引越 その12
前不動産会社から敷金精算書がようやく送られてきた。
敷金は二か月分だった。
戻りはなし。
追加もなし。
内訳にクロス貼り替えという項目があったけど
地震で亀裂が入ったときに、「貸主負担」で退去時に貼りかえるって言ってたのに。
だからその後、画鋲もガンガン使っていた。
10年住んだから、地震が来なくても貼り替えだったと思うけど、借主負担というのは納得できない。
ルームクリーニングは入居時にも払った。
次に誰かが入居するときにその人からも取るんだろうね。
超過分も発生したみたいだが、それはオーナー負担と書いてあった。
流し下の戸棚は床板が壊れ、直して(100均のベニヤ板を張って100均のペンキで同じ色にした)。
それには言及していなかった。
実はそれが一番心配だった。
契約書に書いてあるところの『大がかりな造作』にあたるのではないかと。
それでも壊れたままにしていたら自作修理代210円(当時)では済まないのは確実。
問題なかったようで、良かった。(気が付いていないのかもしれない)
襖は全くきれいなのに(外して押入れの一番奥に入れていたので経年劣化もしていない)貼り替え代発生。
前の前のところを引越した時の明細は
畳替え〇〇〇〇円×8畳って書いてあったが
大家さんは精算後の雑談でうっかりと、「この部屋、フローリングにするの」と口を滑らせていた。
(それでもこの時は少し戻ってきた)
こういうのは戻らないものと最初から思っているので
今回のは納得はしていないが、文句を言うつもりもない。
今度引っ越したところは敷金が家賃の1か月分で
退去時にルームクリーニングとエアコン清掃にあてると契約書に書いてあるので
間違いなく、戻ってこないだろう。
でも、フローリングの張り替え負担は無しということだった。
フローリングに最初から傷があるので、余計な気を遣うこともなく
乱暴にならない程度の普通の扱い方でいいのは気が楽。
敷金は二か月分だった。
戻りはなし。
追加もなし。
内訳にクロス貼り替えという項目があったけど
地震で亀裂が入ったときに、「貸主負担」で退去時に貼りかえるって言ってたのに。
だからその後、画鋲もガンガン使っていた。
10年住んだから、地震が来なくても貼り替えだったと思うけど、借主負担というのは納得できない。
ルームクリーニングは入居時にも払った。
次に誰かが入居するときにその人からも取るんだろうね。
超過分も発生したみたいだが、それはオーナー負担と書いてあった。
流し下の戸棚は床板が壊れ、直して(100均のベニヤ板を張って100均のペンキで同じ色にした)。
それには言及していなかった。
実はそれが一番心配だった。
契約書に書いてあるところの『大がかりな造作』にあたるのではないかと。
それでも壊れたままにしていたら自作修理代210円(当時)では済まないのは確実。
問題なかったようで、良かった。(気が付いていないのかもしれない)
襖は全くきれいなのに(外して押入れの一番奥に入れていたので経年劣化もしていない)貼り替え代発生。
前の前のところを引越した時の明細は
畳替え〇〇〇〇円×8畳って書いてあったが
大家さんは精算後の雑談でうっかりと、「この部屋、フローリングにするの」と口を滑らせていた。
(それでもこの時は少し戻ってきた)
こういうのは戻らないものと最初から思っているので
今回のは納得はしていないが、文句を言うつもりもない。
今度引っ越したところは敷金が家賃の1か月分で
退去時にルームクリーニングとエアコン清掃にあてると契約書に書いてあるので
間違いなく、戻ってこないだろう。
でも、フローリングの張り替え負担は無しということだった。
フローリングに最初から傷があるので、余計な気を遣うこともなく
乱暴にならない程度の普通の扱い方でいいのは気が楽。
日記(6/7)
午後から雨。
この前半分だけしたベランダの掃除の続きをやった。
結構きれいになった。
網戸もきれいにした。
窓はまた今度。
近所のスーパーで9日まで使える割引券があった。
前々回の買い物の時に貰ったのだが、
2000円以上買うと100円引きという割引券で
前回はほんの少しの買い物なので使えず、
今日は使うつもりで買い物をした。
ちゃんと計算もしないで、大体2000円超えたかな?と思ったのだが
消費税込で1946円。
大失敗。ちっ!!
