世界名作?劇場

この間、友達と、昔観ていたアニメという話になった。
世界名作劇場のシリーズは良かったね~などと盛り上がった。

あのシリーズ、ハイジ~ペリーヌまでは観ていた。(ラスカルは途中まで)
その後しばらく観なくなり、大分大きくなってからセーラ、ポリアンナ(途中まで)を観た。
子供の頃はストーリーが面白いと思ってみていたが
大抵の場合、主人公はあまり好きではなかった。

特にポリアンナは大嫌いだった。
あのテンション、良かった探しの鬱陶しさ。親切の押し付けがましさ。
当時、学校の友達と「あのガキ、ムカつくよね~」などと毒を吐いていた。
あまりにも憎みすぎて、ポリアンナが事故にあった回を最後に、
自分の中では奴が死んだことにして勝手に葬り去り、観ることをやめた。
(私の性格の悪さはとひねくれぶりは筋金入り)
以前、こまっしゃくれた子役は嫌いだとブログ内のどこかで書いたことがある気がするけど
この手のアニメの主人公に対しては、それに通じる嫌悪感がある。

ハイジの頃はかなり小さかったので毒は吐かなかったが
ハイジの性格もあまり好きではない。
おじいさんのような生き方に憧れていたことと、ストーリーとしてはかなり良質なこと、
フランクフルトのセバスチャンや犬のヨーゼフが大好きなので、見つづけていた。

ハイジは大人になってから、再び観る機会があったが、大人の目で観るとまた違う。
おじいさんの生き方にも一層共感できるようになったし、ロッテンマイヤーさんはいじわるなのではなく、
ただ自分の職務に忠実だっただけだし、ハイジの性格も以前よりは受け入れられるようになっていた。


あのシリーズで好きなのは母をたずねて三千里と、ペリーヌ物語。
ペリーヌは押し付けがましくない性格なので嫌いではない。
母をたずねて三千里の主人公の友達のフィオリーナも地味で控え目でいい。
どちらも長い長い旅をして、最後にめでたし、めでたしという話も好き。

セーラも、善意の塊で本来は好きではないはずだが、とことん苦労するせいか嫌いではない。
(セーラママと言ってまとわりついている小さな子は大嫌いだった)
フランダースの犬、ああいう結末はやだ。
私よりも斜めの見方をする友達は
「あの犬が不幸を呼んだ。あの犬を飼い始めてから貧乏を極め、いじめられ、天涯孤独になり、
 コンクールには落ち、放火犯の疑いをかけられ、最後は凍死。すべてあの不幸顔の犬のせい」
 …それは違うだろう… あの不幸顔の犬がいなけりゃ話が展開しない


ところでハイジは盗作?かもしれないらしい

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「アルプスの少女ハイジ」原作に盗作?疑惑
4月13日10時51分配信 読売新聞
【ジュネーブ=平本秀樹】スイス人女性作家ヨハンナ・シュピリが1880年に書いた小説「ハイジ」が、
その50年前にドイツ人作家が書いた別の作品によく似ていると若手文学研究者が指摘、
スイスメディアは、「ハイジの“父親”はドイツ人だった」などと大きく報じている。
この小説はアニメ「アルプスの少女ハイジ」の原作で、騒ぎのきっかけは、
ドイツで活動する文学研究者ペーター・ビュトナー氏(30)が、
ドイツ人詩人・作家のヘルマン・アダム・フォン・カンプが1830年に発表した
「アルプスの少女アデレード」と題する作品を偶然見つけたこと。
この作品の主人公の名前アデレードは、ハイジの本名(アーデルハイド)とそっくりなうえ、
作品の筋書きや描写もシュピリの原作小説と酷似しており、
シュピリが、この作品を下敷きにした可能性が高いという。
スイスのフランス語紙「バン・ミニュット」は、「ハイジは盗作。神話は崩壊した」と報じるなど、
スイス国内で波紋が広がっている。

読売新聞  http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100413-00000477-yom-soci
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事実だとすれば残念なことだ。

そしてハイジ関連でもうひとつ
初めて見た時、おなかを抱えて笑った日産のCM
低燃費少女ハイジ 低燃費オンジ篇
http://www2.nissan.co.jp/NOTE/E11/0801/index.html?page=w10

