君が代・橋下氏

【新年度】橋下知事が任命式の国歌斉唱に「声が小さい!」
大阪府の新規採用職員任命式が1日、大阪市中央区の府庁新別館で開かれた。
今年度から式典の開会にあわせて国歌斉唱を導入。橋下徹知事は「声が小さい」と一喝。
「みなさんは国家のもとで仕事をするのだから、思想信条の自由とかいっている場合ではない。
国歌はきちんと歌うのが義務」と早速、新職員に橋下流の洗礼を浴びせた。

 ■橋下家の子供も歌えず…/市長「大阪市こそ中心」

任命式では例年、国歌斉唱は行われていなかったが、橋下知事からの指示を受けて実施することに。
今年は新たに137人が入庁。国歌を歌っている職員も、そうでない職員もいたが、
みな緊張した面持ちで式典に臨んでいた。
訓示のなかで、橋下知事は「うちの子供が国歌を歌えなくてびっくりした。
みなさんは公務員になって憲法を順守すると誓った。国家のもとで仕事をするのだから、
国家国民を意識しないといけない。これからはことあるごとに国歌斉唱をしていきます」と訴えた。

これまで国歌をきちんと歌ったことがないという男性職員は
「学校などで国歌を学ばなかったので、歌えなかった。日本人なのでこれからは歌えるようにしたい」。
別の女性職員は「歌えるけど、恥ずかしくて声が小さかった」と話した。

(後略)
http://sankei.jp.msn.com/politics/local/100401/lcl1004011205005-n1.htm

= = = = = = = = = = =

橋下氏の言動については、たまに違和感を覚えることもあるけど
この君が代の件については、これでいいと思う。

>これまで国歌をきちんと歌ったことがないという男性職員は…
こんな人がいるとは驚き。
子供が歌えない(知らない)というのもショック。
これほどまでに、日教組の汚染が広がっているとは。
>これからはことあるごとに国歌斉唱をしていきます
よい事だと思う。

日記(4/2)

朝、風が強かった。傘をだめにした。

ようやく差し歯が入った。
仮歯生活も終わる。硬いもの、弾力のあるものを食べるとすぐに外れるので
ずっとおそるおそる食べていた。
前回型をとり、今回入れたのだけど
以前、別の歯、別の歯科で差し歯を作ったときは、
被せる当日の歯の微調整にとても時間がかかったことを覚えている。
何度も削り、被せ、噛んでみるを繰り返していた。
今日も時間かかるのだろうなあと覚悟していたら
一度噛んでみてかみ合わせを確認し、問題なかったのですぐにくっつけた。
今はそういうものなのか?それとも、差し歯を作った人の技術がすごいのか?  

ようやく週末。
でも明日は外へ出なければならない用事がある。

日記(4/3)

髪カット …失敗 かも
最近はずっと同じ美容院で切っていた。どの美容師に当たっても大丈夫だったのに。
今日の人はだめだ…
料金も値上がりしていた。

その後友達とランチ&茶
長々とおしゃべり
春休みだし、土曜日のせいかうるさい子供がいた。

風が強く、まだまだ寒い。

祝ご入学

秋篠宮ご夫妻の次女、佳子さまは6日、学習院女子高等科(東京都新宿区)の入学式に出席された。
午前7時半すぎ、紺色のセーラー服姿の佳子さまは付き添いの秋篠宮妃紀子さまとともにご到着。
桜が満開の校門前で記念撮影に臨まれた。報道陣から「おめでとうございます」と声がかかると、
笑顔で「ありがとうございます」と応えられた。
産経
http://sankei.jp.msn.com/culture/imperial/100406/imp1004061055001-n1.htm


(4月2日)
眞子さま、ICU入学式に 「うれしさ、緊張半分」
秋篠宮家の長女眞子さま(18)は2日、国際基督教大(ICU、東京都三鷹市)教養学部
アーツ・サイエンス学科に進学、大学礼拝堂で開かれた入学式に出席した。
濃紺のスーツ姿の眞子さまは午前7時半ごろ、1人でキャンパスへ。
「おめでとうございます」と報道陣から声を掛けられると「ありがとうございます」と笑顔で応じ、
入学式を迎えた心境について「うれしさ半分、緊張半分です」と答えた。
ICUの今春の新入生は学部生と大学院生合わせて約600人。皇族のICU入学は眞子さまが初めて。
宮内庁によると、眞子さまは幅広く一般教養や語学を学んだ上で専攻する分野を決めたいと考え、
皇族の多くが進んだ学習院ではなく、2年の終わりまでに専攻を選ぶICUを受け、
特別入学選考(AO=アドミッション・オフィス入試)で昨年10月に合格した。
2010/04/02 10:26 共同通信
http://www.47news.jp/CN/201004/CN2010040201000235.html

= = = = =
秋篠宮家では内親王殿下お二人が今春、高校、大学へとご進学。
佳子内親王殿下はすらりとしてお美しい。
眞子内親王殿下はキリスト教の学校?という声もあるけれど
学びたい学科があるということだし皇室を侵蝕しようという目的で近づいてくる創価学会員も
ここには仕込まれていないと思うのでよい選択だと思う。
やはり皇室の話題はこのように、穏やかで清清しいものであってほしい。

このあと9日には親王殿下がお茶の水大学附属幼稚園にご入園。
さぞかし、おかわいらしいことと思う。

ただ、9日は学習院の始業式でもある。
年度末から登校拒否でマスコミが騒いでいる愛子さんの動向もおそらく出てくるだろう。

以前、親王殿下1歳のお誕生日映像と同じ日に、
突然1ヶ月前の雅子さんのラクダ乗り映像を出してきた時は驚いた。しかも常人ではないご様子だった。
他にも内親王様方の中学、高校の入学式映像に愛子さんのスキー映像を出してきたり。
何かというと、ニュースをぶつけてくるので不快。
東宮家の意図かマスコミの意図かはわからないが。


