日記(5/5)

実家に帰ってきた。
あっという間にGWも終わってしまった。

実家へは地震直後に一度帰ったが、4月7日の余震でさらにあちこちひびが入ったようだ。
修理も時間がかかるらしい。
でも内陸なので、もうほとんど通常の生活に戻っている。

4月29日に新幹線が完全復旧し、うれしい。
子供の頃、東北新幹線が開通したけど、その時と同じくらいうれしかった。
東北新幹線は初めは盛岡から大宮までだった。
その後上野まで。
その後実家近くに新駅ができ、その後ようやく東京まで開通。
その時もやっとやっとと思ったが、同じようなうれしさをまた味わえるとは…

日記(5/8)

今日はお昼頃に雷
近くに落ちたような凄まじい音がした。
竜巻注意報もでた。
あっと言う間に晴れてきて、虹を探したけど、見つけられなかった。

虹と言えば5月1日(だったかな?)の朝、平べったい、不思議な虹がでていた。

今日は母の日
花を宅配で送ることはどうしても無理だということで
今年は押し花電報にした。
連休が続いていれば実家にいて、花でなくても何か手渡しであげることもできたけど
何をあげてもそれほど喜ばず、使わず、甘いものも好まないし、商品券はめんどくさいというし
しかも律儀に同額くらいのものを返そうとするし
花や手紙のほうがうれしいらしいので。


連休中、ユーチューブ等で震災当日のテレビ中継を見ていた。
(停電でその時には見られなかったので)
それで初めて知ったのだが、自分が住んでいる地区に避難指示が出ていた。
どおりで、ぞろぞろと隣の中学校に人が押し寄せていた。
防災広報とかもないので全く知らなかった。
結果的には無事だったのだからいいけど。
それに近所の人も残っていたし。
でも、情報が入らない、気が付かないというのは恐ろしいこと。
昨日の夜9時からやっていたNHKの津波関連の番組をみてもそれは実感した。

津波の映像、本当におそろしい。
実際に目の前で体験した人はもっともっと恐ろしかっただろう。

日記(5/15)

昨夜、友達と3人で居酒屋へ。
外で飲むのは震災以来初めて。
そのうちのひとりは津波を実際に経験した。
孤立した建物で一晩過ごし、翌日まだ水が引いていない状態の中
数人で10数キロを歩いて帰ってきたという・・・
暖をとるために流れてきた家の中から毛布を拝借したとか
帰り道、どうしても空腹で壊れた店内から泥だらけのパン(袋の中身は大丈夫だったらしい)と
飲み物を持って来てしまった(いつか店が再開したらお詫びして代金は払いたいと言っていた)とか
途中の飲食店の店先でご飯がただで配られていて
涙がでるほどありがたかったとか
水の中は通りかかった見知らぬお兄さんを呼び止めて無理矢理つかまって歩いたとか・・・
車がいとも簡単にひっくりかえる様子とか、あっという間に水位があがってどうしようもなかったとか・・・
生々しい証言だった。
無事で本当に良かった。

え?なんで?

外国人雇用に積極姿勢=被災地の農漁業再生-復興会議議長
政府の東日本大震災復興構想会議の五百旗頭真議長(防衛大学校長)は13日、日本記者クラブで会見し、
被災地の農業や漁業の再生に関し、
「外国人をどう活用するか。国際的な人材を吸引するという在り方も考えなくてはいけない」と述べ、
外国人の雇用を積極的に進める方策を検討する考えを明らかにした。
被災地は震災前から高齢化が進み、農・漁業の後継者不足に苦しんでいた地域が多く、
五百旗頭氏は「気が付いたら担い手がいなかったということでは困る」と指摘。
外国人労働者については「社会を支える人だと分かれば、永住していただく、
日本人になっていただくということを考えなくていいのか」とも語った。(2011/05/13-16:26)
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2011051300678

==========
どさくさにまぎれてなんということだ

日本人の失業者があふれているというのに?
どうして農業や漁業の再生に外国人の力を借りる必要があるの?
>日本人になっていただく ?
>永住していただく ?
これって民主党の宿願だよねえ

いおきべさん、防衛大学校の元校長だからもっとまともな人だと思っていたのに・・・

日記(5/19)

