく。
彼の仏の願に順ずるが故に
「南無阿弥陀仏」と一心に仏の御名を称え、
行動しているときもとどまっているときも
座っているときも寝ているときも、についかなる時でも
心をこめて念仏を称えること。
これこそが正しく往生できる行である。
なぜなら、それが阿弥陀仏の衆生(しゅじょう)〈生あるものすべて〉を
救うという誓願に適っているからである。

極楽往生は自らの力で可能となるのではなく、
阿弥陀仏の本願の力(他力)に乗じることによって、
はじめて叶うものであり、阿弥陀仏は念仏を称える
すべての人々をその願いに応じて往生させてくださる。
つまり称名念仏こそが、万人を救う唯一の道である。

数珠


転載

数珠は、仏様や菩薩様、ご先祖様を拝むときに回数を数えたり、
通夜や告別式などに参列するときに使う。
宗派によって多少形が異なるが、数珠本来の意味は同じ。
数珠は、珠の数が108個のものが正式とされている。
これは人間の煩悩の数で、その煩悩を消滅させる功徳があると言われている。
数珠はお釈迦様の時代にはすでにあり、古来ヒンドゥー教のバラモンが儀式で使い、
その後、密教の僧侶が使い始めたとされる。
日本へは仏教伝来と同時に伝わり、
当時は貴族の仏教徒のみが使っていた。
その後は、鎌倉時代になると、一般の仏教徒も使うようになった。
数珠は持っているだけで魔除けや厄除けとなり、福を授かるともいわれている。

四立

立春・立夏・立秋・立冬で四立。
例 立夏とは、太陽中心が視黄経45度を通過する日。
夏の始まりを示す日。
旧暦四月節。八節の一つ。

四立と、冬至・夏至・春分・秋分の二至二分(にしにぶん)をあわせると、
八節(はっせつ)となる。
冬至・夏至はそれぞれ太陽がもっとも南、あるいは北から昇る日で
昼がもっとも短いあるいは長い日。
春分・秋分は太陽が真東から上り真西に沈む日で、
昼と夜の長さが同じになる時期。

二至二分は四季といわれる 4つの季節のそれぞれの極み。
季節の中心と中心の中間地点は、
季節の始まりであり終わりの時点を示すものだと考え、
この季節の始点でありまた、終点でもある点に
四立の名を与えたものと考えられる。

二至二分と四立の八節がやがて、
月の満ち欠けから始まった一年を12の月に分割する方式と組み合わさって
できたものが二十四節気。

地球照


転載

細い月をじっくりと眺めると、
月の明るく光る部分の他に、
見えないはずの月の暗い側の部分が薄ぼんやりと見えることがあります。
この薄ぼんやりと見える部分を地球照(ちきゅうしょう)呼びます。

地球と月は、互いの共通重心の廻りを27.3日ほどかけて一回りします。
新月の時には、太陽 → 月 → 地球 ・・・ 新月
という順番でほぼ一直線に列んでいます。
この順番がもし、太陽 → 地球 → 月
という状態になっていたらこれは「満月」です。
太陽の光をくまなく受けて明るい部分しか見えない月を眺めることが出来ます。
では新月の時に、地球から月ではなく、月から地球を眺めるたとしたらどうでしょう?

新月のころに月の上では見事な「満地球」が見えているのです。

月は受けた太陽光のおよそ6%程しか反射しません。
我々は「満月はまぶしい」と思いがちですが、
実は太陽光の1/20位しか反射していないのです。
地球は大体30~40% 。
海の部分が多いところか陸地が多いか、雲が多いか、
雪に覆われた部分が多く見えるか・・・と言った条件で違いは有るものの
月の6%という反射能に比べると、格段によく太陽光を反射します。

二十六夜の月や三日月といった細い月の影の部分
(地球で言えば夜に相当する部分)から地球を眺めてみると、
新月の時に眺めた満地球に近い、ほんのちょっと欠けた地球が見えるはずです。
このとき、月の夜の部分は満月よりずっと明るい地球に照らされている訳ですから、
月面は「夜の散歩」に不自由がないくらい明るいはず。
この地球に照らし出された月の明かりが地球照の正体なのです。

普通肉眼ではっきりと分かるのは新月の前後4~5日程度の範囲。
空が大変暗い場所や双眼鏡などを使ってであれば半月近くまでその存在が分かります。

鬼門の枕

(転載)

鬼門
建物の真ん中を基準点とし、北東と南西に対角線を引き、
基準点からの対角線上を0度とし、
北側に30度・東側に30度の扇状の部位が表鬼門
南側に30度・西側に30度の扇状の部位が裏鬼門

枕の向きで影響があるのは
男性は北東の部分だけ、女性は南西の部分だけ。

北枕は蘇り、再生を期する向き。
非常に疲れてて、どうしても疲労が抜けないときや、
自分自身の再起・再生を願うとき、北枕は有効。
元気な人より、老人や、慢性病で悩む人、精神的にダメージを受けた人にはよい。

北枕にすると、漢方医学では、「頭寒足熱」の論理で、
健康に良く、熟睡できる方位となる。
北の象意は、信頼関係・守秘・男女の愛・貯蓄など。
人間関係もうまく行き、お金がとても貯まる方位。