日記(5/13)

友達とごはん。たけのこ料理。
話好きの人なので、あいづちを打ちながら聞いているだけ。
それすら、途中でふっとめんどくさいなあ・・などと思ってしまう。

たけのこ料理は不思議な味?だった。

そういえば
ずっと前、友達の家でハヤシライスをごちそうになったことがあった。
その時、ハヤシライスの中に薄切りのたけのこ(水煮)が入っていてとても不思議だった。
家では入れたことがないし、周囲の友人、知人に聞いてみても入れないという。
でも今、ちょっと検索してみたら、新玉ねぎとたけのこのハヤシライス というレシピがでてきた。
(友人宅のハヤシライスはそのレシピとは違い、一緒に煮込んでいたけど)
たけのこ自体にはあまりくせがないので、いろんな料理に使えるのだろう。

でも、本当はたけのこは余り好きではない。嫌いというほどでもないけど。
若竹煮やチンジャオロース位にしか、自分ではたけのこを使わない。

日記(5/15)

もう5月中旬だというのに4月初めの気温という日が続いている。
もう桜も終わっているのに、お花見の頃の気候のよう。
そのせいかどうか、ふと今何月だっけ?と思うことがある。


でも、あたりまえだが日差しは暦どおり。
日光かぶれの季節で日傘必須。
夜明けも早い。

近所の藤の花は今が見頃。

ゴールデンウイークの帰省時、毎年食べているはずの野菜も天候不順で生育が遅れていた。
グリーンアスパラもきぬさやもキャベツもまだ食べられなかった。
去年の冬に畑に活けておいた大根や白菜をまだ食べていた。
ニラはまだ出始めで、とても柔らかくておいしかった。
ゴールデンウイーク時には通常食べられないばっけ(ふきのとう)みそが食べられたことはうれしかった。
※ふきの種類によって時期が違うし、ばっけみそは保存食でもあり、長い期間食べられるのだろうけど、
 うちでは出始めのばっけを七草粥に入れる⇒早春の食べ物というイメージ 
今回はもらってくる野菜もなく、ちょっと寂しい。


家の畑は母しかやらず、もう年だからやめてもいいのでは…と
私も他の家族も言うのだが、やはり自分の家の野菜が全くないのもつまらない。
自家製野菜はありがたい。
でも母の仕事は減らしたい。
一緒に住んでいる家族が手伝おうとしても、それはそれで、母は手出しされたくないようだ。
出来る範囲で、趣味程度に気楽に土いじりしてほしいと思うのだけど
なんだかんだでやることはいっぱいある。
私も、口だけ「疲れるからやめたら?」といいつつ、手伝いもせず、
そのくせ「何か野菜ない?」と期待してしまう。勝手だと自分でも思う。

でも、一番むかついているのは親戚(きょうだいの結婚によって新しくできた親戚)が
かなりずうずうしく、家の野菜を要求することである。
野菜の種類や何日に何があるから丁度その日に食べごろを合わせてなどという注文をつける。
(私の心の声:そんな細かい拘りがあるなら店で買え)
向こうもお返しをいろいろ送ってくるし、物のやり取りは頻繁。
まあ「付き合い」ということなんだろうけど。

えきねっと ?

えきねっと 
同じサイト内なのに運賃料金案内ページで計算した金額とJR券申し込みページで計算した金額が違う
どちらも乗車券だけで計算
どちらも往復割引が適用されている
乗り継ぎ、経由駅等の条件は同じ
えきねっと割はなし
運賃料金案内の下方に途中下車の有無によって料金が変わると注意書きがあるが途中下車はなし

運賃料金案内の方が1000円近く安い

4年前、同じ区間をやはりえきねっとで買ったときはJR券申し込みページと同じ金額
3年前、同じ区間を窓口で買ったときは運賃料金案内と同じ金額
3年前の方が安い。
値上がりではない。

今回、えきねっとでは特急券のみ購入
乗車券は窓口で買ってみた。
すると、JR券申し込みページ=4年前と同じ。高い方の金額。

では3年前、窓口で買ったとき、それから今回単に区間だけを入力して出た金額はなんだったのだろう。
3年前の窓口の人は不慣れだった。「アレ?」と言いながら2回くらいやり直しをしていた。
だから本当の料金は高い方が正しいのかもしれない。
運賃料金案内ページの計算方法は違うということになる。
今回の、窓口の人に聞いてみようかとも思ったけど
混んでいたし、めんどくさいのでやめた。
1000円の違いというのは結構大きいと思う。

しかも、ちゃんと日付をいれているのに
時間も列車番号も一部違っているし・・乗り換え時間があまりなくて猛ダッシュするはめになったよ・・・

窓口にしろ、えきねっとにしろ、計算の仕方が変われば料金が変わる可能性がある?ということ?