彩雲? 環水平アーク?
今日昼前 南の空に

110519


一応wikipediaによれば
彩雲:太陽の近くを通りかかった雲が、緑や赤に彩られる現象である。瑞雲、慶雲、景雲などともいう。
この現象は、日光が雲に含まれる水滴で回折し、その度合いが光の波長によって違うために生ずるもので、
大気光象の1つである。巻積雲や高積雲、風で千切られた積雲などに見えることが多い

環水平アーク:大気中の氷粒に、太陽光が屈折し、ほぼ水平な虹が見える光学現象である。
虹などと同じ大気光象の一種で、水平弧、水平環 とも呼ばれる。日本国内では年に数十回観測される。
上空の氷の結晶の方向がほぼそろったときに、この結晶で屈折した太陽光により見える現象で、
一般の虹が太陽とは反対の方向に見えるのに対し、環水平アークは太陽と同じ方向に、ほぼ水平に現れる。
ただし、低空に雲があると見えない。(中略)
本州太平洋岸で環水平アークが見える期間は、概ね夏至を挟んだ半年の間である。
彩雲と呼ばれる場合もあるが、回折により見られるいわゆる彩雲とは別の現象である。

ということなのでたぶん環水平アーク


虹色の龍のようにも見えるけど、私はこじつけや無理矢理な意味づけは好きではない。
・・・とはいうものの、以前、親族のお葬式が終了した途端に彩雲(時期は初冬だったので間違いなく彩雲)が
現れたときはみんなで大騒ぎになった。(阿弥陀如来は彩雲に乗ってやってくると言われているので)

三笠宮寛仁親王殿下がご来県

三笠宮寛仁親王殿下がご来県

寛仁さま、宮城の自衛隊基地視察し激励
2011年5月23日22時15分
三笠宮家の長男寛仁さまは23日、宮城県東松島市の航空自衛隊松島基地を訪れ、
東日本大震災で津波の被害を受けた基地を視察するとともに、被災地で救援活動にあたる隊員を激励した。
その後、同県石巻市の石巻総合運動場でも陸上自衛隊員らを激励した。
24日には寛仁さまが総裁をつとめる仙台市内の福祉施設などを見舞う。
http://www.asahi.com/national/update/0523/TKY201105230573.html


今日は岩手県に秋篠宮両殿下ご訪問

秋篠宮ご夫妻、大槌町を慰問 津波被害の街に黙礼
2011年5月25日18時45分
秋篠宮ご夫妻は25日、東日本大震災で被災した人たちを慰問するため、新幹線で岩手県入りした。
遠野市内で達増(たっそ)拓也知事から被災状況の説明を受けた後、津波で大きな被害を受けた大槌町を訪れた。
ご夫妻は同町を見渡せる城山公園の高台に立ち、手を合わせて黙礼した。町長は津波で死亡しており、
説明役は東梅(とうばい)政昭副町長が担った。
その後、避難所となっている公園内の体育館へ。2002年に「自然と共生するまちづくりシンポジウム」が
開かれた場所で、秋篠宮さまもパネリストとして参加したゆかりの地だ。
http://www.asahi.com/national/update/0525/TKY201105250367.html


寛仁殿下は入退院を繰り返していて体調も万全ではないと思われるのに来て頂けてうれしい。
秋篠宮両殿下は東京ビッグサイト、新潟、群馬、青森と立て続けのお見舞い。



ところで来月4日に天皇家の長男と場合によってはその妻が来襲するとか。
もう両陛下と寛仁親王殿下に来ていただいたから十分だよ。
土曜日だなんて・・
先週の土曜日も菅が中韓人を引き連れてきていた。
あちこち物々しい警備
他県の腕章をつけた機動隊までいた。
野球まであったもんから道路が大変なことになっていた。
で、また土曜日に?
学校の付き添いだとかで土曜日にしか動けないらしいけど、そこまでしなくて来なくていいのに。

日記(5/28)

