日記(1/4)

今日まで年末年始休み
長い休みだった。
明日から、きちんと起きて働けるかどうか、心配。

今回、初めて紅白をろくに見なかった。
後半は一応、TVをつけてはいたが、どうでもよかった。
でも、デジタルTVでしっかり投票はした。
(デジタルTVの機能を使ってみたかっただけ)
ここ何年か、白が勝ち続けている。
これは一般人が投票できるようになってからのような気がする。
それ以前は、わりと交互に勝っていたと思うけど、それは操作されていたのだろうか?
一般人投票は、ジャニーズ票やら人気若手演歌歌手何某の組織票で白優勢?
紅白の勝ち負けなど、ほとんどどうでもいいことであり、司会者以外は気にしていないと思うけど。


家族みんなでお正月を迎えることができたけど
今回からは介護もあり。
私は手助け程度。それすら、私にできるかどうか心配だった。
でも、やってみると意外とすんなりとできた。
本当に意外。私はそういうのは苦手。
家族ならできるが、職業としてはできない。ボランティアとしてもできない。
家族限定でしかできない。
私は帰省時にちょこっとやるだけなので、本当は介護がどうのなどと口にする資格すらない。
毎日毎日やる人にとっては大変なこと。できるできないなどという問題ではない。

老いた家族の姿を見るのはつらいけど
介助を必要としながらも、にこにこと食事しているのを見るとうれしい。
生きているだけでうれしい、ありがたいと思う。

切り抜き

暮れの新聞より切り抜き

日本経済新聞平成21年12月29日文化面

赤ずきん絵本十選
板橋区立美術館学芸員 松岡 希代子

グレーのおおかみ
女の子とおおかみという、対立するキャラクターを確立させている赤ずきんの物語だが、
現代ではポリティカル・コレクトネス(言葉や表現に差別や偏見のないこと)の面に
配慮された絵本も生まれている。
そもそも、赤ずきんが美少女でなければいけない、というのは男性社会の幻想でしかないし、
女の子が助けを待つだけの、弱いものとしてばかり存在しているというのもリアリティーがない。
ましてや、おおかみが黒く描かれることには、黒いものは悪であるという感覚をすりこませることとして、
避けるべきだという考えもある。
これら現代社会のさまざまな気配りを反映させて生まれたのがこの赤ずきんだ。注目すべきは、
あまりかわいらしくない赤ずきんと、グレーのおおかみである。おおかみのお腹を切り裂く、
という動物愛護の精神に反するシーンも除かれている。
このように赤ずきんは、時代の価値観や表現の変化を敏感に反映して描かれ続けてきた。
しかし、どんなに表現を変えても、赤いずきんをかぶった小さなものが危機に出遭うという骨格さえあれば、
私たちは赤ずきんの物語をイメージできる。
それが赤ずきんというキャラクターの持つ底力なのかもしれない。
(キャンディス・ランソム著、タミー・リオン絵「赤ずきんちゃん」より、
 2002年、米スクール・スペシャリティ出版社刊)


 ==============

この記事をここに書いたのは、感心したからではない。
ぞっとしたから。
差別や偏見を「社会」から無くそうとすることについては正しい。
無意識の差別は厄介なもの。こういう面での取り組みも意義があるのかもしれないけれど
・・・でも、なんだか気持ちが悪い。
このような「配慮」には違和感がある。
何が、どのように気持ち悪いのかはうまく言い表すことができない。
必要以上の配慮は逆に偏見を生む。

日記(1/6)

先日の紅白はつまらなかったけど
昨日の夜の歌謡ショーはちらっと見ただけだが面白いと感じた。
昭和臭が心地よかった。
ああいうのが面白いと感じるなんて、私も年をとったものだ。

今週はお弁当を作る気がしなくて買ったものばかり。
明日も、あさってもそうするつもり。
まだエンジンがかからない。
三連休が待ち遠しい。
三連休中に家から餅も届く予定。
家では、もうずいぶん前から餅はつかずに買っている。
地元産のもち米100%のとてもおいしい餅。

