第1150回「あなたにとって春っていつから?」

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気持ち的には立春から春と言いたいけど
実際には春の彼岸を過ぎないと、春を身近には感じられない。
東北はまだまだ寒い。

でも、近所のキ印さんが大声で歌い始めると春だな~と思ったり
年によっては憂鬱の波が来ることでも春を感じるし
大好きなぽんかんが出回り始めると春だ!とうれしくなり
日没が日に日に遅くなることや、空の色や
梅の木に少しずつ花の気配が近づいて赤くなっていくことで
もうすぐ春だという、うきうきしたような気持ち-「いつから」というのではなく、
少しずつ少しずつ、戻ったり進んだりしながら
春に移りゆくことを日々感じるのは2月、3月。



日記(3/9)

また地震
被害はなかったけど多いなあ

余震の揺れ方が気持ち悪い

日記(3/10)

久しぶりに体重を測ってみたら
38.5kg
ちょっと減っている。
普通に食べているのに。
寒いから体を温めるためにエネルギーを使っているのだろうか。
夏は食欲が落ちて結構体重が減ってしまうのに、今からこれじゃあ困る。
でも特に体調が悪いわけでもないので、気にしないことにする。

無事です

メッセージを下さった方 ありがとうございます。
生きています。
私も実家の家族も無事です。


この世が終わるかと思うような揺れだった。

日記(3/21)

ようやく、親しい人たちと連絡を取り合うことができた。
避難所にいる友達もいるし、まだ不自由な生活ではあるけれど
無事を確認できただけでもうれしい。

地震発生直後から実家に何度も何度も電話をかけたり、メールを送ったりしたけれど
全くつながらなくて5時間後、ようやく電話が向こうから来て無事を確認。
停電で、携帯の電池は1日目の夜に切れた。
そのため、友達からのメールは全く受け取れず、心配をかけることになってしまった。
住所が市内でも被害が大きかったところなので、土地勘のない遠くの人は心配したようだ。
電気以外は大丈夫だったため(プロパンガスなので)、避難所には行かなかった。
情報はまったく入ってこなくて、二日後に電気が復旧してテレビを見た時、あまりの被害にびっくりした。
津波は自分の住んでいるところから、結構近くまで到達していたことも初めて知った。

友達は市内在住が多いけど、実家が石巻とか、亘理とか、唐桑とかの人が結構多くて
「実家は大丈夫だった?」と聞くことさえ躊躇う。
自分が大変な状況なのに、私の実家の心配までしてくれる人もいて、本当にありがたい。
そして、会った事のないこのブログを読んでくださっている方からも-
-県や都市の固有の名前を出したことはないけれど、このタイトルや一部の過去の記事で
県は見当がつくのだろう…「大丈夫でしたか?」というメッセージ
ほんとうにありがとうございました。

治安は悪くなったし、食糧はなかなか手に入らないし、
買い出しでのエゴむき出しの凄まじさ(必死なのはわかるけど)を目にして気が滅入るばかり。
夜もあまり眠れない。

お彼岸でもあるし、「一度帰っておいで」ということで
3日間ほど帰省した。新幹線や在来線は動いていないのでバスで帰った。
実家の方は震度7の割には、眺めた限り、街並みの家屋の倒壊は少なかった。
道路の大きな地割れがあったようだが、それはTVで見た。
お墓も大部分のお墓は大丈夫だった。(前の地震の時に補強した家が多かったようだ)
実家も亀裂はあるものの、前回、3年前の内陸地震に比べ被害は少ない。
水道は昨日復旧したばかりだが、食糧も手に入り易い。
スーパーの行列も短い。
田舎は米や野菜・味噌等の備蓄があるし、自宅庭で薪で煮炊きできるから災害時は強い。
でも灯油や米泥棒が多発しているらしい。
米や切り餅や野菜などリュックにどっさりと貰い、平常時なら持てないような重さのリュックを背負って
満員のバスに乗ってこっちに戻ってきた。
多くの人は野菜や米と思われる荷物をどっさりと持っていた。
一俵の米(60kg)をかついで乗ってきた人までいた。
高速道路は戦車?(のような自衛隊車両)が行きかい、
リュックを背負って食糧調達なんてまるで戦時中かと見紛うような光景だ。