一昨日友達とご飯
この友達も津波に遭った。
地震直後に私にメールをくれたのだけど、届いたのは2日後
メールの送信時間が津波到達よりも前で
私はメールを読んですぐに(と言っても2日後)に返信したが
その後1週間位連絡がとれなくてずいぶん心配したが無事だった。
でも1日目は野宿だったとのこと。
自宅は海から3キロほどは離れていたらしいけど、浸水したとのこと。
庭木にもいろんなものがひっかかっていたそうだ。
後片付けが終わっても、気持ち的に地震以前の日常には戻れない、と言っていた。
でも私よりもずっと前向きで、気力にも満ちていた。

前に書いた友達もそうだけど、この友達も津波のことを話し出すと止まらない。
(もちろん、皆が皆そうだというわけではなく、話したくない人もいるだろう)
リアル体験なだけに、とても恐ろしい。

今回の地震について 切り抜き

今回の地震関連分析記事 メモ

地震前日にこんな記事(河北新報)
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三陸沖M7.3 宮城県沖地震との関連 「連動型」の危険性低下か
2011年03月10日
三陸沖を震源に宮城県北部で震度5弱の揺れを観測した9日の地震について、
東北大地震・噴火予知研究観測センターの松沢暢教授(地震学)は、
予想される宮城県沖地震との直接の関連はないとの見解を示した。
一方で、震源を含むアスペリティ(固着域)が、想定震源域と連動するエリアに重なることから、
宮城県沖地震で複数の断層面が同時に滑る「連動型」の危険性が下がったとも指摘した。
宮城県沖地震の発生メカニズムは、陸側プレートの下に海側プレートが潜り込む「プレート境界型」に区分される。
摩擦力の大きいアスペリティにかかった力が限界を超えると一気にプレートが滑り、地震が起きる。
今回の地震も、東北の東方約200キロメートル沖をほぼ南北に走る日本海溝の陸側で起きたプレート境界型とみられる。
松沢教授によると、震源地は宮城県沖地震の想定震源域よりも沖合にある
1981年の地震=マグニチュード(M)7.0=のエリア。
「81年の地震と同じアスペリティが30年周期で壊れた可能性が高い。
2月中旬からM5クラスの群発地震が起きており、数日後に本震が起きたのも81年と同じ傾向」と言う。
 この海域は、宮城県沖地震で複数の断層面が同時に滑る「連動型」になった場合、
想定震源域と連動するエリアに含まれるとして、
「今回の発生によって、複数のアスペリティが一気に壊れ、
宮城県沖地震がより強い地震になる危険性は低くなった」と分析している。
http://www.jwn.ne.jp/kn/article/2011/0334_004575.html


---------------------
想定の90倍規模「日本海溝のほぼ全域が同時に壊れた」
2011.3.11 22:41
今回の地震は、太平洋プレート(岩板)が、東北地方を乗せた北米プレートの下に潜り込むことによって起こる
「海溝型地震」だ。
政府の地震調査委員会では、宮城県沖、三陸沖南部、福島県沖で起こる海溝型地震については、
マグニチュード(M)7・5規模を想定していた。しかし、今回の地震の規模はM8・8と想定を大きく上回った。
東京大学地震研究所の古村孝志教授は「M8・8は、想定されていたM7・5のエネルギーの約90倍に当たる。
1707年の宝永地震(M8・6)の2倍で、国内では最大級だ」と指摘。「プレート境界面が南北200~300キロメートル、
東西100~150キロメートルにわたり、十数メートルずれたと想定される」と説明する。
気象庁でも、地震によって、岩手県から茨城県に至る南北400キロ、東西200キロの断層帯が破壊された可能性が
高いとみている。
想定を上回る規模となったことについては、複数の震源域が連動して想定を超える巨大地震になった可能性がある。
東北地方の太平洋プレートは年間約8~10センチの速度で陸側へ移動しており、沖合約200キロにある日本海溝から、
陸側の北米プレートの下へ沈み込む。2つのプレート境界に蓄積されたひずみが限界に達すると、境界部分が壊れて
大地震が起きる。今回の地震もこの仕組みで発生し、メカニズムは地盤が東西に圧縮される逆断層型だった。
宮城県沖地震は陸に近い海域と、沖合の日本海溝に近い2つの震源域がある。
過去の地震の規模は、陸寄り単独の震源域だとM7・4程度だが、日本海溝に近い震源域も連動すると大規模になり、
過去200年で唯一の連動型だった1793年はM8・2で、大津波が発生した。
海溝型地震に詳しい京都大防災研究所・地震予知研究センターの橋本学教授(測地学)は、
今後の詳しい解析が必要とした上で、「約200年ぶりに連動型の宮城県沖地震が起きた可能性がある」と指摘する。
ただ、地震調査委は連動型をM8・0前後と想定しており、今回の規模はさらに大きい。
プレート境界が想定を超える広範囲で破壊され、国内最大規模につながった可能性がある。
橋本教授は「過去にない事態だ。日本海溝のほぼ全域が同時に壊れた印象で、とんでもないことが起きた」と話す。
気象庁は「現時点で関係は分からない」としている。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110311/dst11031122420213-n1.htm