ニュースをもうひとつ

= = = = =
秋篠宮ご夫妻が出席 - 橿原神宮御鎮座120年記念大祭
2010年4月3日 奈良新聞
秋篠宮ご夫妻は2日、橿原市久米町の橿原神宮(飛鳥井雅慶宮司)で行われた
御鎮座120年記念大祭に出席された。
ご夫妻の公式来県は、平成19年11月に奈良市内で行われた文化庁の第5回国際フォーラム以来で、
橿原神宮公式ご参拝は初めて。
(略)
橿原宮参拝

http://www.nara-np.co.jp/20100403104619.html
= = = = =

橿原神宮は神武天皇(初代天皇)即位の地
このような皇族ならではのご公務はあまり報道されないことは残念。

日記(4/7)

新党誕生
「たちあがれ日本」もうちょっと保守らしい名前の方がよかったかな…
悪くはないけど。

でも今の売国内閣はマスコミもバックアップしているし、厳しい状況はまだまだ続くだろう。
日本はもう末期なのだろうか?

岡田は本当に許せない
=======
岡田外相、「不法占拠」の言葉使わず=韓国の竹島支配
岡田克也外相は7日の衆院外務委員会で、日韓両国が領有権を主張している竹島(韓国名・独島)を
韓国が実効支配している現状について、外相としては「不法占拠」という表現は使わないと繰り返した。
自民党の小野寺五典氏が「韓国が不法占拠していると明言してほしい」と迫ったが、
外相は「交渉当事者として不必要な摩擦を招かないようにしたい」などと説明した。
竹島について、政府は「歴史上も国際法上もわが国固有の領土」との立場。
外務省もホームページに「韓国による竹島の占拠は、国際法上何ら根拠がないまま行われている不法占拠」と
記載している。これに関し、外相は「従来の考え方を変えると言うことではない」と述べる一方で、
「わたしはそういう(不法占拠という)表現は使わない」と語った。
鳩山由紀夫首相は7日夕、首相官邸で記者団に「若干の答弁の違いはあるのかもしれないが、
政府としての考え方を変えたつもりは一切ない」と述べた。(2010/04/07-18:54)
時事ドットコムhttp://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2010040700871
=======

竹島の領有権問題がニュースになるたびに国際司法裁判所で決着をつけようという声を聞くけど
国際司法裁判所といえば、所長は小和田恒氏。竹島問題の張本人。だめだこりゃ。

こだわり

ドライブ好きの友人、もうすぐ10万キロらしい。
友人は、10万キロの瞬間は、どこか好きなところに出かけて達成したいと言っている。
近所のスーパーで10万キロではショックを受けるらしい。

…そういうものなのかな?
10万キロは積み重ねの結果であり、別にどこで迎えてもいのでは?と
私は思ってしまうのだが人それぞれのこだわり方があるのだろう。

今現在、何かにこだわりがあるだろうかと自分について考えてみたけれど
すぐには思いつかない。でも気がつかないところで、「こうでなければ」というのはあると思う。

何かにこだわりすぎるとそれが思うように行かなかった時にがっかりしたり、こだわりすぎて疲れたりもする。
その消耗がいや。
自分のことでもそうだが、人のがっかりぶりや消耗ぶりもあまり見たくはない。
どう言葉をかけていいのかもわからない。
触れられたくない可能性もあるし…

で、友達の10万キロこだわりに、私まで緊張している。
でも、かなり自分で操作できるこだわりごとなので大丈夫だろう。たぶん。

祝ご入園

悠仁さま、お茶の水女子大付属幼稚園に入園
秋篠宮ご夫妻の長男、悠仁さま(3)が9日、お茶の水女子大付属幼稚園(東京・文京区)の入園式に出席された。
紺のブレザーに赤いネクタイ、ハイソックス姿の悠仁さまは午前8時45分頃、右手に手提げ袋をさげて
ご夫妻と一緒に登園、出迎えた宮里暁美副園長に「おはようございます」とあいさつされた。
宮里副園長に「ご入園おめでとうございます」と声をかけられると、悠仁さまは「ありがとうございます」と答え、
その様子をご夫妻がにこやかに見守られた。
同大によると、今年度入園したのは、3歳児41人、4歳児29人の計70人。
式では新入園児一人一人の名前が呼ばれ、童謡「チューリップ」を歌ったという。
(2010年4月9日11時16分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20100409-OYT1T00495.htm

ご入園


= = = = = =
悠仁親王殿下、ご入園おめでとうございます。
映像では、音声はなかったけれど、口の動きできちんとあいさつしたことが分かった。
三年保育なので、眞子内親王殿下や佳子内親王殿下のご入園時よりもお小さいし
とても緊張したご様子だったが、それもおかわいらしい。
静かな環境の中で、お健やかに過ごしていただきたいと思う。
伸び伸びと子供らしい生活を送っていただきたいとは思うものの、皇位継承者。
警備はしっかりとしてほしい。




そしてやっぱりでた始業式報道。
いらないのに。
式には出ず、母親と一緒にホームルームのみ。
式典に出られないのは奇声を発するからなのか…(そういう特別学級の子、小学校の時に下の学年にいた)
今後は報道規制を敷くらしいので、たぶんこれからも通常の登校は難しいということなのだろう。
それでも、こちらも適切な療育を受け、おだやかに、静かに過ごしていただきたい。

日記(4/10)

次回、一番奥の歯を抜くらしい…
えっ じゃあもうインプラントか入れ歯しか道はないのでは…
親知らずであれば抜いたまま放置だけど、親知らずはずいぶん前に横向きに生えてきて歯肉を切開して抜いた。
麻酔はしていたけれど、脳天にがりがりと響くような荒業だった。
かみ合わせを整えるために、対になる上の親知らずも抜いた。
既に歯は足りないのだから、抜いてそのままということはないだろう…
インプラントなんて無理。
そんなお金があれば引越しか、旅行をしたい。
インプラントの恐い話も聞くし…
じゃあ入れ歯?それとも手前の歯とブリッジにするのだろうか?
久しぶりに歯を抜くのも恐いけど、その後どうなるのか、いくらかかるのかも恐い。
奥なので、ちゃんと噛めれば見た目はそれほど気にしないけど。


