紀元節
紀元節。
皇紀2676年。
第50回建国記念の日を祝う宮城県大会に行って来た。
今年は「建国記念の日」が施行されて50年の節目の年。
記念講演は金美齢さんで演題は「美しい国への道程」
1000席ほどの会場だったが、席は埋まり、後ろの方には立っている人もいた。
金美齢さんは御年82歳、ということだったが
力強く、熱く、面白く、一時間の講演があっという間だった。
日本の誕生日だというのに祝わない、そんなのは愚か者だと言っていた。
金美齢さんは台湾出身だが、現在は帰化している。
日本を大切に思う、建国を祝う、そんな同じ思いの人々が同じ場に集うという一体感が心地よかった。
マスコミだと、必ずといっていいほど「反日観」が底辺にあり、それにすっかり洗脳されて
日本が良い国という当たり前のことを言うだけで、
右翼扱いするという短絡的決めつけをする人が結構いる。
「愛国心」や「日の丸」と言う言葉に、すぐに戦争の罪を持ち出してくる人もいる。
もっと普通に自分の国の建国の日をお祝いできればいいのに。
皇紀2676年。
第50回建国記念の日を祝う宮城県大会に行って来た。
今年は「建国記念の日」が施行されて50年の節目の年。
記念講演は金美齢さんで演題は「美しい国への道程」
1000席ほどの会場だったが、席は埋まり、後ろの方には立っている人もいた。
金美齢さんは御年82歳、ということだったが
力強く、熱く、面白く、一時間の講演があっという間だった。
日本の誕生日だというのに祝わない、そんなのは愚か者だと言っていた。
金美齢さんは台湾出身だが、現在は帰化している。
日本を大切に思う、建国を祝う、そんな同じ思いの人々が同じ場に集うという一体感が心地よかった。
マスコミだと、必ずといっていいほど「反日観」が底辺にあり、それにすっかり洗脳されて
日本が良い国という当たり前のことを言うだけで、
右翼扱いするという短絡的決めつけをする人が結構いる。
「愛国心」や「日の丸」と言う言葉に、すぐに戦争の罪を持ち出してくる人もいる。
もっと普通に自分の国の建国の日をお祝いできればいいのに。
建国記念の日関連ニュース
2016.2.11 05:02更新
【主張】
建国記念の日 政府自ら祝典を開催せよ
http://www.sankei.com/column/news/160211/clm1602110001-n2.html
大きな節目となる50回目の「建国記念の日」を迎えたが、今年もまた、国として祝う式典は開かれない。残念というほかない。
日本の建国は神話的な伝説に基づいている。新しい国づくりを目指して日向国を出た神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレビコノミコト)は瀬戸内海を東進し、難波、熊野へと至る。やがて大和を平定すると橿原(奈良県)を都と定め天下を統治することになった。
古事記や日本書紀がつづる初代神武天皇即位の物語である。
明治6年、政府は即位の日を現行暦に換算した「2月11日」を紀元節と定めたが、先の敗戦後はGHQ(連合国軍総司令部)によって廃止された。建国記念の日として復活するのは昭和42年で、祝日法には「建国をしのび、国を愛する心を養う」と明記された。
半世紀を経て、法の趣旨が十分に浸透しているかは疑問である。戦後の学校教育では、神話や建国の歴史が皇国史観や軍国主義につながるとして避けられてきた。自国の歴史を否定する自虐まみれの教育で、どうして青少年の健全な愛国心を育てられよう。
日本の建国の日を知っている日本人は2割にも満たないとの調査結果もある。神話はそっくり史実ではないにしろ、先人の国づくりへの思いや日本人としての生き方がうかがい知れる、いわば民族の貴重な遺産なのである。
自国のそのような遺産を誇りに思わない国民が国際社会から評価されようか。学校教育を含めた国の役割は極めて重大だといわざるを得ない。