家で餅をついていた頃は必ず暮れの28日につくと決まっていた。
お供え用の餅を丸め、お正月に食べる分の餅は広げてのばして、30日に切っていた。
餅きりと、ひきな切り(雑煮用の大根と人参を千切りにする)とあんこを漉す仕事は
私たち姉妹の暮れの仕事で普段の手伝いは渋々やっているのに、
このときばかりは奪い合ってやっていた。
三が日に餅を焼くのは私の仕事。
そろそろ姪たちに引き継いでもよさそうなものだが、全くやる気なしだし、私も好きでやっている。

日記(1/7)

今年の七草は出来合いのもの。
まあまあ美味しかった。
最近、きちんと炊事をすることが少ない。
寒いとなにもかも面倒になってしまう。
暑い真夏よりはずっと体調もいいのに。


仕事で同じ説明を受けても、一度で理解できない人がどこにでもいる。
覚えられないのは再確認をすればいいのだから、仕方がないとして
分からない人同士で相談して適当なことをやっているのを見るといらいらする。
口を出すようなことでもないので、知らんぷりしている。
でも、例えば正しいルール:勝手ルールの割合が4:6だったりすると
後で、適当にやった人に合わせて、「まあ、しょうがないか」と
ルールが馬鹿ルールに変更されたりすることもあったりして納得できない。
疲れも倍増。

今週は4日だけなのに長い。


今頃またむくむくと思い出した。
去年、とりたてて何もなかったと書いたけど
去年の3月13日と6月26日はとてつもなくいやな日だった。近年にないほど最悪。
この↑日付周期から10月初めあたりにも何かおきるのではないかと恐れたが何もなかった。
高島暦ではどちらもやや注意を要する日だった。
でも、もっと悪いという日には何もなかったので当たったというわけでもない。
そして9月の大連休は近年にないほど心安らぐ日々だった。
でも5日間の暦は吉日もあればそうでない日も当然ある。
日々の運勢はいつもその日の夜、あるいは一週間位してからまとめて見ているので
暦の運勢に一喜一憂することもなかったし、特に気にしてもいない。
暦は旧暦とか日の出、日の入り時刻を見るため など別の目的で買っている。

今年の暦は毎日の運勢が載っていない、少し安い暦にした。
あまり必要もないのでそうしたのだが、日々の日の出、日の入りまで省略されていて
その点についてはがっかり。
まさかそんなことが省略されているとは思わなかった。
でも、ないならないでどうでもいいような気もしてきた。




日記(1/8)

自宅で白髪染めをした。
美容院で染めたほうが手間はかからないし、仕上がりもいいけど
髪は切ったばかりで美容院にはまだ当分行かない。
分け目の生え際の白髪が目立ってきたし、前に染めてから時間が経って
色あせてきてなんだか赤すぎる気がする。

泡タイプの白髪染めをCMで見て
良さそうだったので買ってきて、早速やってみた。

染まりは良かったが黒すぎたかも。。。
ダークブラウンにしたんだけど
もともとの地も結構茶色、美容院では落ち着いた色にしてもらったけどそれよりかなり濃い。
明るめの髪の色に目が慣れてしまったのかもしれない。

色自体はこれでいいけど
全体として見ると、なんだか重そう・・・

でも染まったものはもうしょうがない。
それにいずれ色は落ちる。


これが美容院での失敗なら、さぞかし腹を立てるのだろうけど
自分の失敗?はあっさりとあきらめるのが私。

いいがら合戦

「いいがら、いいがら」
実家の辺りの人がよく使う言葉。

遠慮しなくても良いですよ とか 気を遣わなくても良いですよ という意味(だと思う)
「いいから」がなまって「いいがら」になる


近所の人が御裾分けを持って訪ねてくる。
そのやりとり
主「まあ、いいがら、いいがら」(遠慮)…しばらく押し問答して結局受け取る。
 「ありがとうございます。ちょっと上がっていってけらいん いいがら、いいがら」
 (家の中に入ってお茶でもどうぞ、遠慮せずに)
客「あら、忙しいっから、こごでいいがら、いいがら」
 (忙しいので玄関先で失礼します、どうかお気遣いなく)
 (忙しいと言いながら、近所の噂話など長々としている)
それでも2度、3度家に入ることを勧める、断る「いいがら、いいがら」のやりとり後、
主「んだら、ちょっと待って」と何かお礼のちょっとしたものを渡そうとする。
客「あら、なんだべ、あっぺとっぺだっちゃ いいがら、いいがら」
 (御裾分けに来たのにこれでは逆です。どうかお気遣いなく)
主「まんず、いいがら、いいがら」
 (遠慮せずに、どうぞ)
客「あら、いいがら、いいがら」
 (どうかお気遣いなく)
この問答も何度か続く で、結局受け取って帰る
主「あ~あがってこなくて良かった。」
 (家の中に入らなくて良かった)