この前半分だけしたベランダの掃除の続きをやった。
結構きれいになった。
網戸もきれいにした。
窓はまた今度。
近所のスーパーで9日まで使える割引券があった。
前々回の買い物の時に貰ったのだが、
2000円以上買うと100円引きという割引券で
前回はほんの少しの買い物なので使えず、
今日は使うつもりで買い物をした。
ちゃんと計算もしないで、大体2000円超えたかな?と思ったのだが
消費税込で1946円。
大失敗。ちっ!!
日記(6/14)
岩手・宮城内陸地震から6年。
今年はあの時と同じ土曜日。
実家直下だったからびっくりした。
その3年後の大震災のほうが震度は大きかったが
揺れ方はやはり直下型の内陸地震のほうが激しかったらしい。
家の壊れ方も内陸地震のほうが酷かった。
内陸地震の時は、まだ父も生きていた。
明日は父の日。
父の日は正直言って、何をあげようかといつも悩んだ。
母ははっきりしているので「〇〇はいらない」とか「〇〇がほしい」とか言うので選ぶのも楽だが
父は喜んでいるふりをして使わなかったりもするので面倒だった。
あの年の父の日は何を送ったのか憶えていない。
お酒だったかもしれない。
明日の父の日用には写真の前に餡餅を供えている。
今日は梅雨の中休み。
良い天気だった。
ちょっと色がくすみ、前入居者のテープかなにかの貼り跡が残り、
塗装が剥げかかっている扉に透明の水性ニスを塗った。
本当は色ももっと濃い木目にしたかったけど、そこまでの改造はできないので
ちょっとだけ化粧直し。
今年はあの時と同じ土曜日。
実家直下だったからびっくりした。
その3年後の大震災のほうが震度は大きかったが
揺れ方はやはり直下型の内陸地震のほうが激しかったらしい。
家の壊れ方も内陸地震のほうが酷かった。
内陸地震の時は、まだ父も生きていた。
明日は父の日。
父の日は正直言って、何をあげようかといつも悩んだ。
母ははっきりしているので「〇〇はいらない」とか「〇〇がほしい」とか言うので選ぶのも楽だが
父は喜んでいるふりをして使わなかったりもするので面倒だった。
あの年の父の日は何を送ったのか憶えていない。
お酒だったかもしれない。
明日の父の日用には写真の前に餡餅を供えている。
今日は梅雨の中休み。
良い天気だった。
ちょっと色がくすみ、前入居者のテープかなにかの貼り跡が残り、
塗装が剥げかかっている扉に透明の水性ニスを塗った。
本当は色ももっと濃い木目にしたかったけど、そこまでの改造はできないので
ちょっとだけ化粧直し。
引越 その13
先日アンペア変更もようやく完了。
前に住んでいたところでも15Aから20Aに変更したけど
その時はスムーズにできたので、今回も簡単だと思っていたら…
最初にアンペア変更に来てもらったときに
電柱から建物への引込線を張り替えなければ出来ないと言われた。
と、いうことは同じ建物の他の部屋は15Aのままで契約しているということ。
エアコンを使わなければそれでも間に合うと思うけど
夏はともかく、冬は15Aでは厳しそう。
石油ストーブも禁止物件なのでエアコンを使わないという選択肢はなし。
暖房でエアコンを使ったら他の電気製品は使えない(使えなさそう)。
他の部屋の皆さんはどうしているのだろう。
15Aでのやりくりは無理というわけではないだろうけど
余裕のある状態で使いたいし、基本料金も150円ほどしか差がない。
それに引込線は電力会社の持ち物なので無料で張り替えられるということだったのでお願いすることにした。
大家さんの許可ももらえた。
その時来た人は、いつ張り替えるとは言わなかった。
後日、電力会社からアンペア変更は引込線の張り替えが終わってから
改めて日にちを調整しますという電話(留守電にメッセージ)が来て、
その後しばらく(一ヵ月位)何の音沙汰もなく、いつ張り替えるのかもわからず、
もしかして、張り替えの依頼は改めてださなきゃならないのだろうかと不安になって問い合わせたら
日にちを教えてくれた、引込線の張り替えは立ち会い不要。停電なし。
アンペア変更は立ち会い要、数分の停電ありということで、
この電話でアンペア変更日の予約も申し込むことができた。
変更日。
委託された会社の人がやってきた。
ブレーカーの中を見て、首を捻っている。
「ブレーカーの線、取り替えましたか?」と聞かれた。
最初に来た人は
外の線は張り替えが必要、中の線も張り替えかも…と一旦言った後、
直径を計り直したり、何やら調べたりして、「あ、やっぱり中の線はこのままで変更できます」と言った。
だから、二回目の人が何やら考えている様子なので
やっぱりだめなのかとひやひやした。
二回目の人が外にでて、どこかに電話して問い合わせている。
で、結局大丈夫ということになり、無事に20A用のブレーカーにしてもらえた。
中の線がどうとかというのは何だったのか?