気分を変えたくてテンプレートに少しずつ手を入れている。
今回は「日本の伝統色 和色大辞典」http://www.colordic.org/w/を参考に
すべて和色で統一してみた。
背景は縹色(はなだいろ)記事欄背景は白磁 文字は漆黒
和色は色の名前ひとつひとつが、なんかいい。

記事上下の点線はCSS上で消してもどうしても反映されず、仕方がないので
記事欄と同じ色にした。
あまり人様からの見やすさは考慮していない。自分が気に入るかどうかそれだけ。
何度かCSSをいじったが、今回ようやく要領を得た …かも。
プロフィール画像も変えた。


今日はよい天気。洗濯日和。
休日に天気が良いとうれしい。


続きを読む

映画

映画館にはもうしばらく行っていない。
映画はあまり観ないし、観るとしたらDVDになってからのほうが多い。

映画館は結構苦手。
大画面はいい、大画面で観たい、という人が圧倒的に多いと思うけど
私は大画面は疲れる。酔うこともある。空気も苦手。

人と一緒に行って不愉快な思いをしたこともある。
某人(女性)と、仕方なく付き合いで行った映画:全くつまらないし、途中で酔って席をはずした。
何の映画だったかも覚えていない。

別の某人と、これまた仕方なく…というよりもう、いやいや行った映画
…面白くなかった。これは一緒に行った某人が気持ち悪すぎた。
おかしを食べようとしつこいし。いらないのに。
映画=何か食べながらと思い込んでいたようだけど皆が皆、そういうわけじゃない。
いらないよ。と言っても納得しない、しかもお菓子の箱を持てと言う。
は? なんで私が持つの? アンタが勝手に買ってきたんでしょ?
アンタが持ってアンタだけ食べれば? …と思ったけど言葉にはしなかった。
でも、こちらも折れることなく、お菓子の箱を持つこともなく、10回くらい食べろと言われたけれど
しょうがないので形ばかり、一切れだけ、ありがとうと言って食べた。
そいつが席を外した隙に帰ろうかと思うほどだったけど、堪えた。
映画が終わると同時に一目散で退散。まだ会ってから3、4回目の人だった。
その後、あの映画はつまらなくて申し訳なかった。でも自分は私がとった態度に傷ついたとか
ねちねち言い続けていた。その後会うことはなかった。
その時観た駄作は、今も覚えている。今もトムクルーズを見ると思い出してむかつく。
(今考えると私も超勝手だったな…でもそいつはやめて正解だった)

以前はひとりで映画館に行くことには勇気がいったけど今はそうでもない。(そもそもめったに行かないけど)
未だにひとりでは行けないという友達もいる。…でもよくよく聞いてみるとポケモン映画だって…
それはそうだろうなあ…友達は仕方なく甥っ子を連れて行くとのこと。


いい映画に出会えた時はうれしい。なかなかなくて残念。

日記(4/13)

明日はまた気温が低くなるということで、なかなか冬物がしまえない。

髪カット、やっぱり失敗。今回は結構毛先が痛んだ。
はさみの歯を持って斜めにしゃかしゃかと削いでいくような切り方。
切っているときに「うえーーー」と思ったけど何も言えなかった。
5回ほど行ったお店だけど、あの人だけはダメだ。
今度行くことがあったら、あの人以外の人がいいな
指名料がかかるから、指名したことはない。
○○さん以外でお願いします、なんて言えないし。
適当に○○さん以外の今までの誰かを指名するしかないか…
もう、店を新規開拓する気力もなくなってきた。
はずれが多いし。
首まわりがちくちくしていらいらする。

アパートの管理会社からお知らせが入っていた。
地上デジタルアンテナとジャックをつけてくれるらしい。
でも、工事に立ち会わなければならない。
それに既存のテレビジャック付近のものをよけておいてください。と書いてあったけど
既存のテレビジャックってどこにあるのかわからない。
ここに引っ越したときから屋根にアンテナはあるのにジャックがなくて不思議だなあと思っていた。
テレビは何でも見れる秘密?の小さな室内アンテナを持っていたので不都合はない。
とにかくジャックは目に付くところにはない。
うちだけだろうか?


間違った信念

「竹島、韓国不法占拠」信念で言及しない意固地外相 国会追及、宗男氏も参戦

http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100414/plc1004141301011-n1.htm
日本固有の領土であるにもかかわらず韓国が不法占拠している竹島(韓国名・独島)について
岡田克也外相が日本政府の立場である「韓国の不法占拠」という表現を国会答弁で避けている問題が
14日の衆院外務委員会で取り上げられた。新藤義孝議員(自民)の質問。岡田外相は自らの信念と繰り返し、
韓国への抗議など具体的対応への言及を避けた。
質疑途中には鈴木宗男衆院外務委員長が、韓国側への具体的な対応内容を資料で明らかにするよう
求める一幕もあった。主な質疑内容を再現する。