以下、地元友人の冷静な分析
これは「いいがら合戦」という社交術
美しい?文化
客も家の主も「いいがら、いいがら」を連発しなくてはならない。
もちろん心からの言葉ではない。
いいがら合戦に主側が勝って、客が家の中に入る・・
・・客は後で「本当に入ってきたよ」と悪口を言われるはめになる
(そのあたりは、京の「ぶぶ漬け文化」に通じるものがある) 
どうぞ→「では遠慮なく」と物を受け取っては絶対にいけない。
「いいがら、いいがら」とひとまず遠慮しなくては、後々まで何か言われる。
どんな状況でも「いいがら、いいがら」と必ず家に入ることをとりあえずは勧める。
そして、結局同じような物、金額がいったりきたりする。

飲食店レジ前でもオバサマ方のいいがら合戦をよく見かける。


実家のあたりだけではなく、あちこちでそういうことはあるらしい。
友人の中でも、そのようなところに嫁いで苦労している人もいる。
実家周辺でも最近は外国人(学校の英語の先生など)が住んでいるけど、
言葉通りに受け取っていいというわけではないということにはなかなか慣れないらしい。
最近は、都会から「田舎暮らし」をするために引っ越してくる人や、
都会やアジアからのお嫁さんもぽつぽつと近隣に増えてきているので
必ずしも「いいがら」が通用するわけでもないらしい。

いいがら合戦、ちょっと面倒ではある。

でも、私と母親も
私「これ、良かったら飲んで(栄養補助食品)」
母「まあ、お金使うことないのに。いいがら、いいがら」
私「いいがら、いいがら、飲んで」

母「野菜送る?餅送る?」
私「あっちでも買えるから、いいがら、いいがら」
母「いいがら、いいがら、送るから」
私「お母さんに手間がかかるから、いいがら、いいがら」
母「いいがら、いいがら、け!(食べなさい)」
と、知らず知らずのうちにいいがら合戦をしている。

結局、双方受け取るのだから、あっさり「ありがとう」で終わらせればいいのに。と自分でも思う。
こういう場合の「いいがら」は他人同士のつきあいの建前というわけではなく
なんとなくこういう時の第一声は「いいがら」がでてしまうという感じ。
で、ちょっとふざけて「あ、そ」とあっさり引っ込める振りをしたりも親子間ではやる。
そうするとあわてて「いいがら、いいがら、もらってもいいがら」と二人で大笑いになる。
ありがたく頂戴することは前提の、儀式みたいなもの。

大家族ものって

以前(かなり前)はテレビの大家族ものを見ていたけれど
今は、ああいう番組は嫌いで一切見ない。

子供がうるさい、傍若無人なふるまいをする、育て方ががさつ、
両親も子供も頭が悪そう、家の中が汚い等々
ぞっとする。 (偏見・暴言かも それに最近の大家族ものはどんな様子なのか知らない)
犬猫じゃあるまいし、無計画すぎるとも思う。


私のような意見はかなり少数だと思っていたけど
大家族ものが嫌いという人は、周囲にも、(検索によると)ネット上にも案外いるようだ。

第883回「お餅はどうやって食べますか?」

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実家方面は餅の種類がやたらと多い。

お正月に食べるのは
雑煮(鶏肉・凍み豆腐・大根・人参・椎茸他)※家によっては芋がらを入れるが家では不評で入れない
あんこ餅(家では絶対に豆から手作りこしあん)
えび餅(ぬまえび)
おろし餅(大根おろし)
ふすべ餅(ごぼう・だいこん・どじょうすべて摺る・唐辛子・しょうゆ・みそ等)
 ※どじょうをきじ肉にする場合あり
くるみ餅

など

夏はずんだ餅

他日常的に
なっとう
きなこ
ごま
しょうが
砂糖醤油
ねぎ餅
等々

子供の頃は全種類、7つも8つも食べていた。
今はあんこと雑煮ひとつずつしか食べない。
沼えびはひげのちくちく感が嫌いで食べないし
ふすべ餅は手間がかかるので、数年に一度位しか作らない。