何か不安材料があったのだろうか?
ちょっと心配。
電気をめいっぱい使うのは冬。
無事だといいけど。
前に住んでいたところでも15Aから20Aに変更したけど
その時はスムーズにできたので、今回も簡単だと思っていたら…
最初にアンペア変更に来てもらったときに
電柱から建物への引込線を張り替えなければ出来ないと言われた。
と、いうことは同じ建物の他の部屋は15Aのままで契約しているということ。
エアコンを使わなければそれでも間に合うと思うけど
夏はともかく、冬は15Aでは厳しそう。
石油ストーブも禁止物件なのでエアコンを使わないという選択肢はなし。
暖房でエアコンを使ったら他の電気製品は使えない(使えなさそう)。
他の部屋の皆さんはどうしているのだろう。
15Aでのやりくりは無理というわけではないだろうけど
余裕のある状態で使いたいし、基本料金も150円ほどしか差がない。
それに引込線は電力会社の持ち物なので無料で張り替えられるということだったのでお願いすることにした。
大家さんの許可ももらえた。
その時来た人は、いつ張り替えるとは言わなかった。
後日、電力会社からアンペア変更は引込線の張り替えが終わってから
改めて日にちを調整しますという電話(留守電にメッセージ)が来て、
その後しばらく(一ヵ月位)何の音沙汰もなく、いつ張り替えるのかもわからず、
もしかして、張り替えの依頼は改めてださなきゃならないのだろうかと不安になって問い合わせたら
日にちを教えてくれた、引込線の張り替えは立ち会い不要。停電なし。
アンペア変更は立ち会い要、数分の停電ありということで、
この電話でアンペア変更日の予約も申し込むことができた。
変更日。
委託された会社の人がやってきた。
ブレーカーの中を見て、首を捻っている。
「ブレーカーの線、取り替えましたか?」と聞かれた。
最初に来た人は
外の線は張り替えが必要、中の線も張り替えかも…と一旦言った後、
直径を計り直したり、何やら調べたりして、「あ、やっぱり中の線はこのままで変更できます」と言った。
だから、二回目の人が何やら考えている様子なので
やっぱりだめなのかとひやひやした。
二回目の人が外にでて、どこかに電話して問い合わせている。
で、結局大丈夫ということになり、無事に20A用のブレーカーにしてもらえた。
中の線がどうとかというのは何だったのか?
何か不安材料があったのだろうか?