新藤氏「信念として『不法占拠』という言葉を使わないのはなぜか」
岡田氏「これは韓国に対してだけではない。よく聞いてください。ロシアにも同様だ。
    感情を排してしっかり議論する。交渉当事者として必要だと思うからだ」
新藤氏「それは政治家としての信念か、外相としての信念か。政権内で協議したうえでのことか」
岡田氏「ひとつの言葉遣いについてまで首相に判断を仰いでいない、外務大臣としての私の判断だ」
新藤氏「私は外交交渉の場で相手と対峙(たいじ)した席上、面前で使えと求めているのではない。
    ここは国会である。そこで日本政府の立場すら口にしない。それでは及び腰で弱腰という
    誤ったメッセージを送ることになるのではないか。国民に対応内容を明かさないのも問題で、
    ヘリポートの改修には抗議してやめさせる必要があるのではないか」
武正氏「累次の機会にしっかりと日本の立場を伝えている。個別やりとりを明らかにすることは差し控えたい」
鈴木氏「累次の機会というが、資料としてきっちり出してください」
岡田氏「副大臣答弁の通り(資料提出は控えたい)」
鈴木氏「答弁した内容に沿って資料を出してくださいといっているだけだ。累次の機会というが
    それを何を指すのか明らかにしてほしい」
新藤氏「委員長からもあったように、対応を明らかにしないのはおかしい。岡田外相は摩擦を起こすまいとして
    韓国側に一度も『竹島』と言ってこなかったといわれている。韓国はますますエスカレートさせている。
    政府として事態を表に出して公表して抗議し、日韓の外交協議の場を作ってほしい」
岡田氏「さきほどからいろいろ言っているが私の責任で決める」
新藤氏「黙ってろということか。日本国民は知らなくていいというつもりか」
岡田氏「外交は外務大臣の責任でやると申し上げた。
    今までのやり方ではだめで、私の信念でやっていくということだ」


= = = = = = = = =
あきれた。
信念で言及しないんだね。
こんな人が日本の外務大臣をしていいのだろうか。
どこの国の為に働いているのか。

日記(4/15)

抜歯
意外とあっさり抜けた。
抜く歯の周囲数箇所に麻酔。
麻酔の方が痛かった。
麻酔って普通の注射器じゃないと今日、知った。
打たれた感触は注射器なんだけど、なにやらピストル型の、でももっと丸みのあるようなぼってりとした形だった。
しっかり見てようかと思ったらその後目をタオルでふさがれてしまった。

麻酔もそろそろ切れてきたけど痛みもなし。
良かった・・
でも次、どうなるのか、入れ歯?差し歯?
インプラントは私の選択肢にはなし。

昔(10年位前)、歯を抜いた翌日は、必ず消毒に来てくださいと言われたものだが
今回は特になし。
歯医者によって違うのだろうか?
抜歯はそうたびたびあることではないので、よく分からない。


= = = = = =

今日は園遊会
浅田選手が、天皇陛下から
「このたびはほんとうにおめでとう」
「ずいぶん練習されたでしょう。よい成果が生まれてほんとうによかったですね」
とお言葉を賜ったとのこと。
これまで、ずいぶんと某国選手のためにいやな思いをしてきたと思うけど
天皇陛下からのお言葉で報われたと思う。
私は浅田選手に特に思い入れがあるわけではないが、とてもうれしく思った。

両陛下は招待客それぞれに心のこもった温かいお言葉をおかけになっている。
事前の資料に目を通しておざなりではないお言葉をかけてくださる。
その上今日のような肌寒い天気。
もうご高齢だし、ご負担の大きい公務だと思う。
でも、招待を受け、直々にお言葉を賜った方は生涯の思い出になるだろう。
他の皇族方も園遊会に出席はしているけれど、両陛下の重みは違う。
両陛下のご健康とますますのご長寿を心から願っている。

園遊会は、両陛下、秋篠宮両殿下、常陸宮両殿下、三笠宮寛仁親王のご長女彬子さま、
徳仁さん、高円宮妃久子さまが出席した。

第944回「「電話での会話は好きですか??」

FC2 トラックバックテーマ:「電話での会話は好きですか?」
昨日のトラックバックテーマ

電話は好きではない。
仕事でもプライベートでも。

長電話もすることはあるけど、こちらから電話をするということはほとんどない。
友達とも大抵の用事はメールで済ませている。
電話で話すことが苦にならないのは母くらい。
母との電話以外はあまりうれしくはない。
あとは親しい友人でも、母以外の家族でも
沈黙の時間を作らないように意識を働かせながら話す。疲れる。

仕事は電話のない仕事を選んでいる。
本当に苦手。かけるのも、受けるのも。
電話の仕事をしていたことも過去にはあるし、大きな失敗をしたこともないのに
どうしてもいやだ。緊張する。

仕事ではないけど、予約とかで電話をするのにもどきどきする。
あらかじめシナリオを作っておく。
相手から予想外のことを言われると、よく考えず適当に返事をしてしまうこともある。

セールス電話は大嫌い。

さほど親しくもない人からの電話は迷惑。
相手は会話を盛り上げようとしているのだろうけど
根掘り葉掘り何か聞かれるのは鬱陶しいし、趣味についてさほど親しくもない人と電話で語り合うほどでもない。
電話がきて「うれしい~」と感じるのは相手を好きになってから。
そこまでの気持ちがないと(心の声)(大した用もないのに電話すんな!)という感じ。

発信者番号が出るようになったことは本当にありがたい。
出たくない電話は容赦なく無視している。

電話が苦手というより会話が苦手なのかもしれない。

日記(4/17)

雪が降っていてびっくり。
関東では最も遅い雪の記録に並んだらしいけど
このあたりは、もっと遅い年もあったらしい(私の記憶にはない)

天候不順で野菜の価格が高騰している。
安いもの、でも国産のものを選んで買っている。さほどの不自由はない。
昨日は県内産のいちごをこの春初めて買った。
いたむ寸前で、安くなっていた。今朝、さっそく食べた。
昔に比べて、いちごはずいぶん甘くなった。
甘いいちごは大好きだけど昔の路地物の濃い味も忘れがたい。
こう寒くては、いちごを食べても春という気はしないが。