昨秋、大阪で開催された交声曲「海道東征」のコンサートで、大きなホールが聴衆の感動に満たされたことを改めて想起したい。北原白秋作詩、信時潔作曲によるこの曲は、壮大な建国の歴史を格調高くうたいあげたものだ。
新保祐司・都留文科大教授は、「(聴衆は)自分という人間が、日本の建国の歴史に精神の深みで繋(つな)がっていることに覚醒して、魂の感動を覚えた」と評した(昨年12月1日付本紙「正論」)。
いま国内外で直面している幾多の困難を乗り切るためにも、日本人としての誇りを抱き続けるこれら国民の熱い思いに、政府は真剣に応えるべきではなかろうか。政府が直接関与する祝典の開催が、まず何よりも望まれる。
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建国記念の日 各地で祝う式典や反対する集会
2月11日 18時38分
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160211/k10010406011000.html
建国記念の日の11日、これを祝う式典や、反対する集会が各地で開かれました。
このうち東京・渋谷区の明治神宮会館では、神社本庁などで作る「日本の建国を祝う会」が式典を開き、主催者の発表でおよそ1200人が参加しました。
主催者を代表して國學院大学の大原康男名誉教授があいさつし、「世界各国で国民が建国記念の日を祝っており、わが国でもできるだけ早く政府主催の式典を開催して、国を愛する心を育てるべきだ」と述べました。そして「5月には三重県の伊勢志摩でサミットが開催され、世界に向けて日本のすばらしい精神性を発信する絶好の機会となる。誇りある国づくりへ向けて一層力を尽くすことを誓う」などとする決議が採択されました。
一方、東京・中央区では、歴史の研究者や歴史教育に携わる教職員など、主催者の発表でおよそ350人が参加して建国記念の日に反対する集会が開かれました。講演した千葉大学の栗田禎子教授は、「安全保障関連法を巡って戦争を直接知らない若い世代が平和憲法を守ろうと立ち上がったことは、戦争ができる国にしようという勢力にとって大きな誤算だったはずだ。憲法を守る戦いは今が集大成の時だと自覚することが大切だ」と述べました。
この後、集会では「憲法を礎に歴史の逆流を許さず平和なアジアと世界をつくり、立憲主義、民主主義に基づく新しい未来をひらこう」などとするアピールが拍手で採択されました。
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2月11日は建国記念日。ではいったい何を「建国」した日?
2016.02.11 雑学
http://nikkan-spa.jp/1051487
今日、2月11日が「建国記念の日」であることは知っているでしょう。では、なぜ2月11日が「建国記念の日」になったのでしょうか? 『基礎教養 日本史の英雄』(倉山満+おかべたかし/扶桑社刊)は、20人の英雄譚を通して日本史を学ぼうという本ですが、その骨子は「僕たちは、教えられるべき歴史を、教わってこなかった」ということにあります。このように書くと、眉毛に唾する人もいると思います。しかし、「どう考えても教えるべきなのに、教えてこなかったこと」は歴然とあるのです。著者のおかべ氏は「その一端は、建国記念の日にも表れています」と言います。
「2月11日は、祝日である。休みである。これは誰でも知っている。でも、『何の祝日?』と問われれば『建国記念の日』と答える人もたくさんいるでしょうが、『建国記念の日は、何をもって定められたのか?』と問われると、多くの人が答えられない。これを学校で教わったという人は、ほとんどいないと思います」
――確かに、なにをもって「建国」なのでしょうか?