ちょっと心配。
電気をめいっぱい使うのは冬。
無事だといいけど。
干支
甲子 きのえね
乙丑 きのとうし
丙寅 ひのえとら
丁卯 ひのとう
戊辰 つちのえたつ
己巳 つちのとみ
庚午 かのえうま
辛未 かのとひつじ
壬申 みずのえさる
癸酉 みずのととり
甲戌 きのえいぬ
乙亥 きのとい
丙子 ひのえね
丁丑 ひのとうし
戊寅 つちのえとら
己卯 つちのとう
庚辰 かのえたつ
辛巳 かのとみ
壬午 みずのえうま
癸未 みずのとひつじ
甲申 きのえさる
乙酉 きのととり
丙戌 ひのえいぬ
丁亥 ひのとい
戊子 つちのえね
己丑 つちのとうし
庚寅 かのえとら
辛卯 かのとう
壬辰 みずのえたつ
癸巳 みずのとみ
甲午 きのえうま
乙未 きのとひつじ
丙申 ひのえさる
丁酉 ひのととり
戊戌 つちのえいぬ
己亥 つちのとい
庚子 かのえね
辛丑 かのとうし
壬寅 みずのえとら
癸卯 みずのとう
甲辰 きのえたつ
乙巳 きのとみ
丙午 ひのえうま
丁未 ひのとひつじ
戊申 つちのえさる
己酉 つちのととり
庚戌 かのえいぬ
辛亥 かのとい
壬子 みずのえね
癸丑 みずのとうし
甲寅 きのえとら
乙卯 きのとう
丙辰 ひのえたつ
丁巳 ひのとみ
戊午 つちのえうま
己未 つちのとひつじ
庚申 かのえさる
辛酉 かのととり
壬戌 みずのえいぬ
癸亥 みずのとい
干支の歴史は古く、中国の殷の時代には既に使われていた。
亀の甲羅や動物の骨に刻まれ出土したことから
甲骨文字と呼ばれるようになった殷時代の文字にはすでに存在する。
干支は順番を表す数詞
干支は年や日にちを示すのに使われることが多く、
占いの本にも登場するが、これは順番を数えるために使われた詞であって、
本来は占いとは無関係。
支を用いた年や日の数え方を干支紀年法、干支記日法と呼ぶ。
まず干支があり、後に占いがこれを利用するようになった。
現在では占い以外のことにはあまり干支が登場しないので、
干支とは占いのために作られたのかのように思われがち。
十干と十二支を組み合わせて六十干支が出来る。
六十干支は単に干支とも言う。
占いの世界では干支を、天干地支(てんかんちし)などと呼ぶ。
その呼び名の通り、干支のを書く順番は
十干(じっかん)が先、十二支(じゅうにし)が後となる。
十干とは
甲(こう・きのえ) ・乙(おつ・きのと) ・丙(へい・ひのえ)
丁(てい・ひのと) ・戊(ぼ・つちのえ) ・己(き・つちのと)
庚(こう・かのえ) ・辛(しん・かのと) ・壬(じん・みずのえ)
癸(き・みずのと) の10種類。
「きのえ」とは「木の兄」のこと。
はじめの「木」は木火土金水の五行の「木(き)」。
「兄」は陰陽を表す「兄(え)」と「弟(と)」の「兄」。
この「兄弟(えと)」から、干支全体も「干支(えと)」と呼ぶ。
十二支とは
子(ね・し) ・丑(うし・ちゅう) ・寅(とら・いん)
卯(う・ぼう) ・辰(たつ・しん) ・巳(み・し)
午(うま・ご) ・未(ひつじ・び) ・申(さる・しん)
酉(とり・ゆう)・戌(いぬ・じゅつ) ・亥(い・がい) の12種類。
組み合わせた場合の読み
干支を組み合わせて使った場合、
甲申 ・・・ 1.こうしん 2.きのえさる
十干が「兄」か「弟」かにより、
「兄」の場合はそのまま干支の読みをそのまま並べて読む。
(「甲子」→「きのえね」)が、「弟」の場合には
慣用的に十干と十二支の読みの間に「の」をいれる。
(「乙丑」→「きのとのうし」)。
乙丑 きのとうし
丙寅 ひのえとら
丁卯 ひのとう
戊辰 つちのえたつ
己巳 つちのとみ
庚午 かのえうま
辛未 かのとひつじ
壬申 みずのえさる
癸酉 みずのととり
甲戌 きのえいぬ
乙亥 きのとい
丙子 ひのえね
丁丑 ひのとうし
戊寅 つちのえとら
己卯 つちのとう
庚辰 かのえたつ
辛巳 かのとみ
壬午 みずのえうま
癸未 みずのとひつじ
甲申 きのえさる
乙酉 きのととり
丙戌 ひのえいぬ
丁亥 ひのとい
戊子 つちのえね
己丑 つちのとうし