= = = = = = = =
一昨日のネット記事より

40歳でゲーム漬け…ひきこもりも高齢化 人格固まり抜け出せず
http://sankei.jp.msn.com/life/body/100414/bdy1004141239000-n1.htm
10代の子供を持つ親の悩みに応えようと約20年前に設立された
「中卒・中退の子どもをもつ親のネットワーク」(事務局・大阪府枚方市)の会合に近年、
20代から40代のひきこもりの子供を持つ老齢の親の参加が増えている。
親の年金に頼る高齢ひきこもりは、生活保護予備軍とも言われるが、
学校などを通じて状況が把握しやすい若年層と異なり、実態はあまり明らかになっていない。
「どうしたらよいのか」。家族たちは途方に暮れている。
大阪市北区の公共施設。4月初旬、ひきこもりの子供を抱える親ら6人が集まった。
「家ではゲームばかり。反抗期のままずっといる感じやね」。60代女性がそう打ち明けると、
別の女性も「うちもそう。12歳で時間が止まってしまった」とうなずいた。
会合は月に2回。当初は中卒や高校中退の人らの職を考える場として始まったが最近は、
20歳以上のひきこもりを持つ親が目立つ。
60代女性の30代長男は高校卒業後、通信会社の作業員として働くが「自分一人で昼ご飯を食べるのが嫌」と、
周囲とのコミュニケーションが取れなくなったことをきっかけに、
次第にゲームに夢中になり部屋にこもるようになった。
ひきこもり状態は8年。無気力で親が部屋に入っても怒ることはない。
「将来どうするの」と尋ねても「いつでも働きに行ける」と言うだけだ。
長年にわたって会員の悩みの聞き役を務めてきたネットワークの世話人代表(67)の家庭でも、
予期せぬことに、40代の長男が昨年から突然ひきこもりになったという。
機械設備の検査員として約20年間働いたが景気悪化の影響もあって昨年3月に解雇。部屋に入ったきり、
ほとんど外に出なくなった。食事は自分で用意しているが、米と塩昆布だけの日も。
「口に入れるものがあれば何でもいい」というその日暮らしの生活だ。
長男を家から追い出して自立を促すことも考えているが
「一人暮らしをしても、どこかで餓死してしまうかも」と途方に暮れる。
大阪府が今年度からひきこもりの支援ネットワークをつくるなど、ひきこもりの支援策は広がりつつあるが、
支援の対象者は実態が把握しやすい学生が中心。高齢ひきこもりへの支援策はほとんどない。
代表は「中学生や高校生ならやり直せるが、20歳を超えると人格が固まってしまい、
なかなか抜け出すことはできない。先が見えなくて真っ暗闇だ」と話していた。
= = = = = = = =

私はひきこもりではないけど、ひとごとではない。
いつこのようになるかわからない。

水いらず

天皇ご一家、皇居内の畑でイネやアワの種まきを楽しまれる
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00175701.html
天皇ご一家は17日午後、皇居内の畑で、イネやアワの種まきを楽しまれた。
皇太子さまと愛子さま、秋篠宮ご一家を乗せた車は17日午後、皇居・半蔵門に到着した。
天皇ご一家は、毎年この時期に「おかぼ」と呼ばれる陸稲(りくとう)やアワなどの種まきを行われている。
両陛下は、愛子さまや、4月に幼稚園に入園したばかりの悠仁さまと一緒に、
家族水入らずで、皇居内の畑に種をまかれた。
(04/18 00:48)

雅子さんは欠席

>種まきを楽しまれた。
と書いてあるけど、お遊びではない。陛下の大切な仕事のうちのひとつ。



(ひとりごと)
水というより泥水の人 もはや欠席理由にも言及されなくなった。
毎日学校に付き添いしているそうなので、体調は安定していると思うのだが。

第946回「爪は伸ばす派?深爪派?」

FC2 トラックバックテーマ:「爪は伸ばす派?深爪派?」



深爪。白い所が見えなくなるまで切りたい。
ちょっと伸びるとすぐに切りたくなる。
爪を切るとすぐにちょっと伸びた爪が必要な出来事に遭遇する。
ネイルアートには興味がないが、爪をピカピカに磨くのは好き。

日記(4/20)

地デジアンテナ工事終了。
もともとのジャックがなくて、大掛かりな工事になると思いきや
壁に四角い穴をあけて、コンセント口のような蓋をつけて、線を引き込む30分足らずの工事だった。
(外の工事は大掛かりだったみたいだけど)
工事をしている最中は、何をしていたらいいのか、こういう時はいつも迷う。
他に部屋があればそっちに移動すればいいのだろうけど
一部屋しかないし、のんびりくつろいでいるのもどうかと思うし、
世間話は天気の話で終わってしまうし…
話好きの人ならば、工事のお兄さんにいろいろ話しかけたりするのかな?
二言、三言しゃべり、あとは工事をなんとなく眺めていた。

こういう工事の人はNHKの集金人とつながりがある、と聞いたことがあるんだけど
本当だろか?
工事の人は、TVないんですね。でも室内アンテナがあるんですね。と(多分)何気なく言った。
きっとパソコンで見ていることはわかっただろう。
そんなことはないと思いたいが、NHK集金人に情報が行けば、きっとまた来るだろう。
でも、アパート管理会社を通しての工事なので、工事の人は住所と部屋番しか知らないはず。
そもそも引越し後は未契約状態なので、契約に応じなければあちらも未払い→強制執行まではできない。
建物のアンテナの位置も変わったし、アンテナが各部屋に引き込んであることは
外から見て分かるので、工事の人に関係なく、このアパートは狙われるだろう。
玄関にNHKのシールを貼っている人、この階にはいないんだけど、他の部屋の人はどうしているのだろう…?