またまた伊勢神宮へ

三度目の伊勢神宮参拝へ行ってきた。

一度目は2006年2月。どうしても皇室の安寧と男系男子継承維持を祈りたくて行ってきた。
二度目は翌年2月。お礼参り。
そして今回3年ぶりに参拝。
日本や皇室が異物に侵食されている、そうひしひしと感じることが多々あり
祈りはどこに居てもできるけれど、どうしても行きたかった。
去年位から「行きたい、行きたい」と思っていたが、なかなか時間がとれず
4月から有休をとりやすくなったので、チャンスと思い、混雑していない平日に行ってきた。

計画し、宿泊先等、インターネットでいろいろ調べていたら…
伊勢神宮までも侵食されている!?
一見よさげなことを並べている某ブログを発見・・あれは教祖?
↑これについてはいつか書くかもしれないけど、よくよく読むと、おかしい。


今回、鳥羽のほうまで足を伸ばそうかと思っていたが、結局、お伊勢参りだけ。
1日目 外宮→内宮→月讀宮
2日目 外宮→内宮
神社参りはできるだけ朝行きたい。
こっちから行くと、どうしても1日目は午後にしか参拝できない。
で、結局2日目も行ってしまうのである。
1日目は上で書いた某ブログ信者らしき人や(サイト上で推奨されている台詞を吐いている)
いつだったかここで書いた某新興宗教信者らしき人(祈り方の特徴でそうと分かる)
パワースポットを連呼している人
中国人(内宮は皇室の親神様だと知っていて来ているのだろうか?単なる観光?)等々 
げっ!と思うこと多々あり。
2日目は朝早いというのに、小学校の遠足とかち合ってしまったが、
小雨でいい感じに空気が清められているような気がして
清清しい参拝をすることができた。
(でも、どうしても鳥居はくぐれないと外側から行く生徒がいた・・あれは親の宗教なのだろう)


宇治橋は新しくなっていた。まだ木の香りがしていた。
宇治橋を渡っていると、なぜか「帰ってきた~」という思いがこみ上げてくる。
右手の山は、神路山と島路山。
どっちがどっちだかわからないが、奥のほうの山は特に心の奥底で懐かしいと感じる。

伊勢神宮の神域内にいるだけで心地よくて、何度でも行きたくなる。
平成25年の遷宮前にもう一度行けるか、それとも遷宮後になるか…また行きたい。
掃除する人になってあの神域内にずっと居たい位。

たったの1泊2日だったのに、1週間位行ってきたような気がして
心の中でそう思うだけでなく、うっかり
私「24日の○○の件はどうでしたか?」
相手「?…まだだよ」
完全にぼけている。
帰ってきて、一晩寝て、一日過ごしたら、ようやく頭の中も現実界に戻ってきた。
(でもそろそろボケ防止ドリルを始めたほうがいいかも?)


現実生活としての思考、生活、仕事はもちろん大切だけど、
あの清清しい「気」を枯らすことなく、いつも持ち続けていたいものである。

伊勢神宮は日本人の魂のふるさとと言われている。
個人の現世利益を求めたり、パワースポットと称して「開運」を期待するのは違う。
でも簡単にパワースポットという言葉でくくることのできない何かは確かにある。
魂のエネルギーを満たす、という意味ではパワースポットだが
皇室のご祖神(内宮)である、ということはいつも念頭においておきたい。

わたしにとってのお伊勢参りは、日本と皇室の安寧の祈りを捧げるのが主目的だが、
現実逃避や魂のエネルギー補充、魂の里帰りの目的もあるのが正直な気持ち。

昔の人は遠い道のりを歩いて参拝に行った。一生に一度のありがたいお参りだった。
それを何度も行くことができるとはありがたい。
「お参り」できること、ただそれだけがうれしい。
お参りできるほど平和に生活できているという恵みを感謝したい。