庚寅 かのえとら
辛卯 かのとう
壬辰 みずのえたつ
癸巳 みずのとみ
甲午 きのえうま
乙未 きのとひつじ
丙申 ひのえさる
丁酉 ひのととり
戊戌 つちのえいぬ
己亥 つちのとい
庚子 かのえね
辛丑 かのとうし
壬寅 みずのえとら
癸卯 みずのとう
甲辰 きのえたつ
乙巳 きのとみ
丙午 ひのえうま
丁未 ひのとひつじ
戊申 つちのえさる
己酉 つちのととり
庚戌 かのえいぬ
辛亥 かのとい
壬子 みずのえね
癸丑 みずのとうし
甲寅 きのえとら
乙卯 きのとう
丙辰 ひのえたつ
丁巳 ひのとみ
戊午 つちのえうま
己未 つちのとひつじ
庚申 かのえさる
辛酉 かのととり
壬戌 みずのえいぬ
癸亥 みずのとい
干支の歴史は古く、中国の殷の時代には既に使われていた。
亀の甲羅や動物の骨に刻まれ出土したことから
甲骨文字と呼ばれるようになった殷時代の文字にはすでに存在する。
干支は順番を表す数詞
干支は年や日にちを示すのに使われることが多く、
占いの本にも登場するが、これは順番を数えるために使われた詞であって、
本来は占いとは無関係。
支を用いた年や日の数え方を干支紀年法、干支記日法と呼ぶ。
まず干支があり、後に占いがこれを利用するようになった。
現在では占い以外のことにはあまり干支が登場しないので、
干支とは占いのために作られたのかのように思われがち。
十干と十二支を組み合わせて六十干支が出来る。
六十干支は単に干支とも言う。
占いの世界では干支を、天干地支(てんかんちし)などと呼ぶ。
その呼び名の通り、干支のを書く順番は
十干(じっかん)が先、十二支(じゅうにし)が後となる。
十干とは
甲(こう・きのえ) ・乙(おつ・きのと) ・丙(へい・ひのえ)
丁(てい・ひのと) ・戊(ぼ・つちのえ) ・己(き・つちのと)
庚(こう・かのえ) ・辛(しん・かのと) ・壬(じん・みずのえ)
癸(き・みずのと) の10種類。
「きのえ」とは「木の兄」のこと。
はじめの「木」は木火土金水の五行の「木(き)」。
「兄」は陰陽を表す「兄(え)」と「弟(と)」の「兄」。
この「兄弟(えと)」から、干支全体も「干支(えと)」と呼ぶ。
十二支とは
子(ね・し) ・丑(うし・ちゅう) ・寅(とら・いん)
卯(う・ぼう) ・辰(たつ・しん) ・巳(み・し)
午(うま・ご) ・未(ひつじ・び) ・申(さる・しん)
酉(とり・ゆう)・戌(いぬ・じゅつ) ・亥(い・がい) の12種類。
組み合わせた場合の読み
干支を組み合わせて使った場合、
甲申 ・・・ 1.こうしん 2.きのえさる
十干が「兄」か「弟」かにより、
「兄」の場合はそのまま干支の読みをそのまま並べて読む。
(「甲子」→「きのえね」)が、「弟」の場合には
慣用的に十干と十二支の読みの間に「の」をいれる。
(「乙丑」→「きのとのうし」)。
日記(6/21)
夏至。
黄昏時から晩酌。
辛口菊正宗、思ったほど辛口ではない。
もうちょっときりりとしていてもいい。
つまみはたこわさと揚げ出し豆腐。
プランターの分葱が終了。
植えたのが引越後で遅かったので、仕方がないけど結構短い命だった。
もう時期的に球根を掘り出しておかなければならない季節。
分葱や細葱は買ったものを上半分切って、根の方を水につけておくだけで
2~3回は元の長さまで成長して食べられる。
それを考えると、今回の場合は必ずしもプランター栽培が安上がりだったとも思えない。
(もっと早くから植えていれば、長く食べられたと思う)
最後の方はアブラムシ?もたかっていた。
球根、プランター、土等の総額で細葱を買ったら、同じ位の量は食べられたかもしれない。
でも栽培の楽しみもあったので金額だけで、損だ、得だとは一概には言えない。
よしとする。
黄昏時から晩酌。
辛口菊正宗、思ったほど辛口ではない。
もうちょっときりりとしていてもいい。
つまみはたこわさと揚げ出し豆腐。
プランターの分葱が終了。
植えたのが引越後で遅かったので、仕方がないけど結構短い命だった。
もう時期的に球根を掘り出しておかなければならない季節。