NHKと言えば
一昨日の酷いプロパガンダ番組、NHKスペシャル プロジェクトJAPAN
タダで見たくせに文句を言うのはどうかと思うが、
あれでは「みなさまのNHK」ではなく「半島のみなさまのNHK」だろう。
プロジェクトJAPANではなく、プロジェクトKoreaだろう。あるいはプロジェクトJAPAN《洗脳》か?
日本の公共放送とは思えない偏向ぶり。
伊藤博文を悪者にしたてあげ、暗殺者の安重根は東洋平和と自主独立を願う義士
はあ?
朝鮮王妃を暗殺の経緯も、条約締結の経緯も捏造
韓国併合は国際法で合法と結論づけられているのに合法ではないとも受け取られる表現
日本国民からお金を徴収して(わたしは払ってないけど)反日番組。
NHKっていつからこんなに腐ってしまったのだろう。
今後も絶対、こんなところにお金払いたくない。

日記(4/22)

昨日は暖かいと思ったら、今日はまた寒い。
冬物も暖房器具もまだしまえない。

今日は雨も強いというのに、なんとなく歩いてもいいかなという気分になり
歩いて帰ってきたら、またきゃっぽり。

通販で買った帽子、恐ろしいほど似合わない。
帽子で押されて前髪も鬱陶しい。
返品することにした。
がっかり。
私は前だけ鍔のある帽子は合わないようだ。
ふん。

最近皮膚の調子が悪い。
乾燥している。
今日は湿度が高いので大丈夫かと思ったら、今日もかさかさ。
もう老人性なんたらの乾燥症なのだろうか。

第949回へ
伊勢神宮はパワースポットではあるけれど
伊勢神宮は日本の繁栄、皇室の繁栄を祈るところ。

伊勢神宮に限らず、神聖な場所に行く時には
本来の意味や由来も理解し、静かにひと時を過ごしたいものである。
パワースポットめぐりも癒し目的であればまだいいが、開運目的で変な念をむんむんと放出している人もいる。
人それぞれでいいけど、できればそういう人とその場の共有はしたくない。

確かに「良い気」に満ちた場所は確実にある。
第949回の人が書いているとおり、伊勢神宮は別格だった。
国のことを祈りに行った結果として、良い気を浴びることができるという恩恵がある。
パワースポット目当てに行くことは本末転倒なのでは と個人的には思う。

= = = = =

不思議?なニュース記事があった。

皇太子さま 大極殿視察…大遣唐使展ご鑑賞も
皇太子さまは22日、国特別史跡・平城宮跡(奈良市)に復元された
大極殿(だいごくでん)の完成記念式典出席のため、奈良県入りされた。
(中略)
大極殿は天皇の即位など国家的儀式が行われた重要な建物。
(中略)
内部では、「瓦は出土品を基に復元されたのですね」などと質問し、
儀式の際に天皇が座った「高御座(たかみくら)」の実物大模型の前では、
「テレビドラマで拝見しました」と話されていた。
(以下略)
http://osaka.yomiuri.co.jp/news/20100423-OYO1T00205.htm?from=newslist

テレビドラマで見た?
徳仁さん、今上陛下の即位の礼で本物を見たはずなのに・・
※高御座は、天皇の正式な所在地を示す特別な玉座
この人、本当に高御座に座ることができるのだろうか?
家族だけの幸せを選び、一般人となった徳仁さんが
秋篠宮文仁親王殿下の即位を「テレビでみる」ことになることを希望する。

だったら初めから騒ぐな

愛子さまの通学状況、東宮大夫が公表せず
宮内庁の野村一成・東宮大夫は23日の定例記者会見で、
学習院初等科3年生になった皇太子ご夫妻の長女愛子さま(8)の通学状況などについて、
「特にお知らせすることはありません」として明らかにしなかった。
愛子さまの通学に関する問題は、3月5日の定例会見で野村大夫が「学校生活への不安を訴え欠席している」
などと発表し、波紋が広がった。
野村大夫は「公人たる愛子さまの様子を紹介するのは大事」と述べていたが、
23日の会見では一転して、「その都度発表するのは控えたい」とした。
(2010年4月23日19時44分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20100423-OYT1T01190.htm?from=main4


雑誌によると
今も一部の授業しか出ていない
母親が今も付き添っている。

だそうだ。

発表できるような状況ではないのだろう。
欠席がちなのは元気生徒に関係なく、前からそうだったのだからわざわざ騒ぎを起こすことはなかったのに。

牛乳寒天

やっと牛乳寒天を見つけた。
前から探していたのに、なかなか置いてある店がなくて
大きなスーパーでレジの列の前の人が買っているのを見たけど
そのスーパーのデザートコーナーとか、プリン、ヨーグルトコーナーにもなくて
しばらく探していたら、なんとお惣菜コーナーにあった。

本当は牛乳寒天だけのが欲しかったけど、みかんの缶詰が入っている。
仕方がないのでそれにした。
食べてみると、みかんの缶詰は邪魔にならず、おいしい。

牛乳プリンや杏仁豆腐は大抵どこのスーパーにもあるけど、牛乳寒天はなかなかない。
牛乳寒天は、実家にいる時はよく作っていた。
以前は棒状の寒天をちぎって、ふやかしていた。
今はパウダー状のものがあるので簡単。
自分で作ればいつでも食べられるんだけどなんだか面倒。

ところで、みかんは好きなのに、みかんの缶詰はあまり好きではない。
今日の牛乳寒天の中に入っているのは悪くはなかったけど
あれがきゅうりとわかめの酢の物に入っていたりするとがっかり。
ずっと前、どこかで食べた冷やし中華にあれが入っていてびっくりした。


日記(4/27)

一体、いつになったら暖かくなるのか?
今日もしけざむい。

もうゴールデンウイークも始まる。
平日休みを一日とったのでまとまった休みになる。
あさってから気温は平年並みになる「見込み」と天気予報では言っているけど、信じていいのだろうか?
帰省するのも、持っていく服はどうしようか、迷う。

友人からTEL。30分ほどしゃべった。
友人も歯医者に通っているとのこと。
その歯医者では歯だけではなく、全身の健康と関連づけた歯の治療をしてくれるらしい。
なかなか予約がとれないとも言っていた。
なるべく抜かないような治療をしてくれるらしい。
私は義歯になるかも~と言ったらびっくりしていた。
私だってびっくりだよ。母ですら、去年やっと義歯デビューなのに。