餅はお正月だけでなく、たまに食べることもある。
ひとりで食べるときは、手っ取り早く、納豆か、きなこか砂糖醤油、
たまに野沢菜油揚げ雑煮(TVで観た創作料理)が多い。
ごくたまに、餅ピザやオニオンスープ風雑煮

つきたての本物の餅の味を知っていると
粉から作ったまがい物の餅の味は全く違うということがよく分かる。
価格も大分違うけれど、やはり本物の餅を食べたい。

久しぶりの公務

皇太子妃雅子さまが17日、2年ぶりに地方への公式訪問を果たされた。
皇太子さまとともに阪神・淡路大震災15周年追悼式典に出席、震災遺族との懇談にも臨まれた。
雅子さまは、震災で肉親を失った人々の話を、真剣なまなざしでお聞きになっていた。
療養を続けている雅子さまが、大勢の人々との懇談に臨まれるのは最近ではあまり例がない。
宮内庁関係者によると、雅子さまはご体調が急に回復したわけではないというが、
今回の追悼式典への出席には強い意欲を示されていたという。

http://sankei.jp.msn.com/culture/imperial/100117/imp1001171547003-n1.htm


新年の行事は一般参賀(TV中継)だけ参加
祝賀の儀は欠席、講書始の儀、
歌会始の儀は欠席(でもニュースでは欠席妃の下手な歌がなぜかクローズアップされる)
今回は『強い意欲』で出席されたという。
案の定、大きく取り上げられている。
15年という節目、風化させてはいけないので、ニュースとして震災を大きく扱うべきではあるけど
いちいち「雅子さん」を出さなくてもよい。

この夫妻は地震発生3日後に中東へ行っている。
反対意見もあったというけど、『外務省』が強く押したとのこと。
外務省=雅子さんと恒さんつながりではないの?
中東では、かなり楽しそうに過ごした写真も残っている。
雅子さんは、出産後の地方公務(神戸)が負担だった発言、
徳仁さんは、地震で日程がかわり死海をみることができなかった発言(2005年愛・地球博で)
今回、かなり神妙な面持ちで追悼式典に出ていたけれど、その数々の事実が消えるわけではない。


その上
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00170051.html によると

(略)
宮内庁によると、「ぜひとも出席したい」という雅子さまの強い希望により訪問が決定したが、
長期療養中の雅子さまにとって、大勢の人が集う式典への出席は緊張をともなうため、
負担に考慮した日程が組まれたという。
雅子さまの宿泊をともなう地方公務は、2008年1月の長野冬季国体以来、およそ2年ぶりとなる。
(01/15 17:00)

(※震災遺族との懇談の順番が式典の後に入れ替わった。
  前日に神戸入りしたにもかかわらず雅子さんは式典開始ぎりぎりに入場)

負担に考慮した日程って・・・
慰霊する、される方々の為なのに、雅子さん中心の日程
遺族が雅子さんに合わせなきゃならない?!
神戸では徳仁さん夫妻を指名して呼んだわけではないらしいし、そこまでしなくていいのでは?
このような大切な式典を雅子さんのリハビリやアピールに使ってほしくはない。
涙を拭く姿がわざとらしい、という意見もあり。


去年も昭和天皇二十年式年祭のほんの一部分に出席しただけで
おおげさに復帰とかなんだとか騒いでいたけど(マスコミが)
その後はまたさぼりまくり。
雅子さんとしては、節目行事くらいは出なくては・・と頑張っているつもりなのかもしれないが
目立つ行事にばかりでて、ニュースにならない行事はさぼっていると見る人もいる。
静養先では元気いっぱい犬の脚を振る始末。私的なお楽しみも多く、
本当に体調が悪いのだろうか? などと思ってしまう。


= = = = = = = =
1月23日追記
http://sankei.jp.msn.com/culture/imperial/100123/imp1001230701001-n1.htm
産経皇室ウイークリーによると

(一部抜粋)

翌17日は、まず皇太子さまがおひとりでホテルをご出発。
追悼式典会場の兵庫県公館で「皇室とともに歩んだ復興への道のり・震災15周年写真展」をご覧になった。
雅子さまはその後に会場に到着して皇太子さまと合流し、一緒に式典に臨まれた。

(写真展も見られないほど体調がすぐれないあるいは朝、起きれない?)