分葱や細葱は買ったものを上半分切って、根の方を水につけておくだけで
2~3回は元の長さまで成長して食べられる。
それを考えると、今回の場合は必ずしもプランター栽培が安上がりだったとも思えない。
(もっと早くから植えていれば、長く食べられたと思う)
最後の方はアブラムシ?もたかっていた。
球根、プランター、土等の総額で細葱を買ったら、同じ位の量は食べられたかもしれない。
でも栽培の楽しみもあったので金額だけで、損だ、得だとは一概には言えない。
よしとする。
第1852回「ワールドカップ、観てますか?!」
FC2 トラックバックテーマ:「ワールドカップ、観てますか?!」
全く観ていない。
朝、時計代わりにNHKのニュースをつけているけど
5時台、6時台はサッカーになってしまっている。
いつもしっかりニュースをチェックしているわけではないが
お天気の渡辺さんが出てきたら〇時〇分、
地域のニュースになったら〇時〇分というふうに目安にしているので
不便だし、興味のない人間にとっては不快。
早く通常に戻ってほしい。
全く観ていない。
朝、時計代わりにNHKのニュースをつけているけど
5時台、6時台はサッカーになってしまっている。
いつもしっかりニュースをチェックしているわけではないが
お天気の渡辺さんが出てきたら〇時〇分、
地域のニュースになったら〇時〇分というふうに目安にしているので
不便だし、興味のない人間にとっては不快。
早く通常に戻ってほしい。
日記(6/26)
一週間遅れでようやく生協のプラムが来た。
天候不順による遅れだそうだ。
それは仕方がないとして、先週の届く予定の日。
発泡スチロールのクールボックスに保冷剤と遅れますよチラシ
??
どうして?チラシだけでいいのに。
チラシ1枚のために保冷剤と発泡スチロールの箱…意味がわからない。
本来はこの中にプラムが入っているはずだったから置いていった?
そうだとしたら、なんて融通が利かないというか、馬鹿というか…
とにかく、今週無事に届いた。
木で熟させたプラムだとかで
値段も高めだけど、やはり甘くておいしい。
天候不順による遅れだそうだ。
それは仕方がないとして、先週の届く予定の日。
発泡スチロールのクールボックスに保冷剤と遅れますよチラシ
??
どうして?チラシだけでいいのに。
チラシ1枚のために保冷剤と発泡スチロールの箱…意味がわからない。
本来はこの中にプラムが入っているはずだったから置いていった?
そうだとしたら、なんて融通が利かないというか、馬鹿というか…
とにかく、今週無事に届いた。
木で熟させたプラムだとかで
値段も高めだけど、やはり甘くておいしい。
日記(6/28)
友達と多賀城のあやめ祭りに行ってきた。

盛りは若干過ぎていた。
アヤメだけでなく、杜若や花菖蒲もあった。
(おそらくほとんどが花菖蒲…湿地に植えられていたので)
説明板によると、「アヤメ・カキツバタ・ハナショウブを総称してアヤメとして多賀城市の市花としている」
というようなことが書いてあったので、それで別にいいのだろう。
正直言って、踊りの人たちが邪魔だった。
花畑の回りを囲み、延々とあやめ音頭を踊っていた―でも丘をはさんだもう一つの側はゆっくり見ることができた。
遠目で見た方がきれいかもしれない。
写真は、一通り見て回った中で、特にきれいだなと思った一帯。
品種ひとつひとつに雅な?名前が付いていた。
多賀城跡にも初めて行った。
多賀城は奈良・平安時代の城、国府。
869年の貞観地震では大きな被害があった。
江戸時代には既に遺跡だったらしい。
多賀城碑と政庁があった跡、柱石、
政庁へ登っていく大路くらいしか見るものはなかったが、
いかにもな復元建造物がないからこそ
古代のイメージを膨らませることができた。
案内の人と少し話したが
ここで前に書いた(アテルイ伝での)蝦夷(えみし)の話になり
結局、蝦夷はすべてが北に追われたのではなく、
多くは関東に連れて行かれ、一番遠くて(記録に残っている中では)熊本まで行ったらしい。
