日記(4/3)

やっとやっと牛乳買えた
福島産だけど、私は気にしない。

でも牛乳もパンも豆腐も納豆もひとり(一家族)1個限り
早く自由に買えるようになればいいのに。

余震が多くてもう疲れた。

また…

また部屋の中がぐちゃぐちゃ
今回、電気は生きているのでましだけど
「振り出しに戻る」
どれだけ揺らすつもりなのか
もうやだ

ああ

部屋の亀裂が着々と成長している

日記(4/20)

地震以降、歯科で歯を削っている最中に
今、大きな地震がきたらどうしよう…と不安になる
エレベーターに乗っている時も、混雑した電車に乗っているときも同様
美容院でも中途半端な状態の時に、今、停電になったら?お湯がでなくなったら?と不安は尽きない。
それなのに、仕事に関してはデータがとんでも別にどうでもいい(内心)という無責任さ。

日記(4/24)

震災前に注文していた通販がようやく届いた。
もうとっくに他の運送会社のトラックを見かけていたけど
ゆうパックは住所ではじかれていた。
東部道路より西側ならOKとか、もうちょっと融通を利かせてくれてもいいのに。

今年は母の日ギフトも受付すらしてもらえない。
クール便はまだだめなんだと。
手渡しか花以外にするか、どうしようかな



震災直後は、無事だっただけでありがたいと思っていたけど
そろそろ不便を不満に感じるようになってしまった。
通常の状態に戻すべく、たくさんの人が力を尽くしているのだから
なるべく、文句や不平不満は言わないようにしたい。

両陛下が

両陛下がいらっしゃった。
本当は見に行きたかったけど行けなかった。
でも嬉しい。

今日は夕方から天気が悪くなるという予報だったし
まだ余震も多いので心配だったが
両陛下がお帰りになるまで雨も降らず、大きな余震もなく、ほっとした。

実際にお姿を拝見することはできなかったけれど
温かい、大きな力を頂いたことにはかわりない。

復興には5年、10年、それ以上はかかるだろう。
両陛下には復興した街を見届けて頂きたい。
それまでずっとお元気でいて頂きたい。

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両陛下 南三陸町と仙台を訪問
4月27日 19時32分
天皇皇后両陛下は27日、東日本大震災で甚大な被害を受けた宮城県を訪れ、
南三陸町と仙台市の避難所で避難生活を送る人たちを励まされました。
27日午前、自衛隊機で宮城県入りした両陛下は、ヘリコプターに乗り換えて午後1時に
津波で壊滅的な被害を受けた南三陸町に到着されました。両陛下は、町の沿岸部が見える高台に立ち、
住宅が流され、がれきだらけになっている様子を見ながら、当時の状況について
町長から説明を受けられました。そして、被災した現場に向かって静かに頭を下げ、
犠牲となった大勢の人たちを悼まれました。
続いて両陛下は、近くにある歌津中学校の体育館を訪ねられました。
ここでは200人ほどが避難生活を送っていて、天皇陛下は、母親と弟を亡くしたという
女性に「残念ですね。さみしくなったでしょうね」と声をかけ慰められていました。
さらに、小学校の教師の男性から親を亡くした児童もいると聞かされると
「子どもたちはずいぶん大きな痛みを負っているでしょうね」と話されていました。
このあと、両陛下は、津波で大きな被害を受け、およそ270人が避難生活を送っている
仙台市宮城野区のスポーツ施設にも足を運び1人1人を励まされました。
このうち、津波で自宅が流されたという女性は、両陛下の訪問のお礼にと、
自宅の庭があった場所に咲いていた水仙の花を、皇后さまに贈りました。
皇后さまは、かつて阪神淡路大震災の被災地を見舞った際、お住まいの御所の庭に咲いた
水仙の花を崩れ落ちた建物の上に手向けられたことがあり、被災者からの思わぬ贈り物に
笑顔を浮かべられていました。また、天皇陛下は、津波で妻を亡くした男性に話しかけ、
男性の足もとにあった遺影を手にとって静かに見つめたあと、「津波でお亡くなりになったのですね。
大変でしたね。お体を大事にしてください」と声をかけられていました。
避難所では、最後に避難生活を送っている人たちが列を作って拍手で両陛下を見送り、
両陛下も笑顔で応えられていました。両陛下は、27日夜、東京に戻られることになっています。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110427/k10015597291000.html

両陛下、東北の被災地を初のご訪問
2011.4.27 22:06
天皇、皇后両陛下は27日、東日本大震災の被災者を見舞うため、日帰りで宮城県を訪問された。
津波で甚大な被害を受けた南三陸町を視察後、自衛隊ヘリを使って仙台市の避難所を訪問された。
両陛下が東北地方の被災地に入られたのは初めて。
村井嘉浩知事らによると、両陛下は被害の大きさに驚いた様子で、ヘリの中から身を乗り出すようにされていた。
陛下は漁業や農業を心配し、漁港を見ると「元に戻るのにどのくらいかかるんですか」などと質問されたという。
仙台市の避難所の体育館では、佐藤美紀子さん(64)が、津波を浴びても花を咲かせたという
自宅跡地のスイセンを花束にし、「このスイセンのように頑張りますから」と言って皇后さまに手渡した。
皇后さまは平成7年の阪神・淡路大震災のお見舞いで、皇居で摘んだスイセンを焼け跡に手向けられたことがある。
東松島市から自衛隊機で帰京する際には、自ら花束を持たれていた。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110427/imp11042722100003-n1.htm

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