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巨大地震で地球の自転速度が微増か
東日本大震災を引き起こしたマグニチュード(M)8・8の巨大地震によって、
地球の自転速度がわずかに増した可能性があるとする解析結果を11日、
米航空宇宙局(NASA)の地球物理学者リチャード・グロス博士がまとめた。AP通信が報じた。
同博士の試算では、地震によってプレート(岩盤)が動き、地球内部の質量分布が変わったことで自転速度が増し、
1日の長さが100万分の1・6秒短くなったという。
グロス博士は、昨年2月に起きたチリ大地震(M8・8)の際にも地軸の傾きが変わり、
1日の長さは100万分の1・26秒短くなったと発表。
2004年のスマトラ沖地震(M9・0)では、100万分の6・8秒短くなったと分析している。(共同)
http://www.sanspo.com/shakai/news/110312/sha1103121132031-n1.htm
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大津波、北上川を50キロさかのぼる 東北大分析
2011年3月24日20時18分
東日本大震災の大津波が、北上川を河口から約50キロの地点までさかのぼっていたことが、
東北大の田中仁教授(水工学)の分析で分かった。国土交通省が北上川に設置した水位計のデータを調べた。
津波は、河口から17キロ地点にある高低差3メートル以上の堰(せき)も乗り越えたとみられるという。
岩手県が源流の北上川は、宮城県登米市で旧北上川と分かれ、本流は石巻市の追波湾に注ぐ。
旧北上川は石巻市の仙台湾に注いでいる。
田中さんが、水位計データを分析したところ、津波は追波湾の北上川の河口で7メートル以上の高さだった。
河口からさかのぼった津波は、旧北上川との分岐点を越えて、河口から49キロ地点で11センチの水位変化を記録した。
その上流の60キロ地点では計測されなかった。
田中さんは「国内に記録が残る津波の遡上(そじょう)は、河口から十数キロであることが多い。
今回の結果は今回の津波の規模の大きさを示している」と話している。(長野剛)
http://www.asahi.com/national/update/0324/TKY201103240410.html
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東北が最大3・5メートルずれる 衛星画像で地殻変動確認 国土地理院が解析
2011.3.28 07:04
東日本大震災で、岩手県から福島県にかけての東北地方が沖合方向の東向きに
最大約3・5メートルずれ動く地殻変動が起きていたことが28日までに、
国土地理院(茨城県つくば市)による衛星画像の解析で分かった。
震源(宮城県・牡鹿半島の東南東沖約130キロ)に近いほど変動が大きく、牡鹿半島付近が約3・5メートルと最大。
岩手県釜石市付近で約2メートル、同県宮古市や山形県東根市、福島県伊達市付近は約1メートルずれていた。
衛星利用測位システム(GPS)を使った測定では、牡鹿半島が東南東方向に約5・3メートル動く地殻変動を観測している。
今回衛星画像でとらえた地殻変動も、国内の地震によるものとしては観測史上最大になるという。
解析は、宇宙航空研究開発機構の陸域観測衛星「だいち」のレーダー画像に基づく。
3月15、20両日と、大震災発生前の昨年10月などに観測された画像を比較した
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110328/dst11032807050004-n1.htm
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<東日本大震災>大きな揺れを4回繰り返す 東北大が解析
毎日新聞 4月2日(土)19時2分配信
マグニチュード(M)9.0の東日本大震災で最大震度6強を観測した仙台市で、
3分間にわたって大きな揺れを4回繰り返していたことが東北大の地震波形の解析で分かった。
最初の2回の揺れだけでも、28人の死者を出した78年の宮城県沖地震(M7.4)が2度起きたことに相当する大きさで、
けた違いの巨大地震の姿が波形を通じて明らかになった。専門家は、こうした長時間の強い揺れが建築物を損傷させ、