お伊勢さまが侵食されませんように 

この間、ちょっと書いたが
伊勢神宮ではいろんな人を見かけた。

パワースポット本を片手に「ほら、ここ、ここ」と群がっている人達
おそらくTVの影響であろう、木のパワーを貰う?とかで木に巻きついている人達
何の行?なのか、少し小高いところにある多賀宮への道を裸足で登っている人達
(神前にわざわざ靴を脱いで裸足で向かうなど、ありえない…)

江戸時代に伊勢神宮への集団参拝「おかげ参り」が流行したと言うが、
木に張り付き、裸足でぺたぺたと歩いている様(裸足がつらいのか四つんばいになっている人がいっぱい)は
おかげ参りではなく、とかげ参りとでも言いたい。
あまり言いたくはないし、気のせいかもしれないが「邪気」と「欲」も感じられた。
(決して見下しているわけではない。良いと思っている人にとっては良いのだと思う。)

それから長い時間、場所を占領して、《手を組んで》ぶつぶつと唱えている人・・(たぶん某新興宗教)


そして某ブログの信者さん?と思われる人
「お賽銭は入れないほうがいいんだって!」
「某決まりセリフ」

某ブログは、今回たまたま宿泊先を探そうと「伊勢」で検索してその存在を知ったが
結構有名?な人らしい。3年位前から活躍?しているらしい。
ざっと読んでみた。
私は霊性も高くないし、さほどの知識もないし修行も積んでいないので 
評価、言及するのは失礼かもしれないが
一見、まともには見える。
言っていることの6、7割方は正しい(かも)
偶にあきらかな事実誤認やちょっとした間違いもあり。
多くの人が受け入れ易い、受動的な人はのめりこみ易いことを言っている。
過去の様々な宗教や精神世界系統本の寄せ集めのようでもある。
(それ自体は別に悪くはないが、さも自分が神様から啓示を受けたように書くのはどうかと思う)
今までの宗教や思想から、多くを学んでいる人なのだろうと思う。
そして「感応する力」は確かにあるのかもしれない。
それが正か邪か、あるいはどちらでもあり、どちらでもないのか、それはわからない。


ただ、神棚を祀るのは、特殊な先祖供養を十分続けたあとにするべきとか
なんでもかんでも「某決まりセリフ」を言って感謝するべきとか
白頭山の下りとか… 

なんだかトンデモ思想もかなり入っている。
そしてかなりの自信家でもある。
思い込みも激しい様子(どれも教祖には欠かせない要素ではある)
そもそも、伊勢神宮と対(というか陰陽の関係にあるのは)そこ(タイトルにもなっている神社)ではない
面倒だし、上手に説明もできないので書かないが
タイトル後半の神社の裏にはいろいろ絡んでくる事柄がある。
わざわざ結びつけるのは何か意図があるのか?導きなのか?
あるいは当人も操られているとか?

はあ?の一例は一昨年の地震について
(ブログ上では2008年6月16日の記事)

>そこに住む沢山の人間が発する思いは、その地に反映し
>ます。 その地域を救う事が出来るのは、そこの住民だけ
>です。

の下り。
あ、そう。震源地付近の住民のせいですか。
ワールドメイトの人と同じ位、悪質な思考だね。
あとどこかのヒプノ人の「死ぬ決意をして生まれてきてくれた人達ありがとう」とかね。
この手の言い草は、本当に許せない。


…私の嗅覚?では胡散臭いと感じた。(私の感覚も怪しいかもしれないし、真実はわからない)
日本古来からの思想とは相容れない部分(全部ではない)がある。


どうも、そのブログは
一見、神様や皇室を敬っているように見せつつ別の意図を感じる。
逆に遠ざけようとしているという読みはひねくれすぎだろうか?
そして伊勢神宮に対しての侵食や間違った認識を植え付けようとしているようにも見える。
伊勢神宮の方とお話する機会があったが、(外宮重視について)それとなく遠まわしに尋ねてみたら
「いろんな方がいますからね~(苦笑)。昔は内宮と外宮の対立という歴史もあったんですよ。
 でも神様はおおらかな存在です」 とのこと。
それから「いろんな『宗教』の人が伊勢を看板にしていて、それについては憂いている」とのこと