肌寒い日が続いていて、いいこともある。
桜が長持ちしている。

産経記事より

【正論】宗教学者・山折哲雄 昭和の日に「国のかたち」を思う
戦前の昭和天皇の時代、4月29日の天皇誕生日は「天長節」と呼ばれていた。それが戦後になり、
「国民の祝日に関する法律」の制定にともない、正式に「天皇誕生日」となった。
やがて天皇崩御のあとをうけて「みどりの日」と変わり、平成19年からは「昭和の日」と改められた。
今年は、そのときから数えて4年目を迎える。

≪デモクラシーからめて論議≫
この時代の移りゆきのなかで、皇室の歩みも変容のあとを刻んできた。それが象徴天皇制のあり方に
さまざまな形で影響を与えてきた。ここではその象徴天皇制の現在、といったことを
念頭において若干の問題をとりあげ、昭和天皇をしのぶよすがとしたい。

今日の象徴天皇制の基礎が、戦後の新しい憲法の理念のもとにつくられたことは周知のことだ。
もっとも、戦後まもなくのころは昭和天皇の戦争責任の問題がとりあげられ、
天皇は「退位」して責任をとるべきだとする意見があった。
また、そもそも天皇制は、たとえ新憲法下にあっても占領軍によって導入されたデモクラシーと
矛盾するものではないかと考える人々がすくなくなかった。
そのような懸念や批判が、社会の底流には色濃くのこっていたと思う。

≪緊張関係から穏やかなものに≫
一方、この新憲法の理念を制度化していくプロセスでは、天皇による「人間宣言」が発せられ、
戦前からの「国家神道」を解体する政治的な動きが強まっていた。
「政教分離」の政策が推しすすめられるようになったのである。この政教を分離すべしとする声のなかには、
戦後の象徴天皇制といえども、時代の新しいイデオロギーとして登場してきたデモクラシーとは政治理念の上で
分離しておいた方がよいとする考え方が横たわっていたと思う。世間の大きな流れもその方向に傾いていたのでは
ないだろうか。その意味において、戦後になって誕生したばかりの象徴天皇制は、まだ戦前の旧天皇制の残影を
引きずっているようなところがあった。
ところがどうであろうか。このような敗戦直後における象徴天皇制とデモクラシーの関係は、
戦後半世紀の歳月をへて、大きな変化をみせるようになったのではないだろうか。
昭和天皇による全国ご巡幸、現天皇と美智子皇后のご成婚など、皇室の側からする開かれた天皇ご一家のあり方が
国民の前に示されたことも、大きな変化を告げるきざしとなった。そのうえ、世界情勢の進展とともに、
戦前のことを知らない新しい世代が登場してきたということも重要な契機になったにちがいない。
ともかくも気がついてみれば、象徴天皇制とデモクラシーがこの国の政治・外交上においても、
われわれの生活感覚の面においても相互補完的な安定軌道にのりはじめていたのである。
いうところの戦後民主主義と象徴天皇制が、かつての矛盾をはらむ緊張関係から調和のとれた穏やかな関係へと
推移していたといってもいいだろう。戦前の「国家神道」にみられる「政教一致」的なものへの復帰を
疑わせるような懸念が払拭(ふっしょく)され、戦後的な「政教分離」を担保する象徴天皇制への軌道が
しかれるようになった。そして日本の「国のかたち」がそのような方向でしだいに浮かび上がってくるように
なったとき、象徴天皇制にたいする国民の安定的な支持もしだいに広がりはじめたとみることができるのである。

≪象徴家族と近代家族の役割≫
けれども、そのような情勢の変化にともなって、新しい困難な課題が生じてきたことも認めないわけには
いかないのではないか。皇室にとって避けて通ることのできない、もう一つの危機的な状況である。
一口でいえば、皇室にはそもそも、「象徴家族」としての顔と「近代家族」としての顔がいわば
二重構造の形で植えこまれてきたということだ。その二つの顔をどのようにバランスさせるか、
という困難な課題である。
もちろん象徴天皇制の核となるものが、皇室の「象徴家族」としての役割にあることはいうまでもない。
だがそれと同時に、もう一つの「近代家族」的な理念と心情を支えていたのが戦後民主主義の流れであったことも
忘れてはならない点である。そしてこの問題こそ、さきにふれたように戦後における象徴天皇制と
新しく導入されたデモクラシーとをどのようにバランスさせるかという課題と深くかかわっていたのである。
この二つの異なった「家族」像を内面的に結びつけるための回路として重要な役割をはたしてきたのが、
今日「宮中祭祀(さいし)」という名で語られる皇室の伝統的な行事だったのではないだろうか。
和歌を詠み、書や写経に親しむ奈良、平安以来の伝統をはじめ、祖神としての伊勢神宮へのご参拝や
皇室の菩提寺へのご参詣など、神仏への敬虔なご奉仕もまた、この「宮中祭祀」のあり方と
切っても切れない関係にあった。われわれは今、「象徴」の意味をあらためて柔軟に考え直していくときに
きているのではないか、と私は思う。(やまおり てつお)

http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/100429/acd1004290307000-n1.htm