帰省で精神的な不安感は大分緩和された。
でも生活はまだ落ち着かず、この先どうなるのかもわからない。
必要なものや食べたいと思うものも手に入らないがとりあえず飢えることはないし、
温かい布団で眠ることができるだけでありがたい。
というか、それすら申し訳ないような気がしてきて、心苦しい。
自分が周囲に対してできることはして、せめて身を慎んで、粛々と生きていくしかない。

普段、友達と「別にこの世にそれほど執着はないし、いつ終わってもいいよね~」
などと話していたけど
ものすごい揺れでいろんな物が頭の上に降ってくる中で、
本能的に「今、ここで死ぬわけにはいかない」という強い思いがわきあがってきたし
自分の中であの人は苦手だなあ~と思う人でも、無事を知って本当に心からうれしかった。
少しだけ冷静になった今は
非常時の自分は本当の自分なのだろうか、それとも別の自分なのだろうかと思うこともある。


天皇陛下のお言葉には涙が出た。

日記(3/27)

いつになったら並ばずに買えるようになるのだろう。
並んでも(欲しいものが品切れで)買えなかったときのがっかり感
余計におなかがすくので、もう無駄に動くのはやめた。

大きなスーパーに朝から並べば買えるらしいけど
牛乳、パンは地震後一度も見ていない。
朝食はいつもミルクたっぷりのカフェオレとパンだったのでこたえる。
でももっともっと大変な人たちがいる。自分は家も家族も無事。 と言い聞かせ我慢、我慢。

野菜(かなり高いが)、卵、豆腐は買えるようになった。
納豆は作っている。
米もある。乾麺もある。
飢え死にするようなことはない。

普段、おかずを数種、主食少なめ。
地震前日のブログで食べているのに体重減少傾向で心配・・などと書いたが
主食ばっかりで、体重はやや上昇
思いもよらぬ原因で解消された。

米だけは十分食べているんだけど
おなかがやたらとすく。
実際にはすいていないのかもしれないけど空腹感がある。
いらいらや不安感でもおなかがすく。
甘いものもそれほど好きではなかったのに、食べたくてしょうがない。
「はらへった」が口癖に。





日記(3/28)

物流は日々回復しているようだ。
今日は久々に甘食を買えた。
それだけのことでこんなにうれしいなんて。
近くのローソン100では地震直後に姿を消していた乾電池も大量にあった。
でも牛乳はなし。

今日から再開した某スーパーで牛乳がたくさん並んでいるのをテレビで見た。
ちょっと遠いけど行ってみようかな。

震度6の地震は何度か体験したけど(今回の揺れ方は今までにないが)
買い物したくても店に物がない状態が長く続いているという体験は初めて。

日記(3/31)

忌まわしい、恐ろしい3月が終わる。
でも悪夢ではなく現実。4月になったからと言って終わるわけではない。
2011年3月11日午後2時46分
その2日前に少し大きめの地震がきたので、初めはその余震かと思った。
揺れ始めはそんなに強くなかった。
だがドスンドスンとものすごい音がして立っていられなくなった。
長い長い揺れ、数分は揺れていたような気がする。
一度自分の荷物を手に持ったのにいつの間にか離していて、その荷物の上に棚の中の物
そして棚本体まで落ちてきて見失った。
揺れ始めてすぐに停電。
電車も止まった。普段から歩くのは慣れているのでそれは特になんとも思わなかったが
途中のバス停が、ビルの外壁が落ちて屋根ごとぺしゃんこになっていた。

