日記(8/4)

昨日、ようやく梅雨明けしたようだ。
今更の暑さは堪える。昨日から体調がいまひとつ。

地震びっくり。
震度5以上は5月以来かな?
先週、甘いものが食べたくなってつい、非常用ドロップに手をつけてしまった。
食べ物がなくなるような地震は当分来ないとは思うけど、また補充して置かなければ。

首相、村山氏以降の「反省」踏襲せず 戦没者への言葉を強く意識

【終戦の日】首相、村山氏以降の「反省」踏襲せず 戦没者への言葉を強く意識
2013.8.15 21:20
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130815/plc13081521240042-n1.htm

安倍晋三首相は15日、政府主催の全国戦没者追悼式の式辞で、
近年の歴代首相が使用してきたアジア諸国の人々に損害と苦痛を与えたとする「反省」を踏襲せず、
戦没者に語りかけながら未来志向の恒久平和を誓うスタイルをとった。
「不戦の誓い」という言葉も使わなかった。
「反省」に代わって「歴史に対して謙虚に向き合い、学ぶべき教訓を深く胸に刻みつつ、
希望に満ちた国の未来を切り拓(ひら)いてまいります」と述べ、歴史を直視する姿勢を示した。
首相の式辞では、平成5年に細川護煕氏が初めて近隣諸国の犠牲者に「哀悼の意」を表明した。
6年の村山富市氏以降は戦争の加害責任と「深い反省」にも言及、
「多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対し、多大の損害と苦痛を与えた」
(平成24年の野田佳彦氏)という文言が決まりになっていた。
安倍首相も第1次政権の19年には「深い反省」を述べた。
しかし、今回は細川氏より前のスタイルに戻したといえる。
政府高官は「歴史問題を言うのは韓国と中国だけであり、追悼式は日本の国民、犠牲者向けのものだ。
首相は謙虚な姿勢もみせている」と強調した。

靖国参拝

【靖国考】
(下)首相が堂々参れる日いつ? いまだ残る「熱狂と偏見」
2013.8.16 06:09
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130816/plc13081606130002-n1.htm

政権批判は影潜めるも…
68回目の「終戦の日」である15日の靖国神社は、民主党政権時代には目立った厳しい政権批判は影を潜めた。
神社境内での集会や、付近で配られていたビラなどで安倍晋三首相の15日参拝を求める声は散見されたが、
首相の参拝自体が期待できなかった民主党時代のとげとげしさはなかった。
境内は正午の黙祷(もくとう)時は静寂に包まれ、落ち着いた「祈りの場」に立ち返っていた。
「安倍首相も正々堂々、お参りになる日を切に願っている」
境内で開かれた戦没者追悼中央国民集会で、日本会議の三好達会長(元最高裁長官)がこう述べると、
会場からは拍手が起きた。
ただ、昨年は「この国はまさに暗雲が漂っている」と焦燥感をあらわにした「英霊にこたえる会」の
中條高徳会長は今回、「この国の行方が見えてきたのはうれしい」と安倍政権の今後に期待感を示した。

◆民主への怒りと不満
振り返れば鳩山由紀夫元首相は平成21年10月の中国の温家宝首相(当時)との会談で、
「靖国のことは頭から消し去ってほしい」と述べ、自身と閣僚の不参拝を約束した。
靖国が「先の大戦では『靖国で会おう』を合言葉に多くの兵士が散っていった。
ご遺族は父や主人に会えるかもしれないとの思いであの場所に行く」(4月10日の安倍首相の国会答弁)
という「特別な場所」であることなど、眼中になかったのだ。

菅直人政権時代の22年には、境内の一角に菅首相と仙谷由人官房長官、
岡田克也外相を批判する写真が地面に貼られ、「TRAITOR(売国奴)」「ご自由にお踏みください」
と記されていた。民主党政権への怒りと不満が鬱積していた。
一方、今回の集会で衛藤晟一(せいいち)首相補佐官は環境整備の必要性を強調した。

◆国内の一部が火に油
首相は、中国、韓国のみならず同盟国の米国も巻き込んで外交問題化する15日の参拝は選ばなかったが、
在任中に時機を考慮して参拝する意向は変わらない。
とはいえ、靖国参拝が政治問題化するのは中韓だけが問題なのではない。
「アジアの中で靖国参拝に反対しているのは中韓2国だけ」(外交評論家の石平氏)だとしても、
日本国内の一部勢力が火に油を注いできたのも否めない。
「他国からいろいろ言われることなく、ちゃんとお参りできる国をつくりたい。
これができなければ戦後は終わらない」
首相はこの日、自民党総裁として私費で玉串料を奉納した。代理奉納した同党の萩生田光一総裁特別補佐は
記者団に、首相に託されたこんな伝言を明かした。
「先の大戦で亡くなった先人の御霊(みたま)に、本日は参拝できないことをおわびしてほしい。
靖国への思いは変わらないと伝えてほしい」