切り抜き

今日は昭和の日 
昭和天皇に関する切り抜きをひっぱりだしてきた。


毎日新聞平成三年(日付不明)
===============

新編戦後政治 31 編集委員 岩見隆夫

 まもなく真珠湾攻撃五十周年がやってくる。開戦、そして終戦のころの昭和天皇を知る人たちは
 ほとんど故人になったが、終戦の一九四五(昭和二十)年暮れ、
 天皇と直接言葉をかわした生き証人が二人いる。一人は元法相の長谷川峻衆院議員、七十九歳、
 もう一人は元日本共産党委員長の田中清玄、八十五歳――。
 四五年十二月八日は真珠湾攻撃四周年の日だが、同日付の『入江相政日記』には
 「宮城県の青年団が今日から三日間宮殿のお焼跡の整理をやってゐる所へお出ましになり、
 団長に色々お詞を賜はる。実に感激してゐた。続いて皇后宮もお出ましになる」(原文のまま)
 とあるが、その団長が長谷川峻だった。長谷川は、東久邇稔彦首相の秘書官をつとめたあとである。
 「首相官邸もゴタゴタの最中で、農林大臣なんかなり手がない。
 宮城の田舎に帰ったのは終戦の年の十月ごろだねえ。米はないと言ったって、まああるでしょ。
 天皇陛下に月給もらったことはないけど、皇居は三月の大空襲で焼けたままだと言うし、
 進駐軍がきたら威張りだす。国民は放心状態だろう。まあ、お百姓ができることといったら、一つ
 皇居の草でも刈ってね、草と瓦(かわら)を片付けたらどうか、という話に自然になりましたよ」
 といま、長谷川は言う。
 それでは、と長谷川は農村と皇室の両方にくわしい、伯爵あがりの有馬頼寧(第一次近衛内閣の農相)
 に相談にいったところ、有馬は、
 「長谷川君、そりゃ早い。オレなんか、いまからサンフランシスコかハワイか、どっかの刑務所に
 入れられるという話があるくらいだよ」
 と反対した。緒方竹虎書記官長(いまの官房長官)にも話してみたが、緒方はやや積極的で、
 「どこの役所にも総務課というのがあるから、宮内庁にもあるんじゃないか。そこにいってみろ」
 と言う。長谷川は青年団の先輩と二人で宮内庁を訪ねた。総務課長は筧素彦といった。
 「実は皇居の中を清掃してお慰めしたい」
 「そうですか。よくそのことに気がつきましたね。いいですよ。いつからにしますか」
 「二週間後の十二月八日に」
 「それじゃあ、お待ちしてます」
 とあっさり決まった。書類をだすわけでもなく、許可証一枚ない。
 日本の役人も非常の時には決断するものだ、と長谷川は感心したという。
 それから郷里、宮城県栗原郡にとってかえし、
 青年男女六十三人で「農民みくに(御国)奉仕団」を編成した。
 東京にくりこむまでの苦労話は割愛するが、汽車の切符と宿舎の確保にとりわけ難儀したという。
 開戦記念日の自覚などなく、偶然に十二月八日清掃作業開始。
 「なかに入ったら、豊明殿も焼けたまま、きれいな庭があったあたりはもう瓦やらなにやらで
 がちゃがちゃ、金庫なんかもひっくり返ったままだし・・・・。
 あ、案内役の私としては、作業をしている時に、天皇陛下か皇后陛下が垣根の外ぐらいから
 ご覧になることがありはしないか、という期待感はありました。口にはだしませんよ。
 青年諸君は持ってきた紅白の餅(もち)をなんとしても陛下に差し上げてくれと言うもんだから、
 筧総務課長に受けとってもらった。そして、一時間ほど作業をしたら天皇陛下が歩いてこられたんだ。
 道なんかないんだから、こわれたコンクリートの土台石を伝ってね。
 五、六人侍従服を着た職員を連れて、よれよれの中折れ帽をかぶって、靴はまくれていたなあ。
 とにかく、陛下が庶民に会うのはこれが初めてなんだから。日本の歴史はじまって以来ですよ。
 こう、空に向かって、一言ずつしゃべられるんだなあ。
 『あっ、そう』というのは、その時からはじまったんだから」
 天皇は
 「どこからきたか。何を食べているか」
 などと聞かれた。長谷川は
 「米は口に入りません。供出しているものですから」
 と答えた。団員は作業の手を休めて、ただ立っていた。約十分ぐらい。帰っていかれる時、だれかが
 「長谷川さん、君が代を歌いましょう」
 と言い、歌いだした。天皇はその間、足を止め、背中を向けたまま立っておられた。
 二、三十分すると、今度は皇后陛下がやってこられた。天皇陛下のお勧めだった、とあとで聞いた。
 役場の職員をしている女性団員が前にでて、話のお相手をした。黒い上っ張りのすすけた職員服に
 手は真っ黒、前日から風邪もひいていたが、仕方ない。皇后は牛革みたいな、あまり上等でない
 オーバーを着ておられた。
 「何を食べていますか」
 と聞かれた。当時は食べ物の話がなによりも先行した。
 「つめえりです。」
 と女性団員が答えた。田舎の方言である。
 「それはどんなものですか」
 「みそ汁に、粉を練ったものをとぽんとぽんと入れます」
 「それは、東京ですいとんと言いますよ」
 この「すいとん問答」にはみんな感激した。一日延ばして、結局四日間作業し、最後の夜、
 二重橋の前に整列した。侍従次長がきて、ねぎらいの言葉のあと、
 「あなた方が持ってきた餅だが、皇居では国民からいただいたものを直接口には入れません。
 だから頼んでアラレにしてもらって、皇太子殿下はじめ全部皇居に集めて
 『いま時、こういう人たちがいる』 とお話しになりながら食べましたから」
 と言った。全員、真っ暗な二重橋を渡り、外に出てから万歳をして帰った。
 これが皇居清掃奉仕団の始まりである。のち全国の県に広がった。 (敬称略)

===============

もう、20年近く前の切り抜き。

言葉遣いはともかく、毎日新聞のくせに良い話。
ここから、奉仕団への会釈をさぼっている人の話につなげたりはしない。汚らわしい。

以前に御真影に並ぶお写真という記事をここで書いたが、
その家の親戚がこの御国奉仕団に参加していてその写真もあった。
奉仕団に参加したことを何十年経っても喜んでいたことを思い出す。
参加した親戚も、長谷川さんももう故人となった。


「つめえり」は現在、当地でも使わない。
「ひっつみ」もしくは「はっと」
家では終戦の日に今でも食べる。
カテゴリ
月別アーカイブ
ブログ内検索
書き主

おおやしまねこ

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文: