切り抜き

暮れの新聞より切り抜き

日本経済新聞平成21年12月29日文化面

赤ずきん絵本十選
板橋区立美術館学芸員 松岡 希代子

グレーのおおかみ
女の子とおおかみという、対立するキャラクターを確立させている赤ずきんの物語だが、
現代ではポリティカル・コレクトネス(言葉や表現に差別や偏見のないこと)の面に
配慮された絵本も生まれている。
そもそも、赤ずきんが美少女でなければいけない、というのは男性社会の幻想でしかないし、
女の子が助けを待つだけの、弱いものとしてばかり存在しているというのもリアリティーがない。
ましてや、おおかみが黒く描かれることには、黒いものは悪であるという感覚をすりこませることとして、
避けるべきだという考えもある。
これら現代社会のさまざまな気配りを反映させて生まれたのがこの赤ずきんだ。注目すべきは、
あまりかわいらしくない赤ずきんと、グレーのおおかみである。おおかみのお腹を切り裂く、
という動物愛護の精神に反するシーンも除かれている。
このように赤ずきんは、時代の価値観や表現の変化を敏感に反映して描かれ続けてきた。
しかし、どんなに表現を変えても、赤いずきんをかぶった小さなものが危機に出遭うという骨格さえあれば、
私たちは赤ずきんの物語をイメージできる。
それが赤ずきんというキャラクターの持つ底力なのかもしれない。
(キャンディス・ランソム著、タミー・リオン絵「赤ずきんちゃん」より、
 2002年、米スクール・スペシャリティ出版社刊)


 ==============

この記事をここに書いたのは、感心したからではない。
ぞっとしたから。
差別や偏見を「社会」から無くそうとすることについては正しい。
無意識の差別は厄介なもの。こういう面での取り組みも意義があるのかもしれないけれど
・・・でも、なんだか気持ちが悪い。
このような「配慮」には違和感がある。
何が、どのように気持ち悪いのかはうまく言い表すことができない。
必要以上の配慮は逆に偏見を生む。

いいがら合戦

「いいがら、いいがら」
実家の辺りの人がよく使う言葉。

遠慮しなくても良いですよ とか 気を遣わなくても良いですよ という意味(だと思う)
「いいから」がなまって「いいがら」になる


近所の人が御裾分けを持って訪ねてくる。
そのやりとり
主「まあ、いいがら、いいがら」(遠慮)…しばらく押し問答して結局受け取る。
 「ありがとうございます。ちょっと上がっていってけらいん いいがら、いいがら」
 (家の中に入ってお茶でもどうぞ、遠慮せずに)
客「あら、忙しいっから、こごでいいがら、いいがら」
 (忙しいので玄関先で失礼します、どうかお気遣いなく)
 (忙しいと言いながら、近所の噂話など長々としている)
それでも2度、3度家に入ることを勧める、断る「いいがら、いいがら」のやりとり後、
主「んだら、ちょっと待って」と何かお礼のちょっとしたものを渡そうとする。
客「あら、なんだべ、あっぺとっぺだっちゃ いいがら、いいがら」
 (御裾分けに来たのにこれでは逆です。どうかお気遣いなく)
主「まんず、いいがら、いいがら」
 (遠慮せずに、どうぞ)
客「あら、いいがら、いいがら」
 (どうかお気遣いなく)
この問答も何度か続く で、結局受け取って帰る
主「あ~あがってこなくて良かった。」
 (家の中に入らなくて良かった)


以下、地元友人の冷静な分析
これは「いいがら合戦」という社交術
美しい?文化
客も家の主も「いいがら、いいがら」を連発しなくてはならない。
もちろん心からの言葉ではない。
いいがら合戦に主側が勝って、客が家の中に入る・・
・・客は後で「本当に入ってきたよ」と悪口を言われるはめになる
(そのあたりは、京の「ぶぶ漬け文化」に通じるものがある) 
どうぞ→「では遠慮なく」と物を受け取っては絶対にいけない。
「いいがら、いいがら」とひとまず遠慮しなくては、後々まで何か言われる。
どんな状況でも「いいがら、いいがら」と必ず家に入ることをとりあえずは勧める。
そして、結局同じような物、金額がいったりきたりする。