◆国内の一部が火に油
首相は、中国、韓国のみならず同盟国の米国も巻き込んで外交問題化する15日の参拝は選ばなかったが、
在任中に時機を考慮して参拝する意向は変わらない。
とはいえ、靖国参拝が政治問題化するのは中韓だけが問題なのではない。
「アジアの中で靖国参拝に反対しているのは中韓2国だけ」(外交評論家の石平氏)だとしても、
日本国内の一部勢力が火に油を注いできたのも否めない。
例えば中江要介元中国大使は12年4月に国会で、昭和60年12月に中国の胡耀邦総書記(当時)と
靖国問題を協議した際のエピソードを証言している。
同年8月15日に中曽根康弘首相(当時)が公式参拝したのをきっかけに、
日中関係が冷え込んでいたころだった。
胡氏「もう靖国神社の問題は両方とも言わないことにしよう。
黙って85年でも100年でも騒がずに静かにして、自然消滅を待つのが一番いいじゃないか」
中江氏「もし今黙っちゃったら、日本では『ああ、もうあれでよかったんだ』と
思ってしまう人が出るかもしれない」
冷静になろうと努める中国側を、むしろ日本側がたきつけているような構図だ。
時の首相がいかに真摯(しんし)に戦没者の慰霊と追悼の意義や正当性を訴えようと、
背中から矢を射る勢力が幅を利かせていては事態はなかなか改善できない。
靖国神社境内には、東京裁判で被告全員無罪を主張したインドのパール判事の顕彰碑があり、
パール判決文(意見書)を引用した次の碑文が刻まれている。
《時が熱狂と偏見とをやわらげた暁には また理性が虚偽からその仮面を剥ぎとった暁には 
その時こそ正義の女神は その秤(はかり)を平衡に保ちながら 
過去の賞罰の多くに そのところを変えることを要求するであろう》
残念ながら、靖国をめぐる国内外の「熱狂と偏見」はまだやわらいではいないようだ。(阿比留瑠比)

日記(8/19)

暑さと休み明けのため、だるい。
食欲もなし。

実家。
GWの帰省の時はそうでもなかったのに、今回、家族みんながあまちゃんにはまっていた。
正確にはあまちゃんのオープニングテーマに。
にゃーと聞こえる部分で、一斉に「にゃー」と掛け声。
ちょっと引いた。

皇太子夫妻 宮城

皇太子とその妻が被災地を訪問するため来た。
6月訪問予定だった時、私も駅でお出迎えしてある意思表示をする予定だった。
今回、友達に誘われたけど、お盆休みをたっぷりとったため都合がつかず行けなかった。
友達は3人で駅へ行ってきたとのこと。
歓迎のためでなく、「見たい」「言いたい」ために。

とりあえず、行った友達のメールでの報告。

・団体で来たと思われるお出迎え軍団がいた。
・マイクロバスで来た一団がいた(ナンバーは日本海側隣県のもの)
・群衆の中には単に足止めをくらった人もいて、小声で「迷惑」と言っていた人がいた。
・友達が作って持っていった「おだづなよ」うちわは取り上げられた。(あとで返してもらえた)
・夫妻ふたりとも、にやにや楽しそうだった。(あくまで「駅前で」なので、仮設住宅訪問では違うかも?)
・妻の厚みは横からみるとものすごい。


夫妻の被災地訪問は二年ぶり。昨年は一切なし。
両陛下、秋篠宮両殿下、常陸宮両殿下の幾度ものご訪問よりも大きくとりあげられているが
皇太子夫妻の静養の合間のやっつけ訪問は不快でしかない。
もちろん、そうでない感想を持つ人もいるだろうけど
この先、何度も「被災地に心を寄せる皇太子ご夫妻」として今回の映像が使われるのかと思うと
この夫妻の手口にうんざりする。