そして、当時の中央である 大和(やまと)の人たちが大勢、今の東北に連れてこられたそうだ。
やはり何世代も経て混血し、日本のどこででも、今、どちらの血と明確には分からないらしい。
その後、東北歴史博物館へ
お昼は古代米のごはん。
おいしかった。
在来線に乗ったときに脇を通過しながらいつも気になっていた「今野家住宅」の見学をすることもできた。
今は多賀城に移築されているけど、元々は北上町にあったものだそうだ。
知らなかった。
この手の古い民家は他のところでもいくつか見たことがあるけど
ここはかなり、そのままの気配が残されていた。
神棚の正月飾りの白いひらひら(飾り切り紙)がうちと同じだった。

盛りは若干過ぎていた。
アヤメだけでなく、杜若や花菖蒲もあった。
(おそらくほとんどが花菖蒲…湿地に植えられていたので)
説明板によると、「アヤメ・カキツバタ・ハナショウブを総称してアヤメとして多賀城市の市花としている」
というようなことが書いてあったので、それで別にいいのだろう。
正直言って、踊りの人たちが邪魔だった。
花畑の回りを囲み、延々とあやめ音頭を踊っていた―でも丘をはさんだもう一つの側はゆっくり見ることができた。
遠目で見た方がきれいかもしれない。
写真は、一通り見て回った中で、特にきれいだなと思った一帯。
品種ひとつひとつに雅な?名前が付いていた。
多賀城跡にも初めて行った。
多賀城は奈良・平安時代の城、国府。
869年の貞観地震では大きな被害があった。
江戸時代には既に遺跡だったらしい。
多賀城碑と政庁があった跡、柱石、
政庁へ登っていく大路くらいしか見るものはなかったが、
いかにもな復元建造物がないからこそ
古代のイメージを膨らませることができた。
案内の人と少し話したが
ここで前に書いた(アテルイ伝での)蝦夷(えみし)の話になり
結局、蝦夷はすべてが北に追われたのではなく、
多くは関東に連れて行かれ、一番遠くて(記録に残っている中では)熊本まで行ったらしい。
そして、当時の中央である 大和(やまと)の人たちが大勢、今の東北に連れてこられたそうだ。
やはり何世代も経て混血し、日本のどこででも、今、どちらの血と明確には分からないらしい。
その後、東北歴史博物館へ
お昼は古代米のごはん。
おいしかった。
在来線に乗ったときに脇を通過しながらいつも気になっていた「今野家住宅」の見学をすることもできた。
今は多賀城に移築されているけど、元々は北上町にあったものだそうだ。
知らなかった。
この手の古い民家は他のところでもいくつか見たことがあるけど
ここはかなり、そのままの気配が残されていた。
神棚の正月飾りの白いひらひら(飾り切り紙)がうちと同じだった。
日記(6/29)
昨日、かなり丘陵地を歩いたせいかふくらはぎが筋肉痛。
左肩はどうしたことか、数日前から腕を動かすと痛い。
昼間に雷が鳴ったが、一回ものすごく近くでドスンと音がしてびっくりした。
一瞬だけWiMAXも切れた。
今、ダーウィンが来たでワオキツネザルの話をしているけど
ずっと前、石垣島の八重山民俗園に行ったとき、彼らがいた。
親しげに近づいてきたりもしたが、
一列に塀に並んでこっちを向いている姿がかわいくて
写真を撮ろうとカメラを向けた途端に、
彼らが一斉に後ろ向きになってしまい、しっぽだけしか写らなかった。
まるでせーの!と誰かが声をかけたかのように。
あれはなんだったのだろう。
左肩はどうしたことか、数日前から腕を動かすと痛い。
昼間に雷が鳴ったが、一回ものすごく近くでドスンと音がしてびっくりした。
一瞬だけWiMAXも切れた。
今、ダーウィンが来たでワオキツネザルの話をしているけど
ずっと前、石垣島の八重山民俗園に行ったとき、彼らがいた。
親しげに近づいてきたりもしたが、
一列に塀に並んでこっちを向いている姿がかわいくて
写真を撮ろうとカメラを向けた途端に、
彼らが一斉に後ろ向きになってしまい、しっぽだけしか写らなかった。
まるでせーの!と誰かが声をかけたかのように。
あれはなんだったのだろう。