飲食店レジ前でもオバサマ方のいいがら合戦をよく見かける。


実家のあたりだけではなく、あちこちでそういうことはあるらしい。
友人の中でも、そのようなところに嫁いで苦労している人もいる。
実家周辺でも最近は外国人(学校の英語の先生など)が住んでいるけど、
言葉通りに受け取っていいというわけではないということにはなかなか慣れないらしい。
最近は、都会から「田舎暮らし」をするために引っ越してくる人や、
都会やアジアからのお嫁さんもぽつぽつと近隣に増えてきているので
必ずしも「いいがら」が通用するわけでもないらしい。

いいがら合戦、ちょっと面倒ではある。

でも、私と母親も
私「これ、良かったら飲んで(栄養補助食品)」
母「まあ、お金使うことないのに。いいがら、いいがら」
私「いいがら、いいがら、飲んで」

母「野菜送る?餅送る?」
私「あっちでも買えるから、いいがら、いいがら」
母「いいがら、いいがら、送るから」
私「お母さんに手間がかかるから、いいがら、いいがら」
母「いいがら、いいがら、け!(食べなさい)」
と、知らず知らずのうちにいいがら合戦をしている。

結局、双方受け取るのだから、あっさり「ありがとう」で終わらせればいいのに。と自分でも思う。
こういう場合の「いいがら」は他人同士のつきあいの建前というわけではなく
なんとなくこういう時の第一声は「いいがら」がでてしまうという感じ。
で、ちょっとふざけて「あ、そ」とあっさり引っ込める振りをしたりも親子間ではやる。
そうするとあわてて「いいがら、いいがら、もらってもいいがら」と二人で大笑いになる。
ありがたく頂戴することは前提の、儀式みたいなもの。

大家族ものって

以前(かなり前)はテレビの大家族ものを見ていたけれど
今は、ああいう番組は嫌いで一切見ない。

子供がうるさい、傍若無人なふるまいをする、育て方ががさつ、
両親も子供も頭が悪そう、家の中が汚い等々
ぞっとする。 (偏見・暴言かも それに最近の大家族ものはどんな様子なのか知らない)
犬猫じゃあるまいし、無計画すぎるとも思う。


私のような意見はかなり少数だと思っていたけど
大家族ものが嫌いという人は、周囲にも、(検索によると)ネット上にも案外いるようだ。

第883回「お餅はどうやって食べますか?」

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実家方面は餅の種類がやたらと多い。

お正月に食べるのは
雑煮(鶏肉・凍み豆腐・大根・人参・椎茸他)※家によっては芋がらを入れるが家では不評で入れない
あんこ餅(家では絶対に豆から手作りこしあん)
えび餅(ぬまえび)
おろし餅(大根おろし)
ふすべ餅(ごぼう・だいこん・どじょうすべて摺る・唐辛子・しょうゆ・みそ等)
 ※どじょうをきじ肉にする場合あり
くるみ餅

など

夏はずんだ餅

他日常的に
なっとう
きなこ
ごま
しょうが
砂糖醤油
ねぎ餅
等々

子供の頃は全種類、7つも8つも食べていた。
今はあんこと雑煮ひとつずつしか食べない。
沼えびはひげのちくちく感が嫌いで食べないし
ふすべ餅は手間がかかるので、数年に一度位しか作らない。

餅はお正月だけでなく、たまに食べることもある。
ひとりで食べるときは、手っ取り早く、納豆か、きなこか砂糖醤油、
たまに野沢菜油揚げ雑煮(TVで観た創作料理)が多い。
ごくたまに、餅ピザやオニオンスープ風雑煮