皇太子ご夫妻、宮城入り 仮設住宅や加工施設視察

皇太子ご夫妻、宮城入り 仮設住宅や加工施設視察
http://www.kahoku.co.jp/news/2013/08/20130821t13022.htm

皇太子ご夫妻は20日、東日本大震災の被災者を見舞うため宮城県に入り、
七ケ浜町の仮設住宅団地などを訪問された。
出迎えた住民一人一人に「お体を大事にしてください」「つらい思いをされましたね」と声を掛け、いたわった。
ご夫妻の被災地訪問は2011年8月の岩手県以来、2年ぶり。
約150世帯、約370人が暮らす七ケ浜町の第1スポーツ広場応急仮設住宅では、住民約40人が出迎えた。
佐藤美恵さん(84)はご夫妻から「大変でしたね」と言葉を掛けられ、目に涙を浮かべた。
「わざわざ出向いてくださり、大変ありがたい。胸がいっぱいになった」と話した。
ご夫妻は集会所で住民ら8人と懇談した。世話人の稲妻克夫さん(66)は
津波で失った自宅を再建したことを報告。皇太子さまは「新しいおうちに入ることができて良いですね」と喜び、
雅子さまも笑顔でうなずいた。稲妻さんは「励ましていただき、ありがたい」と感謝した。
ご夫妻は、津波で被災した仙台市宮城野区の営農組織「岡田生産組合」が
昨年、内陸部で再建したみそ加工施設も視察。みそ加工担当の遠藤幸子さん(60)が仕込み作業を説明し
「みそはキュウリに付けて食べるとおいしいんですよ」と話すと、
皇太子さまは「それはいいですね」と笑顔を見せたという。
ご夫妻は同日夜、東北新幹線で帰京した。見送った村井嘉浩宮城県知事は記者団に
「(療養中の)雅子さまが元気そうで良かった。
両殿下には被災地の復興を温かい目で見守ってもらいたい」と話した。
2013年08月21日水曜日



皇太子の妻の体調?に配慮したのか、他の皇族方の訪問と比べて、
ずいぶんとあっさりしたスケジュールだったようだ。
七ヶ浜の仮設住宅では厳選した人に声をかけ、そのあとさらに選抜した人と集会所で懇談。
みそ加工工場で見学、読売の記事によると、夫妻の希望でみそをおみやげに持って帰ったらしい。
昨日、
【・夫妻ふたりとも、にやにや楽しそうだった。(あくまで「駅前で」なので、仮設住宅訪問では違うかも?)】
と駅前で待ち伏せた友達の報告メールの一部をここに書いたが、
映像を見ると、仮設住宅でもにやにやしていた。
みそ加工工場で案内した人は舞い上がってうれしそうだったが、
映像でみる限り、仮設住宅前での住民との触れ合いでは、被災者の方々は結構さめていたように見えた。
こんな手抜き訪問でも夫妻をやたらと持ち上げる報道が気持ち悪い。


今日、別の友達からメール
「奴ら、無事に帰っちゃったね、ちぇっ!」
…そりゃあ、なんとかできたらなんとかしたかったけど…
両陛下や秋篠宮両殿下、常陸宮両殿下がいらっしゃった時には
大きな余震がこないように、暑すぎず、寒すぎず、大雨も降らずどうか無事に過ごしていただけるように…と
願うのだけど、あのふたりに対してはそういうことは思わない。
消毒とか、清めの塩をまきたくなるような禍々しさ。

日記(8/25)

サッシの溝を掃除しようと、いつも開け閉めしている反対側を開けた。
乾燥したキリギリスがぺっしゃんこになって挟まっていた。
数日前になぜか部屋に紛れ込んでいたので、大きな紙にのせ(触りたくないので)、
近い側の窓を開け、さっとキリギリスだけ放り投げて、勢いよく窓を閉めた。
たぶん、あの時のあいつだろう。
ごめんね。


かなり以前、やはり夏の夜にベランダでぼんやり涼んでいて
部屋に戻ってしばらくして、
なんとなく緑色のものが視界に入るので、肩をふと見たら
キリギリスが止まっていたことがあり
深夜に近所迷惑な「ぎゃあああああああ」という悲鳴をあげ、
その時は夢中で掴んで窓の外に放り投げたこともあった。

落ちついて考えれば、キリギリスなんて虫の中ではかわいいし、害はないし
そっと持って、静かに外に(できれば草むらに)放してやればいいのに
急に目撃するとだめだ。

日記(8/29)

朝、台所の窓を開けていた。
網戸はなくて、普段、カフェカーテンのようなものをかけ
裾がふわふわしないようにピンでとめていた。

朝ご飯を食べているとなんだか、鳥の声が台所から聞こえるような気がする。
見に行くと、白いカーテン越しに何かうごめいている。
窓の枠とカーテンの間に鳥が挟まっていた。
たぶん突進してきて、カーテンが少し緩んだところと窓枠の段差に入って出られなくなったのだろう。
うわあ触りたくないと思いつつ、部屋の中に入ってきたら追い出すのが大変なので
カーテン越しに窓の外に押し出した。
鳥は外には出たものの、まだ窓の外にいて騒いでいる。
窓の外側には防犯用の柵?のような格子状のものがあって、そこからも出られないのか、
それとも怪我でもしているのかと外に回ってみてみると、
出られないわけでもなく、怪我をしているわけでもなく、ただ騒いでるだけだった。
私が近くにいっても逃げず、糞を柵にしていた。
ヒヨドリだった。

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