東北枕は、鬼門に向き、公転周期に対して23.5度
太陽よりに傾いている地軸の影響か金縛りや霊夢を見ることの多い向き。

北東は、変化・転職・不動産・相続・蓄財など。
資産財運が向上し、再起する向き。

東枕は、若さ・健康・発進・機動・発展。
早起きができる方位。
鬱傾向のある人や、やる気のでない人、
引きこもりがちな人、あるいは
営業マン・未成年・独立を狙っている人によい。

東南枕は、人間関係を良くしたい、
恋人が欲しい、良い縁のある相手に巡り会いたい、などの願いある人によい。
東南の象意は、調う・整理・宣伝・縁談・信用など。
この方位で寝ると、良縁や良い仕事先が調いやすくなる。

南枕は、インスピレーションを必要とする人や、
創造する仕事とか芸能関係に従事する人に良い。
南の象意は、人気・名誉・発見・直感力・知性・美容・別離など。

南向きに寝ると、勘が冴えやすくなるが、熟睡できない。

南西枕は、裏鬼門の向き
地軸の影響で、南西に墓地や良くない波動のある場がない限り、
金縛りなどの障りは、北東ほどはない。
南西の象意は、労働・忍耐・努力・勤勉・育成など。
物思いや思い悩みをする人や、頑固なところのある人にはよくない。
落ち着きのない人や、安定を求める人にとっては、効果的。

西枕は熟睡しやすい方位。
年配の人や、不眠傾向のある人にはよい。
西の象意は、金銭・遊び・恋愛・金運・飲食など。
この方位は、飲食業や接客関係の人には特に良い方位。

北西枕は、主人となる方位。
北西の象意は、長じる・主人・高上・勝負・完全・充実など。
神仏の宿る方位ですので、この方位には、
神棚や御神符、仏壇、仏像などを置くと良い方位。
敷地に一本の高い樹を植えると、神宿り、御神木となる。
社会的もしくは家庭的に、地位向上を願うなら、
心願成就のお札を頭の上の方に置くか、枕の下に敷いて寝ることは、効果的。

斎藤緑雨
青皇の春と、赤帝の夏と、
行会の天(ゆきあいのそら)に咲くものなれば、藤は雲の紫なり

五行で
木(青・春)
火(赤・夏)
土(黄・土用)
金(白・秋)
水(黒・冬)

藤は春と夏の間に咲く
色は紫色(赤と青を混ぜると紫)
藤は二季草(ふたきぐさ)という異名もある 

一関県と磐井県

磐井県(いわいけん)は、明治8年(1875年)に陸中国南部および陸前国北部を管轄するために設置された県。
現在の岩手県南部および宮城県北部にあたる。
仙台藩のうち戊辰戦争の敗戦により没収された地域と、支藩であった一関藩の支配地域を管轄した。

明治4年11月2日(1871年12月13日) - 第1次府県統合により一関県・江刺県・胆沢県が統合され、
新制の一関県が発足。県庁を磐井郡一関村(現在の岩手県一関市)に置く。
明治4年12月13日(1872年1月22日) - 水沢県に改称。県庁は胆沢郡水沢に置かれる予定であったが、
実際には登米郡寺池村の登米県庁として使用される予定だった建物
(現:宮城県登米市登米町寺池桜小路1-5)に置かれた。
明治8年(1875年)11月22日 - 県庁を磐井郡一関村に移転して磐井県に改称。
明治9年(1876年)4月18日 - 第2次府県統合により、
磐井県のうち陸中国部分を岩手県に、陸前国部分を宮城県に編入。同日磐井県廃止。

事の八日

2月8日と12月8日をまとめて「事の八日」と呼ぶ。
「事の八日」とは事始めの日であり、また事納めの日でもあるから。
事始めの日を2月8日とする地域と12月8日とする地域が有る。
日付の違いは、この時に始める「事」が神の「事」なのか人の「事」かという違い。

12月8日を事始めとするのは、
年神を迎えるための正月行事(準備から後片づけまでを含め)を始める日とすることから。
年越しの「神事」が始まる日。
2月8日を事始めとするのは、
年神を迎えるための正月行事が終わり、
農作業といった、日々の営みが始まる日とすることから。

事始めの日が一方では事納めの日でもあるのは
一年を年神を迎えるための一連の正月行事という「神事」の期間と
それ以外の人間の日常の期間とに分けるのであれば
一方の始まりの日はまた一方の終わりの日ということになる。

(拾い物)

九品

九品(くほん)

中国の官吏の能力区分に使われていた分類法。
上品(じょうぼん)・中品(ちゅうぼん)・下品(げぼん)の三段階が
さらにそれぞれ
上生(じょうしょう)・中生(ちゅうしょう)・下生(げしょう)
に細分される、九つの階層から成る。
これが仏教思想に持ち込まれ、
人間の魂に優劣がつけられ、それによって死後の世界が決まる、
極楽に往生するパターンが人間の資質によって区別されると考えられた。

法然は、念仏行は九つの階層すべての人々に功徳があり、
重い罪を犯した最下層の人、下品下生の人でも救われると説いた。
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