11人の震災遺族と約15分間にわたって懇談された。
皇太子さまは「大変だったですね」と松浦さん夫妻に声をかけられた。
雅子さまは「(孫は)何歳になられますか」と尋ねられた。

(いつものことだが、微妙な問い)

東宮職は、ご体調がよければ、雅子さまは引き続き、皇太子さまと兵庫県災害対策センターを
視察されるとしていたが、結局は控えられた。
野村一成東宮大夫は22日の定例会見で
「(式典と懇談が)終わったあとの疲れその他、総合的な状況を勘案して(判断する)と考えていた。
 結果として『きつかった』ということ以外の何ものでもございません」と、
同行されなかった理由を説明した。

(「強く希望して」行ったのに残念でした。考慮されたゆるい日程だったのに「きつかった」。
 でも帰りの映像はとてもお元気そうでした)

※この記事のトピックスは「雅子さま、800日ぶりに東日本外へ」という馬鹿に?したようなタイトル




日記(1/18)

今週は5日間連続で仕事
祝日やお正月休みが入り、一週間まるまる働くのは12月の三週目以来。
やだな・・月曜日からもうすでに疲れている。

寒さと仕事の疲れで、体全体が張っているような感じ。
マッサージに行きたいけど、寄り道をする気力もなし。
先週末、友達とミニ新年会をしたけど、なんだか疲れていていまひとつ。
楽しい時間ではあったけれど、さほど気晴らしにもならず。逆にむかついたりもした。
酒はおいしかった。

なんだかいろいろもやもやとしているけど、深く考えるのも面倒。
なにをするのも、考えるのも気力がない。
ブログ更新すら億劫になってきた。惰性で書いているだけ。


先週は寒かった。
部屋の窓の結露が凍った。たぶん数年ぶり?
職場は暖房効きすぎ。
寒がりの私が暑いと感じる位だから、よほどの筈。
今の職場は手カバーとか背中の使い捨てカイロは全くいらない。
冷房の効きすぎは寝込むほどつらいけど、暖房の効きすぎはさほど負担にならない。のどが渇く程度。
顔の乾燥はマスクで防げる。
ますますマスクが手放せない。

へー

ヒラメ・カレイ、目の偏りは脳のねじれから

1月18日15時2分配信 読売新聞
「左ヒラメに右カレイ」という目の偏りは、脳のねじれから始まることを、
鈴木徹・東北大農学研究科教授(魚類発生学)らが突き止めた。
ねじれる方向を制御する遺伝子も特定した。
人工飼育では目の位置が本来と逆になることも多く、養殖技術を改良する手がかりにもなりそうだ。
ヒラメとカレイは、誕生時は左右対称の形だが、20~40日後に目がそれぞれ左と右に偏り始め、
体色も目のある側だけが黒っぽくなる。
鈴木教授らは、右目と左脳、左目と右脳をつなぐ視神経のX形の交差部で
脳のわずかなゆがみが最初に生じることを発見。
そこから脳全体のねじれが進み、目の位置も片方にずれていくことを確認した。
さらに、人の心臓が左側に形成される際にも働く内臓の位置決定遺伝子「pitx2」が、
ヒラメやカレイでは誕生前だけでなく稚魚の段階でも再び働き、脳のねじれを調節することがわかった。
遺伝子操作でカレイのpitx2の働きを妨げると、目が左に偏ったり左右対称になったりした。
人工飼育したカレイでは、目の位置が逆のものが20~30%を占めることもある。
鈴木教授は「稚魚の生育環境の違いがpitx2の働きを抑えるのではないか」と話している。
最終更新:1月18日15時2分


= = = = =
へー
前からどうしてなんだろうと思っていた。

第886回「枕がかわると寝られない人ですか?」

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全然眠れません。

旅先やよその家で一睡もできなかったことが何度かある。

枕だけでなく、布団も。
(そもそも合う枕など、ない)
いずくて(しっくりこなくて)何度も何度も寝る向きを変える。
でもどうやっても落ち着かない。

照明も、音やにおいや温度もいつもと違うとだめ。
真っ暗、無音、無臭、自然な温度(空調を全く使わない)がいい。
部屋もひとりがいい。人の気配がないほうが眠りに入りやすい。
旅先のひとり部屋は怖がる人もいるけど、塩を持っていけば、怖いということもない。
(塩をまく私が怖い・・何か見えるの? と言われたこともあるが)