つきたての本物の餅の味を知っていると
粉から作ったまがい物の餅の味は全く違うということがよく分かる。
価格も大分違うけれど、やはり本物の餅を食べたい。

へー

ヒラメ・カレイ、目の偏りは脳のねじれから

1月18日15時2分配信 読売新聞
「左ヒラメに右カレイ」という目の偏りは、脳のねじれから始まることを、
鈴木徹・東北大農学研究科教授(魚類発生学)らが突き止めた。
ねじれる方向を制御する遺伝子も特定した。
人工飼育では目の位置が本来と逆になることも多く、養殖技術を改良する手がかりにもなりそうだ。
ヒラメとカレイは、誕生時は左右対称の形だが、20~40日後に目がそれぞれ左と右に偏り始め、
体色も目のある側だけが黒っぽくなる。
鈴木教授らは、右目と左脳、左目と右脳をつなぐ視神経のX形の交差部で
脳のわずかなゆがみが最初に生じることを発見。
そこから脳全体のねじれが進み、目の位置も片方にずれていくことを確認した。
さらに、人の心臓が左側に形成される際にも働く内臓の位置決定遺伝子「pitx2」が、
ヒラメやカレイでは誕生前だけでなく稚魚の段階でも再び働き、脳のねじれを調節することがわかった。
遺伝子操作でカレイのpitx2の働きを妨げると、目が左に偏ったり左右対称になったりした。
人工飼育したカレイでは、目の位置が逆のものが20~30%を占めることもある。
鈴木教授は「稚魚の生育環境の違いがpitx2の働きを抑えるのではないか」と話している。
最終更新:1月18日15時2分


= = = = =
へー
前からどうしてなんだろうと思っていた。

第886回「枕がかわると寝られない人ですか?」

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全然眠れません。

旅先やよその家で一睡もできなかったことが何度かある。

枕だけでなく、布団も。
(そもそも合う枕など、ない)
いずくて(しっくりこなくて)何度も何度も寝る向きを変える。
でもどうやっても落ち着かない。

照明も、音やにおいや温度もいつもと違うとだめ。
真っ暗、無音、無臭、自然な温度(空調を全く使わない)がいい。
部屋もひとりがいい。人の気配がないほうが眠りに入りやすい。
旅先のひとり部屋は怖がる人もいるけど、塩を持っていけば、怖いということもない。
(塩をまく私が怖い・・何か見えるの? と言われたこともあるが)

日記(1/24)

久しぶりに豚汁を作った。
豚肉はあまり好きではないのだけれど、冷凍豚肉の賞味期限もせまってきたし
野菜もたくさん摂るとことができるし、温まるので。
ごぼうやねぎをたくさん入れたので豚臭さもあまりなく上々の出来。
今回の大根は何の問題もなし。
これから豚汁を肴に晩酌をする。

今朝は珍しく、パンの耳を揚げたお菓子も作った。
パンの耳、トーストにした時は、多めにバターを塗ってなんとか食べる。
サンドイッチで切り落とした時は、パン粥にして食べたり、揚げたりすることもあるけど
捨てることもある。もったいないけど、再加工してまで食べることが面倒なときもある。
今回は揚げて、シナモンシュガーを振ってみた。

朝日新聞の勧誘が来た。これも久しぶり。
インターホン越しに応じる。
販売店主で、丁寧な口調。
「朝日新聞の主義主張を受け入れることはできない。だからお金を払って購読する気はない」
と言ったら
「そうですか、わかりました」あっさりと引き下がった。
歩合給?の雇われ人だとこうはいかず、しつこく喚き、悪態をつくのだが
良かった。不愉快な思いをしなくて済んだ。
どんなにしつこく勧められても、その新聞がますます嫌いになるだけなのだから
あっさりと退いてくれたほうが、お互いに無駄な時間や労力を費やさなくていい。


年賀状、すべてはずれ。
ちっ! ・・あまり、というかほとんど期待はしていなかったけど。

実家へ携帯からタダで電話をかけられると思っていたら
ちょっと行き違い(というか家族に騙された←大げさ)で全く割引にすらなってなかったことが判明
先月と今月、タダだと思い込んで、思いきり話し込んでしまったよ・・

やっぱり、なんだかいまいちモードからまだ抜け出せていない。

んだんだ

外国人参政権 付与許容説の学者が誤り認める 反対集会で日大教授が明かす 
1月26日11時9分配信 産経新聞

千代田区永田町の憲政記念館で25日に開かれた「永住外国人地方参政権付与に反対する国民集会」。
国会議員、地方議員や識者らがげきを飛ばす中、日大の百地章教授(憲法学)が、
国内で最初に付与許容説を唱えた学者が自説の誤りを認めたことを明らかにした。

百地氏によると、外国人の参政権について「国政は無理でも地方レベルなら認めていこう」とする
部分的許容説は昭和63年に中央大学の教授が初めて提唱。
追随論が噴出し、平成7年の最高裁判決の傍論もこの説に影響を受けたとされている。

昨年、百地氏が著書をこの教授に送ったところ、「外国人参政権は、地方選でも違憲と考えます」と
書かれた年賀状が送付されてきた。
本人に電話で確認したところ、「修正する論文を発表する」と明言したという。


百地氏は「外国人参政権が憲法違反であると、とうとうわが国最初の提唱者にさえ否定されたことは
極めて注目すべきこと」と強調。
さらに「わざわざ憲法を持ち出すまでもなく、
わが国の運命に責任を持たない外国人を政治に参加させることは危険すぎてできない」と述べた。


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100126-00000518-san-pol


日記(1/29)

帰りにスーパーでぽんかんを買った。
レジの後、袋につめていたら奥の方の2個が腐っていることに気が付いた。

げっ!! ちゃんと選んでかごに入れたつもりだったのに・・
かなり酷い腐れぶりだった。
(ほんとに私は選び方が悪い)
店の人にお願いして交換してもらった。
店にいる間に気が付いてよかった。
帰宅してから気が付いたら、もう面倒で交換しにいく気は失せただろうし
また失敗・・とへこんでいただろう。

危うく外れを引きそうだったのに今回は免れた。
良かった。


もう、さんざん出がらし感のある話題ではあるが
「ハイチに千羽鶴を贈ろう」運動について。

加熱している論争もどうかとは思うが
やはり賛同はできない。
誰でも読める情報や産経の記事を読んだ限りでは
善意のアピール、もっと言えば「理解してください」という押し付け
さらに言えば自己満足にしか見えない。
(発信の大元の現在の考えは知らないので)

大使館からやんわりと断られているのに
そして以前にアフリカでは喜ばれなかった
(現地の人が千羽の鶴を一つ一つすべて解いて中には何も入ってなかったのでがっかりした)
…という前例もあるのに
それでも「通じるはず」という思い込み。
せっかくの善意なのにもったいない。
「気持ち」を伝えたいのであれば、幾ばくかの募金に手紙でメッセージを添えればよいと思うし
先方が切実に必要としているものを贈るのが一番喜ばれる。
落ち着いてから贈るとはいうものの、届ける人、説明する人 沢山の人の手をわずらわせることになる。
そしてハイチの人に「わかってください、私たちの善意」と押し付けるの?
相手の身になって考えるということに改めて立ち返ってほしい。
混乱時にはストレートに通じる善意のほうが絶対に良い。

変な例えかもしれないけど、小学生の学級会みたいなノリで気持ちが悪い。
ちょっと方向がずれている気がする。

そして批判する側もずれつつある。
先方が一番必要としていることは?や具体的な方法について論じるのはいいが、
主催者や賛同者の今回のこととは関係のないことまで晒し、つつく必要はない。
あまりにも非難が酷すぎて、主催者はいつ贈るとか、どういう方法をとるとか、考え直すとかという
肝心のことを公にしなくなってしまったのでは?
主催者の考えていること、これから起こそうとしている行動は
考え直してもらうという意味でも見えていたほうがいいのに。
叩かれたからこそ、変に意地になって「何が悪い!自分たちこそが正しい」と開き直っている感もある。

どこかの怪しげな団体が主催者側につき、結局ごり押しでひそかに千羽鶴を無理矢理贈り
またどこかのTV局までついていって、ハイチの人が喜んで受け取るという演技をさせられる
などということがなければいいけど。
先方に迷惑にならないか、がっかりさせないか(アフリカのように)ということが一番心配。

私は微々たる募金しかしていないし、このように何がしかの行動を起こすことはできないので、
偉そうなことは言えないけど、ちょっと書いてみた。
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