「堀井憲一郎さんの『ねじれの国、日本』(新潮新書)という本に、若者に《「建国記念の日」というのがありますが、日本の建国というのは、いつを指しているんでしょうか》という聞き取り調査した話が載っています。そこにはいろんな答えがありました。『鎖国解除の日?』『明治政府が近代国家宣言をした日?』『日本が民主主義になった日?』『天孫降臨の日?』などなどなど。習っていないから、答えがバラバラ。どう考えても自分の国にとって、大事そうな日なのに、なぜ休みなのかを教えない。堀井さんはこう続けます。《アメリカの独立記念日、フランスの革命記念日を聞くと、知っている。それは授業で教えるからだ。日本の紀元は教えず、アメリカフランスの紀元は教える。それが日本の基本的な態度である》と。このように『教えるべきであろうに、教えてこなかったこと』があるのです」
――2月11日は、「神武天皇が初代の天皇に即位した日」です。
「この『初代天皇は神武天皇』ということも、ほとんどの人が習ってこなかったはずです。推古天皇は33代、桓武天皇は50代、後醍醐天皇は96代。こう言及するのに、初代の名前には触れないのです。大雑把にいえば、戦前は天皇に対する教育が行きすぎたから、戦後はあまり触れないようにしている。なんとなく、戦前はみんな悪く、戦後はみんないい。そんな雰囲気の歴史教育が行なわれてきたのです。『教わってこなかった、知るべきこと』を英雄の物語を通して知っていこうというのが『基礎教養 日本史の英雄』のひとつの骨子です。英雄は全部で20人。時代順に出てきますが、最初に登場するのは、もちろん初代天皇の神武天皇です」
「日本史の英雄」と聞いて誰を想像するだろうか。織田信長、豊臣秀吉ら戦国武将や、坂本龍馬、西郷隆盛といった幕末の志士たちだろうか。しかし、建国の祖である神武天皇を想起する人は少ないだろう。明治6年に定められた建国記念日は、神武天皇が即位した日を「紀元節」としたものが、戦後にはGHQの意向で廃止され、ようやく復活したのは昭和41年になってから――。2月11日は、そういった「歴史の断絶」について考えてみるのもいいかもしれない。 <取材・文/日刊SPA!編集部>
【主張】
建国記念の日 政府自ら祝典を開催せよ
http://www.sankei.com/column/news/160211/clm1602110001-n2.html
大きな節目となる50回目の「建国記念の日」を迎えたが、今年もまた、国として祝う式典は開かれない。残念というほかない。
日本の建国は神話的な伝説に基づいている。新しい国づくりを目指して日向国を出た神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレビコノミコト)は瀬戸内海を東進し、難波、熊野へと至る。やがて大和を平定すると橿原(奈良県)を都と定め天下を統治することになった。
古事記や日本書紀がつづる初代神武天皇即位の物語である。
明治6年、政府は即位の日を現行暦に換算した「2月11日」を紀元節と定めたが、先の敗戦後はGHQ(連合国軍総司令部)によって廃止された。建国記念の日として復活するのは昭和42年で、祝日法には「建国をしのび、国を愛する心を養う」と明記された。
半世紀を経て、法の趣旨が十分に浸透しているかは疑問である。戦後の学校教育では、神話や建国の歴史が皇国史観や軍国主義につながるとして避けられてきた。自国の歴史を否定する自虐まみれの教育で、どうして青少年の健全な愛国心を育てられよう。
日本の建国の日を知っている日本人は2割にも満たないとの調査結果もある。神話はそっくり史実ではないにしろ、先人の国づくりへの思いや日本人としての生き方がうかがい知れる、いわば民族の貴重な遺産なのである。
自国のそのような遺産を誇りに思わない国民が国際社会から評価されようか。学校教育を含めた国の役割は極めて重大だといわざるを得ない。
昨秋、大阪で開催された交声曲「海道東征」のコンサートで、大きなホールが聴衆の感動に満たされたことを改めて想起したい。北原白秋作詩、信時潔作曲によるこの曲は、壮大な建国の歴史を格調高くうたいあげたものだ。
新保祐司・都留文科大教授は、「(聴衆は)自分という人間が、日本の建国の歴史に精神の深みで繋(つな)がっていることに覚醒して、魂の感動を覚えた」と評した(昨年12月1日付本紙「正論」)。
いま国内外で直面している幾多の困難を乗り切るためにも、日本人としての誇りを抱き続けるこれら国民の熱い思いに、政府は真剣に応えるべきではなかろうか。政府が直接関与する祝典の開催が、まず何よりも望まれる。
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建国記念の日 各地で祝う式典や反対する集会
2月11日 18時38分
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160211/k10010406011000.html
建国記念の日の11日、これを祝う式典や、反対する集会が各地で開かれました。
このうち東京・渋谷区の明治神宮会館では、神社本庁などで作る「日本の建国を祝う会」が式典を開き、主催者の発表でおよそ1200人が参加しました。
主催者を代表して國學院大学の大原康男名誉教授があいさつし、「世界各国で国民が建国記念の日を祝っており、わが国でもできるだけ早く政府主催の式典を開催して、国を愛する心を育てるべきだ」と述べました。そして「5月には三重県の伊勢志摩でサミットが開催され、世界に向けて日本のすばらしい精神性を発信する絶好の機会となる。誇りある国づくりへ向けて一層力を尽くすことを誓う」などとする決議が採択されました。
一方、東京・中央区では、歴史の研究者や歴史教育に携わる教職員など、主催者の発表でおよそ350人が参加して建国記念の日に反対する集会が開かれました。講演した千葉大学の栗田禎子教授は、「安全保障関連法を巡って戦争を直接知らない若い世代が平和憲法を守ろうと立ち上がったことは、戦争ができる国にしようという勢力にとって大きな誤算だったはずだ。憲法を守る戦いは今が集大成の時だと自覚することが大切だ」と述べました。
この後、集会では「憲法を礎に歴史の逆流を許さず平和なアジアと世界をつくり、立憲主義、民主主義に基づく新しい未来をひらこう」などとするアピールが拍手で採択されました。
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2月11日は建国記念日。ではいったい何を「建国」した日?