正に正論 小沢のしたことを決して忘れてはいけない

【正論】国学院大学教授・大原康男 反面教師として小沢発言を検証
2010.1.22 03:30

民主党の小沢一郎幹事長の資金管理団体「陸山会」による土地購入に関連して
小沢幹事長の元秘書である石川知裕衆院議員ら3人が政治資金規正法違反で逮捕された。
小沢氏も東京地検特捜部の事情聴取に応じる意向のようであり、
永田町を襲ったこの激震の余震はしばらく続きそうだ。

≪天皇をめぐる重要な問題≫
かねて指摘されてきた小沢幹事長に対する「政治とカネ」をめぐる論議は一段とボルテージが高まり、
そのために、昨年来の習近平中国副主席の天皇会見に際して飛び出した
非礼・傲慢(ごうまん)な小沢氏の発言に対する批判は、どこかに消えてしまったかのような気配だが、
そこには現憲法下の「天皇制」をめぐる重要な問題がいくつか散在していた。

記憶が薄れる前に一連の小沢氏発言を反面教師として一通り総括しておくことも決して無駄ではあるまい。

〈(天皇陛下がなされる)国事行為は、国民が選んだ内閣の助言と承認で行われるんだよ、すべて〉

今回の習副主席との会見のような天皇による外国賓客の接遇は、
憲法6、7条に列挙されている「国事行為」ではなく、象徴としての「公的行為」であるとする解釈は、
占領が終結してから歴代政府によって固められてきた長い歴史を有する。
その補佐責任は第一次的には宮内庁が、最終的には内閣が負うことになっているが、
内閣の「助言と承認」は必須条件ではない。
小沢幹事長は前述の発言から何日かたって「国事行為説」を撤回したが、
鳩山由紀夫首相は、民主党幹事長当時の一昨年6月5日、
「天皇陛下御即位二十年奉祝委員会」設立大会で
「国賓の接遇は国事行為には記されていません」と発言しているのだから、
すぐ小沢幹事長の誤解を是正してやるべきではなかったか。

ちなみに、ご即位20年を奉祝して昨年11月12日を臨時祝日とする超党派の立法を
民主党が最終的に見送ったのは、旧社会党系議員や連立与党である社民党などの
左派グループに配慮した小沢氏の意向だと伝えられている。

≪訪米計画にも政治利用の声≫

〈(内閣の)一部局の一役人が内閣の決定した方針をどうだこうだと言うのは、
  憲法の精神・理念を理解していない〉

たしかに、宮内庁は「内閣総理大臣の管理」に属する内閣府の一機関だが、
宮内庁長官の地位は各省庁の次官や外局の長官と同じではない。
長官は最高裁判所判事、高裁長官、検事総長、検事長、人事官、検査官などと同じく
認証官という重職の一つである。
明治憲法下でも宮中・府中の区別は厳然とあったが、
皇室の事務を所掌する宮内庁はその流れを汲(く)む特殊な官庁であり、
長官が皇室のご存在と両立し得ないと判断した政府の指示に異論を呈することがあっても
一概に否定されるべきではない。

〈(天皇陛下の)体調がすぐれないというならば、
  それよりも優位性の低い行事はお休みになればいいことじゃないですか〉

陛下のご日程に無理やり組み入れて会見が行われたのは12月15日の午前11時から。
この日は夕刻から賢所御神楽(おかぐら)が斉行されることになっていた。
賢所御神楽は天の岩戸神話に由来し、
新嘗祭と並んで皇室祭祀(さいし)の中でも最も由緒のある祭祀であり、
陛下が終日お心を安らかに保たなければならない日だったのである。