津波に流される被害を拡大させた可能性があると指摘している。
JR仙台駅前のビルに設置した地震計のデータを同大の源栄(もとさか)正人教授(地震工学)が解析した。
瞬間的な揺れの強さを表す加速度は最大317ガルで、同地点で観測した78年宮城県沖地震の約1.3倍程度だったが、
揺れの継続時間は4.5倍だった。源栄教授は「同じ場所で観測した両地震を比較することでM9クラスの地震が
いかに長く揺れるか分かる。例えるなら初めに78年の宮城県沖地震クラスが1度起きて、さらにそれを上回る地震が起きた」
と説明する。
一般的に構造物は長い時間繰り返して揺すられることに弱い。同大の今村文彦教授(津波工学)は、
今回の揺れが津波被害を拡大させた可能性を指摘する。甚大な津波被害を出した宮城県女川町では、
これまで津波の避難場所に有効とされてきた鉄筋コンクリート造りの建築物が複数押し倒されたことが確認された。
今村教授は「長時間の揺れがコンクリート造りの建築物の基礎部分を損傷させ、津波で押し流された可能性もある。
沿岸部では、液状化や地盤の沈降もあった。今回の大震災は複数の災害が同時に起きて被害を大きくしたと言える」と話す。
【八田浩輔】
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110402-00000073-mai-soci
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2000年前にも同規模津波 東北学院大調査
東日本大震災で仙台平野を襲った津波は、約2000年前の弥生時代に起きた津波とほぼ同規模とみられることが、
東北学院大の松本秀明教授(地形学)らの研究で分かった。仙台平野は貞観津波(869年)にも襲われている。
松本教授は「『1000年周期』と断定はできないが、仙台平野では結果的に1000年に1度、大津波が来ていた」と
指摘している。
研究結果は15日、仙台市青葉区の東北大片平キャンパスで開かれた東北地理学会春季学術大会で発表された。
仙台市教委と松本教授は2007年、当時の海岸線から約2キロにある「沓形(くつかた)遺跡」(若林区荒井)の
発掘調査で、約2000年前の津波に襲われた水田跡を発見。
今回はこの時期の海砂の層を調べ、当時の津波がどこまで到達したかを推定した。
東日本大震災の津波では、荒井地区で約4キロ内陸まで海の泥などの堆積物が確認された。
砂浜や浅い海底からの砂は2.3~3キロ内陸まで達していた。
弥生時代の海砂の層は最も奥で当時の海岸線から約2.5キロまで到達していた。このことから、
弥生時代の津波は内陸3.3~4.1キロまで達したと推定され、今回の津波に匹敵する可能性が高いという。
東北大災害制御研究センターなどのこれまでの研究では、東日本大震災の津波は
貞観津波を上回る可能性が高いことが分かっている。
松本教授は「地震のメカニズムや津波の波源が同一かどうかは分からないので、『1000年周期』と断定はできない。
法則性の有無とは別に仙台平野では少なくとも1000年に1度、大津波が起きていたことになる」と説明している。
過去のさまざまな研究によると、慶長津波(1611年)など、規模は不明だが
仙台平野は数百年に1度の割合で津波に襲われているとみられている。
2011年05月16日月曜日
http://www.kahoku.co.jp/news/2011/05/20110516t15005.htm
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ようやく冷静に読めるようになってきたので

河北新報
ドキュメント大震災
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1072/index.htm
証言/焦点3.11大震災
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1071/index.htm
時事ドットコム:東北地方太平洋沖地震 写真特集
http://www.jiji.com/jc/d4?p=eqa200&d=d4_topics
時事ドットコム:東日本大震災 動画
http://www.jiji.com/jc/eqa#movie_rel

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