2016.02.11 雑学
http://nikkan-spa.jp/1051487
今日、2月11日が「建国記念の日」であることは知っているでしょう。では、なぜ2月11日が「建国記念の日」になったのでしょうか? 『基礎教養 日本史の英雄』(倉山満+おかべたかし/扶桑社刊)は、20人の英雄譚を通して日本史を学ぼうという本ですが、その骨子は「僕たちは、教えられるべき歴史を、教わってこなかった」ということにあります。このように書くと、眉毛に唾する人もいると思います。しかし、「どう考えても教えるべきなのに、教えてこなかったこと」は歴然とあるのです。著者のおかべ氏は「その一端は、建国記念の日にも表れています」と言います。
「2月11日は、祝日である。休みである。これは誰でも知っている。でも、『何の祝日?』と問われれば『建国記念の日』と答える人もたくさんいるでしょうが、『建国記念の日は、何をもって定められたのか?』と問われると、多くの人が答えられない。これを学校で教わったという人は、ほとんどいないと思います」
――確かに、なにをもって「建国」なのでしょうか?
「堀井憲一郎さんの『ねじれの国、日本』(新潮新書)という本に、若者に《「建国記念の日」というのがありますが、日本の建国というのは、いつを指しているんでしょうか》という聞き取り調査した話が載っています。そこにはいろんな答えがありました。『鎖国解除の日?』『明治政府が近代国家宣言をした日?』『日本が民主主義になった日?』『天孫降臨の日?』などなどなど。習っていないから、答えがバラバラ。どう考えても自分の国にとって、大事そうな日なのに、なぜ休みなのかを教えない。堀井さんはこう続けます。《アメリカの独立記念日、フランスの革命記念日を聞くと、知っている。それは授業で教えるからだ。日本の紀元は教えず、アメリカフランスの紀元は教える。それが日本の基本的な態度である》と。このように『教えるべきであろうに、教えてこなかったこと』があるのです」
――2月11日は、「神武天皇が初代の天皇に即位した日」です。
「この『初代天皇は神武天皇』ということも、ほとんどの人が習ってこなかったはずです。推古天皇は33代、桓武天皇は50代、後醍醐天皇は96代。こう言及するのに、初代の名前には触れないのです。大雑把にいえば、戦前は天皇に対する教育が行きすぎたから、戦後はあまり触れないようにしている。なんとなく、戦前はみんな悪く、戦後はみんないい。そんな雰囲気の歴史教育が行なわれてきたのです。『教わってこなかった、知るべきこと』を英雄の物語を通して知っていこうというのが『基礎教養 日本史の英雄』のひとつの骨子です。英雄は全部で20人。時代順に出てきますが、最初に登場するのは、もちろん初代天皇の神武天皇です」
「日本史の英雄」と聞いて誰を想像するだろうか。織田信長、豊臣秀吉ら戦国武将や、坂本龍馬、西郷隆盛といった幕末の志士たちだろうか。しかし、建国の祖である神武天皇を想起する人は少ないだろう。明治6年に定められた建国記念日は、神武天皇が即位した日を「紀元節」としたものが、戦後にはGHQの意向で廃止され、ようやく復活したのは昭和41年になってから――。2月11日は、そういった「歴史の断絶」について考えてみるのもいいかもしれない。 <取材・文/日刊SPA!編集部>
日記(2/13)
友達と茶。
先日の鍵の話をしたら、
郵便を取りに行ったり、玄関掃除をするときのサンダルの裏に鍵を貼り付けておけば
万が一の時に使えるのでは?という良案。
おーなるほど。
鍵をどこか(例えば、ガス給湯器の裏とか)に隠すのはリスクが高いと思っていたのでこれは使えそう。
サンダル以外で外に出るときは、「外に出る」という用事があって出るので
必ず鍵をかける=鍵を持って出かける。うっかりすることはまずない(はず)。
サンダルもひとつしかないので、間違うこともない(はず)。