「優位性の低い行事はお休みになれば…」とは
「習副主席との会見を賢所御神楽に優先せよ」と言っているに等しい。
これこそ最も不遜(ふそん)な発言であろう。

思い起こせば、昭和48年秋に田中角栄首相が主導して天皇の米国ご訪問が計画されたことがあるが、
当時の宇佐美毅宮内庁長官は「天皇の政治利用」を理由とする反対の声があっただけでなく、
この年の10月には伊勢神宮の第60回式年遷宮が行われるなど、
皇室の行事が重なっていることにも配慮して政府に粘り強く抵抗し、
最終的にご訪米を見送ることに成功した。今昔の感に打たれるのは私だけではあるまい。

≪外国人参政権が手土産に?≫

〈天皇陛下ご自身に聞いてみたら、手違いで遅れたかもしれないけれども、
 会いましょうと必ずおっしゃると思うよ〉

国民統合の象徴として国民の敬愛の対象である陛下のご意思を勝手に忖度(そんたく)し、
自分の意を事実上強要するのと変わらない非礼極まる態度。論外と言うほかない。

しかしながら、憂慮すべきことは他にもある。小沢幹事長は昨年末に訪韓した際、
記者団との懇談の席で天皇陛下の韓国ご訪問を「結構なこと」と歓迎した。
その一方で、先日、小沢幹事長は永住外国人に地方参政権を付与する法案を
今国会に提出することを明言している。

本年は日韓併合100年に当たる。地方参政権を手土産にして、天皇陛下が訪韓し、
日韓併合を謝罪されるというのが年初に浮かんだ私の“悪夢”である。(おおはら やすお)

http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/100122/stt1001220331000-n1.htm

日記(1/24)

久しぶりに豚汁を作った。
豚肉はあまり好きではないのだけれど、冷凍豚肉の賞味期限もせまってきたし
野菜もたくさん摂るとことができるし、温まるので。
ごぼうやねぎをたくさん入れたので豚臭さもあまりなく上々の出来。
今回の大根は何の問題もなし。
これから豚汁を肴に晩酌をする。

今朝は珍しく、パンの耳を揚げたお菓子も作った。
パンの耳、トーストにした時は、多めにバターを塗ってなんとか食べる。
サンドイッチで切り落とした時は、パン粥にして食べたり、揚げたりすることもあるけど
捨てることもある。もったいないけど、再加工してまで食べることが面倒なときもある。
今回は揚げて、シナモンシュガーを振ってみた。

朝日新聞の勧誘が来た。これも久しぶり。
インターホン越しに応じる。
販売店主で、丁寧な口調。
「朝日新聞の主義主張を受け入れることはできない。だからお金を払って購読する気はない」
と言ったら
「そうですか、わかりました」あっさりと引き下がった。
歩合給?の雇われ人だとこうはいかず、しつこく喚き、悪態をつくのだが
良かった。不愉快な思いをしなくて済んだ。
どんなにしつこく勧められても、その新聞がますます嫌いになるだけなのだから
あっさりと退いてくれたほうが、お互いに無駄な時間や労力を費やさなくていい。


年賀状、すべてはずれ。
ちっ! ・・あまり、というかほとんど期待はしていなかったけど。

実家へ携帯からタダで電話をかけられると思っていたら
ちょっと行き違い(というか家族に騙された←大げさ)で全く割引にすらなってなかったことが判明
先月と今月、タダだと思い込んで、思いきり話し込んでしまったよ・・

やっぱり、なんだかいまいちモードからまだ抜け出せていない。

日記〈1/25)

このところ、出かける時はいつもマスクを着けている。
寒いので帽子もかぶり、マフラーもすると、顔も髪も隠れ、誰なのか分からない。
街で知っている人に会い、「○○ちゃん ひさしぶり!」と声をかけても、
相手はぽかんとしている。 帽子とマスクをはずして、やっと私だと気づいてもらえる。

この格好、銀行等では怪しまれたりすることもあるようだ。
私と同じように頭や顔を覆って銀行に行った友人は、警備員にぴったりと後ろに付かれたという。
特に何か聞かれたりしたというわけではないというけど、視線を感じたらしい。
でも、友人は、『自分専属のSPが見守ってくれている』と無理やり脳内変換したとのこと。

私は小物なので、そんな脳内変換はできない。
あやしい人間扱いされていることに気がついたら
オドオドして、ますます挙動不審になってしまうのだろうなあ。
で、そんな話を聞いてから、銀行に行く時は帽子は外している。