自分の家
ワゴンと洗濯機と冷蔵庫が台所の真ん中に寄っていて、それぞれ倒れずに支え合っていた。
(ワゴンと洗濯機はキャスター付き)
まず、その不思議な状況に呆然。
冷蔵庫の上の電子レンジも落ちていない。
食器は3個壊れただけ。
でもトイレはタンクの水がこぼれ水浸し
タンクの蓋部分はどこかに飛んで見当たらない。
鍵をかけていた窓が開いている。(これは職場でもそうだった)
本棚全滅、チェストもひっくり返っている。
南北の揺れだったようで北面に置いたものは悉くぐちゃぐちゃ
テレビ代わりのパソコン落下
西側クローゼットは50センチほど前に動いていた。

なんとか大雑把に片付け、寝る場所確保。
水は出たが、いつ断水するかわからないと思ったので汲み置きした。
ガス(プロパン)は安全装置が働いて止まっていたがマニュアルに従って解除して使えるようになった。
近くの中学校に人が続々と避難しているようだったが、建物は大丈夫そうだったので家にとどまった。
日が暮れてしまうと電気がなくてまっくら
寒いので湯たんぽを抱き、適当に夕飯。
テレビもパソコンも使えないし、暖房は電気に頼っていたので寒いし寝るしかなかった。
なんとか実家とも連絡がとれたところで携帯の電池もなくなりそうだった。
その夜は余震と闇でおそろしくて仕方がなかったが
星はとてもきれいだった。街の中でもすべての電気が消えるとあんなにきれいなのかと思った。
服を着たまま横になったがほとんど眠れず、次の日は朝4時半頃から起き出して片付け始めた。
部屋の中はよく見るといたるところに亀裂が入っていた。
そして、3年位前になくしたキャッシュカードをがらくたの中から発見
トイレタンクの蓋は割れて3つくらいに分かれていた。

ラジオを持っていなかったので
情報が全くなく、まだどれだけ大変な状況か分かっていなかった。
近くのコンビニもスーパーも閉まっていたし、信号も消えていたけど
「停電だから仕方がない」くらいにしか思っていなかった。
片付けが終わると暇なので、本を読んだりして呑気に過ごしていた。
鍋でご飯を炊き、冷凍のものが解けてしまうのでせっせと食べた。
停電が解消されればすぐにスーパーも開くはずと楽観していた(大きな誤り)
2日後、やっと電気復旧
テレビやネットでようやく状況が飲み込めて呆然。
携帯に充電したらたくさんの「大丈夫?」メール
同じ区で何百人打ち上げられたという報道があったので、心配させてしまった。

電気復旧後も食べ物はあまり手に入らず
買い置きしてあった缶詰や乾物の他は
米ばかり、あとはパン粉を食べたり、きな粉を練って食べたり、
いろいろ工夫して、あるものでなんとか間に合わせた。

今は個数制限はあるものの大分買えるようになった。
でもプロパンガスの次の補充は未定だし、下水があふれる恐れがあるということで
節ガス、できる限り排水を減らす生活
なんでもない日常がどれだけありがたいことなのか身に沁みた。

この地域は大きな地震が来る来ると言われていたのに、私はあまり準備していなかった。
懐中電灯、軍手、ウエットティッシュ、乾パン、水ぐらい。
ラジオは用意しておくべきだった。
あと電池式の携帯充電器も。
停電してもせいぜい数時間、などと読みが甘すぎた。
まさか、これほど想定外の規模で、広範囲に被害が及ぶなどとは思いもしなかった。

ガスと水があったので他の人の参考にはならないと思うけど
あって便利だったのは湯たんぽ、大豆缶、
普段から生協で箱買いしていた乾麺とスポーツドリンク、使い捨てカイロ
実家(オール電化&断水状態)で活躍していたのはキャンプ用品(バーベキュー用鉄板、炭、ランタン、七輪)
介護用品(ドライシャンプー、体拭きティッシュ)
石油ストーブなど
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