ただ裏に貼るといつの間にか無くしたり、
サンダルを買い替えた時に忘れてサンダルごと捨ててしまう恐れがあるので
サンダルの土踏まず部分に見えるように、透明の養生テープで貼り付けた。
「朝日新聞が『捏造』を報道」「20万人も混同」…政府が国連委でようやく反論
2016.2.17 10:00更新
「朝日新聞が『捏造』を報道」「20万人も混同」…政府が国連委でようやく反論
http://www.sankei.com/world/news/160216/wor1602160061-n1.html
【ジュネーブ=田北真樹子】日本政府は16日午後(日本時間同日夜)、
国連欧州本部で開かれた女子差別撤廃委員会の対日審査で慰安婦問題に関する事実関係を説明した。
政府代表の外務省の杉山晋輔外務審議官は強制連行を裏付ける資料がなかったことを説明するとともに、
強制連行説は「慰安婦狩り」に関わったとする吉田清治氏(故人)による「捏造(ねつぞう)」で、
朝日新聞が吉田氏の本を大きく報じたことが「国際社会にも大きな影響を与えた」と指摘した。
また、「慰安婦20万人」についても朝日新聞が女子挺身隊を「混同した」と説明した。日
本政府が国連の場でこうした事実関係を説明するのは初めて。
杉山氏の発言はオーストリアの委員からの質問に答えたもの。
この委員は、これまでの同委員会やほかの国連の委員会からの最終報告が
元慰安婦への賠償や加害者の訴追などを求めていることを指摘、被害者中心の対応について質問した。
杉山氏は昨年末の日韓外相会談で、慰安婦問題は最終的かつ不可逆的に解決することで合意したことを説明した。
その上で、強制連行が流布された原因は吉田清治氏が執筆した本で
「吉田氏自らが日本軍の命令で韓国の済州島において大勢の女性狩りをしたという事実を捏造して、発表したため」と指摘した。
吉田氏の本の内容が「朝日新聞社により事実であるかのように大きく報道され、
日本韓国の世論のみならず国際社会にも大きな影響を与えた」とも述べ、
内容は「複数の研究者により完全に想像の産物であったことがすでに証明されている」と明言した。
また、朝日新聞が2014(平成26)年に「事実関係の誤りを認め、正式に謝罪した」と説明した。
「慰安婦20万人」についても、杉山氏は「具体的な裏付けがない数字」として、
朝日新聞が謝罪した際に労働力として動員された女子挺身隊と慰安婦を混同したことを認めている点も説明した。
「性奴隷」との表現についても「事実に反する」と強調した。
一方、杉山氏は、慰安婦問題は日本が女子差別撤廃条約を締約した1985(昭和60)年以前のことで、
同条約は締結以前に生じた問題については遡(さかのぼ)って適用されないことから
「慰安婦問題を同条約の実施状況の報告で取り上げるのは適切ではないということが、
日本政府の基本的な考え方だ」とも述べた。
「朝日新聞が『捏造』を報道」「20万人も混同」…政府が国連委でようやく反論
http://www.sankei.com/world/news/160216/wor1602160061-n1.html
【ジュネーブ=田北真樹子】日本政府は16日午後(日本時間同日夜)、
国連欧州本部で開かれた女子差別撤廃委員会の対日審査で慰安婦問題に関する事実関係を説明した。
政府代表の外務省の杉山晋輔外務審議官は強制連行を裏付ける資料がなかったことを説明するとともに、
強制連行説は「慰安婦狩り」に関わったとする吉田清治氏(故人)による「捏造(ねつぞう)」で、
朝日新聞が吉田氏の本を大きく報じたことが「国際社会にも大きな影響を与えた」と指摘した。
また、「慰安婦20万人」についても朝日新聞が女子挺身隊を「混同した」と説明した。日
本政府が国連の場でこうした事実関係を説明するのは初めて。
杉山氏の発言はオーストリアの委員からの質問に答えたもの。
この委員は、これまでの同委員会やほかの国連の委員会からの最終報告が