右翼のイメージを貶めようとする街宣車
国民の為と言いながら売国・反日という本性の民主党
そのブログでも否定している有料ヒーラーや新興宗教。
それらに似ているものがあるような気がする。
そして、いつの間にか某国留学生がうじゃうじゃと増えていた、
いつの間にか、某国人が土地を買い占めていた…
いつの間にか皇室内に国賊が入り込んでいた…という感覚に近いような不気味さがある。
いつの間にか、伊勢神宮が穢されていたなどということがなければいいけど。

で、そのブログにコメントを寄せている人達が・・なんとまあ
依存と盲信。宗教とまでは言えないかもしれないが、見事に洗脳されている。
ブログ記事をいくつか読んだ限りでは、よさそうかも知れないと一瞬思ったが、
よくよく読み、コメント欄まで読んだら
「ああ、だめだこりゃ」と思い直すことができた。
ブログ主のコメントに対する返答も、矛盾、狭量、話のすり替え…
そういう意味では踏みとどまらせてくれた気持ち悪いコメント欄に感謝している。


それと、時々覗く全く関係のない掲示板で皇族の方の名前+あのセリフを見かけたことがあったが
ブログの存在を知ってから「これだったのか」と思い出した。
逆に悪影響がないか心配になってしまう。
素晴らしい御方なので、守りのパワーも強く、大丈夫だとは思うが。


日常の生活の中で、こういう姿勢でやっていくのもいいかも・・と思えることも書いてあるので
全否定するわけではない。参考にできる部分もある。
でも、軽々に信じ、同調するのは危険だと思う。

やたらと神仏に願いごとをせず感謝するというのはその通りだと思う。
私も軽薄なスピリチュアル商売や胡散臭いヒーラーは好きではない。
(私もどこかで占いもどきをやっているが、儲けようなどとは思っていないし、操りもしない)
現実的な目の前の事柄の努力が大事、についてもそうだと思う。
でもただひたすら感謝、セリフまで決まっているのは思考停止になりはしないだろうか?
祈ることを否定する、その一点だけで、私は受け入れることができない。

日本のこと、家族のこと、たまには自分のことで祈りをささげたいと思うこともある。
私は今まで通りの神仏への向かい方でよいと思っているし
今まで通りの先祖供養で良いと思うし、
今まで通り、自分の言葉で素直な心からの感謝をしたい。
5%の中に入らなくてもいい。むしろ95%のほうでいい。

ランキングのクリックして下さい!(しかも5%なんたらなどという姑息な誘導)なんて書いてあると
やだよ!と思ってしまう。


思想や宗教は個人の自由。
いろんな道の歩き方、目標への辿りつきかたがあると思う。
いいと思って信じている人や当人の邪魔をする気は全くない。
違うと決め付ける気もないし、信者と議論する気も全くなし。
単に、違和感を覚えるというだけ、おかしな誘導をしているように感じることを危惧しているだけであり
私が占いもどきをしているから、そういうことを批判する姿勢を攻撃しているわけでも全くない。
ただ思うままを書いただけ。
これを読んで気分を害した人がいたら、ごめんなさい。

日記(5/23)

昨日は暑かったのに、今日は大分気温が低い。
この繰り返し。
例年、そろそろ布団を薄手のものに替える時期だが、まだ厚い布団のまま。
なんだかおかしな気候だ。

ここ何日か書いている通り、先日三重県まで行ってきた。
東北のこの地から南へ南へ、西へ西へと向かうと
今の時期、田んぼの緑が少しずつ濃くなっていくのが分かる。
東北はまだ植えたばかりで田の緑の分量が少ない。
静岡、愛知は苗の丈も少し高いし緑も分量が多い。
でも三重県に入るとまた少し緑が薄くなる。

麦は6月が収穫の時期。
だから見た目の生育の違いも顕著で、東京以北はまだ青青としていたが
東京を過ぎるとやや穂が垂れ気味になり、静岡辺りでは黄色がかり収穫が近づいている畑もあった。
そして三重県に入るとまた青い。
地形?の加減か、やや涼しいのかもしれない。
電車での長距離の旅は、そんな景色をなんとなく眺めることもまた楽しいものである。
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