んだんだ

外国人参政権 付与許容説の学者が誤り認める 反対集会で日大教授が明かす 
1月26日11時9分配信 産経新聞

千代田区永田町の憲政記念館で25日に開かれた「永住外国人地方参政権付与に反対する国民集会」。
国会議員、地方議員や識者らがげきを飛ばす中、日大の百地章教授(憲法学)が、
国内で最初に付与許容説を唱えた学者が自説の誤りを認めたことを明らかにした。

百地氏によると、外国人の参政権について「国政は無理でも地方レベルなら認めていこう」とする
部分的許容説は昭和63年に中央大学の教授が初めて提唱。
追随論が噴出し、平成7年の最高裁判決の傍論もこの説に影響を受けたとされている。

昨年、百地氏が著書をこの教授に送ったところ、「外国人参政権は、地方選でも違憲と考えます」と
書かれた年賀状が送付されてきた。
本人に電話で確認したところ、「修正する論文を発表する」と明言したという。


百地氏は「外国人参政権が憲法違反であると、とうとうわが国最初の提唱者にさえ否定されたことは
極めて注目すべきこと」と強調。
さらに「わざわざ憲法を持ち出すまでもなく、
わが国の運命に責任を持たない外国人を政治に参加させることは危険すぎてできない」と述べた。


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100126-00000518-san-pol


日記(1/29)

帰りにスーパーでぽんかんを買った。
レジの後、袋につめていたら奥の方の2個が腐っていることに気が付いた。

げっ!! ちゃんと選んでかごに入れたつもりだったのに・・
かなり酷い腐れぶりだった。
(ほんとに私は選び方が悪い)
店の人にお願いして交換してもらった。
店にいる間に気が付いてよかった。
帰宅してから気が付いたら、もう面倒で交換しにいく気は失せただろうし
また失敗・・とへこんでいただろう。

危うく外れを引きそうだったのに今回は免れた。
良かった。


もう、さんざん出がらし感のある話題ではあるが
「ハイチに千羽鶴を贈ろう」運動について。

加熱している論争もどうかとは思うが
やはり賛同はできない。
誰でも読める情報や産経の記事を読んだ限りでは
善意のアピール、もっと言えば「理解してください」という押し付け
さらに言えば自己満足にしか見えない。
(発信の大元の現在の考えは知らないので)

大使館からやんわりと断られているのに
そして以前にアフリカでは喜ばれなかった
(現地の人が千羽の鶴を一つ一つすべて解いて中には何も入ってなかったのでがっかりした)
…という前例もあるのに
それでも「通じるはず」という思い込み。
せっかくの善意なのにもったいない。
「気持ち」を伝えたいのであれば、幾ばくかの募金に手紙でメッセージを添えればよいと思うし
先方が切実に必要としているものを贈るのが一番喜ばれる。
落ち着いてから贈るとはいうものの、届ける人、説明する人 沢山の人の手をわずらわせることになる。
そしてハイチの人に「わかってください、私たちの善意」と押し付けるの?
相手の身になって考えるということに改めて立ち返ってほしい。
混乱時にはストレートに通じる善意のほうが絶対に良い。

変な例えかもしれないけど、小学生の学級会みたいなノリで気持ちが悪い。
ちょっと方向がずれている気がする。

そして批判する側もずれつつある。
先方が一番必要としていることは?や具体的な方法について論じるのはいいが、
主催者や賛同者の今回のこととは関係のないことまで晒し、つつく必要はない。
あまりにも非難が酷すぎて、主催者はいつ贈るとか、どういう方法をとるとか、考え直すとかという
肝心のことを公にしなくなってしまったのでは?
主催者の考えていること、これから起こそうとしている行動は
考え直してもらうという意味でも見えていたほうがいいのに。
叩かれたからこそ、変に意地になって「何が悪い!自分たちこそが正しい」と開き直っている感もある。

どこかの怪しげな団体が主催者側につき、結局ごり押しでひそかに千羽鶴を無理矢理贈り
またどこかのTV局までついていって、ハイチの人が喜んで受け取るという演技をさせられる
などということがなければいいけど。
先方に迷惑にならないか、がっかりさせないか(アフリカのように)ということが一番心配。

私は微々たる募金しかしていないし、このように何がしかの行動を起こすことはできないので、
偉そうなことは言えないけど、ちょっと書いてみた。
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