元慰安婦への賠償や加害者の訴追などを求めていることを指摘、被害者中心の対応について質問した。
杉山氏は昨年末の日韓外相会談で、慰安婦問題は最終的かつ不可逆的に解決することで合意したことを説明した。
その上で、強制連行が流布された原因は吉田清治氏が執筆した本で
「吉田氏自らが日本軍の命令で韓国の済州島において大勢の女性狩りをしたという事実を捏造して、発表したため」と指摘した。
吉田氏の本の内容が「朝日新聞社により事実であるかのように大きく報道され、
日本韓国の世論のみならず国際社会にも大きな影響を与えた」とも述べ、
内容は「複数の研究者により完全に想像の産物であったことがすでに証明されている」と明言した。
また、朝日新聞が2014(平成26)年に「事実関係の誤りを認め、正式に謝罪した」と説明した。
「慰安婦20万人」についても、杉山氏は「具体的な裏付けがない数字」として、
朝日新聞が謝罪した際に労働力として動員された女子挺身隊と慰安婦を混同したことを認めている点も説明した。
「性奴隷」との表現についても「事実に反する」と強調した。
一方、杉山氏は、慰安婦問題は日本が女子差別撤廃条約を締約した1985(昭和60)年以前のことで、
同条約は締結以前に生じた問題については遡(さかのぼ)って適用されないことから
「慰安婦問題を同条約の実施状況の報告で取り上げるのは適切ではないということが、
日本政府の基本的な考え方だ」とも述べた。
日記(2/24)
このところ、朝早く(というより夜中)に目を覚ましてしまうことがまた多くなってきた。
そのせいか、仕事中に眠い。
肩の凝りも酷いし、年のせいかね。
昨日は両陛下の長男の誕生日で
映像がでたが、地球儀を見て妻と子と笑っていた。
宮内庁が提供した写真によると
『かつて世界で4番目に大きな湖だった中央アジアのアラル海が縮小したことについて、
地球儀を使って雅子さまと愛子さまに説明される皇太子さま』
だそうだが、それがなぜ笑いにつながるのかわからない。
かつて盆栽見学をして大笑いしたり
正倉院展で変な質問をして説明役の人が言葉につまると大笑いしたり
被災地の神楽のパンフレットの地名の読み方で大爆笑したり
笑いのつぼがよくわからない夫婦だ。
そのせいか、仕事中に眠い。
肩の凝りも酷いし、年のせいかね。
昨日は両陛下の長男の誕生日で
映像がでたが、地球儀を見て妻と子と笑っていた。
宮内庁が提供した写真によると
『かつて世界で4番目に大きな湖だった中央アジアのアラル海が縮小したことについて、
地球儀を使って雅子さまと愛子さまに説明される皇太子さま』
だそうだが、それがなぜ笑いにつながるのかわからない。
かつて盆栽見学をして大笑いしたり
正倉院展で変な質問をして説明役の人が言葉につまると大笑いしたり
被災地の神楽のパンフレットの地名の読み方で大爆笑したり
笑いのつぼがよくわからない夫婦だ。
日記(2/27)
今週のとある日、顔写真付きのマイナンバーカード交付のお知らせがようやく来た。
昨年、通知カードが届いてからすぐ(11月半ば位に)申し込んだ。
地域ニュースでは、今年1月4日に「交付が始まりました」と受け取ってる人のニュースを見たので
何か、トラブルか不具合かで私だけ来ていないのかと思っていたが
同じ位に申し込んだ同僚も他区だがまだ来ていないというので
特に問い合わせもしないで待っていたら、やっと来た。
そしてすぐに受け取りに行って来た。今の時期はまだ比較的時間休みも取り易い。
平日の9時から17時の間にしか受け取れないので早退した。
窓口はそんなには混んでいなかったが交付までにやたらと時間がかかった。
受付して、呼ばれるまでも長かったし
そのあと必要書類を渡し、さらに30分ほど待つ。
そのあと顔認証(申し込み時の写真と窓口に来た人が同一かどうかのチェック)
また待ち時間。
そして次は暗証番号の設定。説明も結構長い。
そして少し待ってようやく交付。
重要な証明書を作るのだからいろいろ面倒なのは仕方がない。
でも、窓口の向こうの人達は手持無沙汰のようにぼーっと立っていたり、談笑していたり
(夕方行ったので)片づけている人もいて、ちょっといらついたのも事実。
受け取るときに、「結構時間がかかるものなんですね~」と文句でなく、嫌味にもならないように聞いてみたら
端末でのやりとりに時間がかかるのだそうだ。(正確には波があると言っていた)
16時20分頃、区役所に着いて、庁舎を出たのは17時30近く。
もう入り口も閉まっていて脇の通用口から出た。
とにかく、ようやく写真付きのマイナンバーカードを受け取った。
昨年、通知カードが届いてからすぐ(11月半ば位に)申し込んだ。
地域ニュースでは、今年1月4日に「交付が始まりました」と受け取ってる人のニュースを見たので
何か、トラブルか不具合かで私だけ来ていないのかと思っていたが
同じ位に申し込んだ同僚も他区だがまだ来ていないというので
特に問い合わせもしないで待っていたら、やっと来た。
そしてすぐに受け取りに行って来た。今の時期はまだ比較的時間休みも取り易い。
平日の9時から17時の間にしか受け取れないので早退した。
窓口はそんなには混んでいなかったが交付までにやたらと時間がかかった。
受付して、呼ばれるまでも長かったし
そのあと必要書類を渡し、さらに30分ほど待つ。
そのあと顔認証(申し込み時の写真と窓口に来た人が同一かどうかのチェック)
また待ち時間。
そして次は暗証番号の設定。説明も結構長い。
そして少し待ってようやく交付。
重要な証明書を作るのだからいろいろ面倒なのは仕方がない。
でも、窓口の向こうの人達は手持無沙汰のようにぼーっと立っていたり、談笑していたり
(夕方行ったので)片づけている人もいて、ちょっといらついたのも事実。
受け取るときに、「結構時間がかかるものなんですね~」と文句でなく、嫌味にもならないように聞いてみたら
端末でのやりとりに時間がかかるのだそうだ。(正確には波があると言っていた)
16時20分頃、区役所に着いて、庁舎を出たのは17時30近く。
もう入り口も閉まっていて脇の通用口から出た。
とにかく、ようやく写真付きのマイナンバーカードを受け取った。
うるう年
暦からはみ出した日数を調節するための年
地球が太陽を一周する日数は1年(365日)とされているが、
実際は365.2422日。
その誤差を修正するために、4年に1回うるう年を設けて1年を366日としている。
「うるう年」は、不規則なものという意味をもつ漢字「閏」に当てた読み方。
うるう年の割り出し方
陰暦から太陽暦に変わった明治時代の法令
「神武天皇即位紀元年数(皇紀=西暦に660年を足した年数)が4で割れる年をさす」
となっているが、必ずしも4年に1回うるう年にはならない。
うるう年の条件としては、以下。
1、西暦年が4で割り切れる年
2、例外として西暦年が100で割り切れる年はうるう年とはならない
3、さらにその例外として西暦年が400で割り切れる場合はうるう年となる
(西暦2000年など)
地球が太陽を一周する日数は1年(365日)とされているが、
実際は365.2422日。
その誤差を修正するために、4年に1回うるう年を設けて1年を366日としている。
「うるう年」は、不規則なものという意味をもつ漢字「閏」に当てた読み方。
うるう年の割り出し方
陰暦から太陽暦に変わった明治時代の法令
「神武天皇即位紀元年数(皇紀=西暦に660年を足した年数)が4で割れる年をさす」
となっているが、必ずしも4年に1回うるう年にはならない。
うるう年の条件としては、以下。
1、西暦年が4で割り切れる年
2、例外として西暦年が100で割り切れる年はうるう年とはならない
3、さらにその例外として西暦年が400で割り切れる場合はうるう年となる
(西暦2000年など)