どうして春は心がゆらぐ…?

転載

どうして春は心がゆらぐ…?
安藤清志 東洋大学社会学部 社会心理学科教授 文学博士


順調に生活しているとき、自分が考えている「私」は、
かなり安定した存在であるはずです。
これは物事を自分にとってよい方向に解釈したり、
都合のいい事を覚えたりしておくことで、心の安定を図っているためです。
また、周囲の親しい人たちの存在も、
安定した「私」を維持する上で、重要な役割を果たしています。
親しい人に自分のことを話せば、多くの場合、それを受け入れてくれるでしょうし、
「私も同じ」というように同意してくれるはずです。
逆に言えば、私たちは自分をそのように扱ってくれる人を選び、
親しい関係を築いているといってもいいでしょう。
その意味で、親しい人たちが「私」をやさしく支えてくれているといえます。
しかし、順調だと思っていた生活が急にうまく運ばなくなってしまうときも…。
すると私たちは、心に大きな「揺れ」を感じ、自分に対して怒りを覚えたり、
将来を不安に思って落ち込んだりもします。
春は、そんな心の揺れの起こりやすい時期の一つといっていいでしょう。
自分や親しい人たちの就職や退職、就学や卒業、転勤、異動、引越し…、
さまざまな変化や移行を経験したり、目の当りにしたりするのは、
やはりこの季節が多いのではないでしょうか。
ある人は役割を離れ、ある人は新しい役割を担って生活を始めます。
他者を見る目が違ってきますから、「私」は一時的に揺れを感じるわけです。
また、住み慣れた土地を離れるようなことがあれば、人間関係も大きく変化しますから、
支えがなくなった「私」は揺れやすくなります。
さらに過去にそのような揺れを経験したことのある人は、毎年その時期が近くなると、
無意識のうちに「余震」を感じ、心が揺らいでしまうこともあるはずです。

ここまでの話は、心の揺れの源が環境の変化にある場合です。
もう一つ、揺れの原因や大きさを決定づける要因があります。
それは自分自身が「私」の支えになるものとして、何を重要視しているか、です。
米国の心理学者クロッカーは、重要な領域として、
他者による評価、外見、競争、学力、
家族の支え、道徳、宗教の7つを挙げています。
もちろん何を重要と思うかは、人によって異なるもの。
家族から大切にされていると思うことが、
何よりも重要な支えになっている人もいますし、
自分の外見的魅力によって「私」を支えている人もいます。
いずれにしても、自分にとって重要な領域がうまくいっていると思えば
「私」の価値を認識することができるでしょうし、
反対にその領域で失敗すれば自己評価が揺らぐことになります。
また、この重要な領域が、時とともに変化するケースもあります。
たとえば、若い頃は外見的な魅力によって自らの価値を決めていた人が、
年齢を重ねるにつれて、内面的な「徳」を重要な領域とする場合もあります。
そうすれば、外見が衰えたとしても、揺らがない「私」を維持できるのです。

環境の変化が原因であるにせよ、拠り所にしている領域での失敗が原因であるにせよ、
心の揺れは確かに不安なものです。でも考えようによっては、
「新しい私」をつくる契機でもあります。
安定しているときは、自分について深くは考えないもの。
揺れが訪れたときに初めて、私たちは自分自身を見つめるようになります。
過去の自分を懐かしんだり、あるいは将来の姿に思いを馳せたり…。
それは、さまざまな事柄を別の枠組みで見たり、
より大きな枠組みから眺める機会にもなります。
私たちの人生は、もしかすると「安定」と「揺らぎ」の繰り返しで
成り立っているのではないでしょうか。
振り返って見れば、少しずつ強くなり、
揺らがない部分が増えてきた「私」の姿が見えるかもしれません。
目指すべきは、このような意味での「揺らがない女」、
ときには「揺らぐことをたのしむことができる女」
だと思うのですが、いかがなものでしょうか?

日記(3/5)

吐き出し窓の上の天窓の外側はめったに拭かないのだが
クイックルワイパーの本体にマイクロファイバーの雑巾をつけて拭いてみた。
湿らせた雑巾で拭いた後、乾いた布で乾拭き。
意外にきれいになったと思いきや、角度を変えて眺めてみると拭き跡が残っている。
次の休みに気力があればやり直しする。


この前、輸入食品を扱う店で
イタリアのビスケットが商品入れ替えのため、半額だったので買ってみた。
袋の写真では厚いサブレのようで、おいしそうだったが…
私の口には合わなかった。
食べきるのに難儀した。
どうも、独特の味が口に残る。
なかなか表現が難しい不味さ。
安かったけど、ものすごくがっかり。


今更だが

先週の土曜日、「アナと雪の女王」が フジTVで放送された。
地上波初だったそう。
そしてエンディングで物議をかもしているようだ。

私も見ていて、凍り付いた。
抗議しようとまでは思わないが、残念。

「アナと雪の女王」は姪がDVD(ブルーレイ?)を持っているので
一昨年の年末に実家に帰った時に見せてもらった。
私はディズニー映画はそれほど好きではないのだが
「アナと雪の女王」は、結構面白いと思った。
で、家族と最後まで見て、エンディングは家族がM・Jが嫌いだということで姪が早送りして終わらせていた。
後日、エンディングの後、おまけ映像があるとネットで知って
(エルサが捨てた王冠を雪男が自分の頭にのせるらしい)
それを確認するために見たというのに…
なんということか…


ところで物語のラストシーン
アナを救う「真実の愛」はエルサの愛 と解釈している人が私の周りにもネット上にも沢山いるが
そうじゃないよ…とずっと思っていた。
アナを救ったのはアナ自身だ。
そのシーンの少し前で雪だるまが言っている。
「愛というのは自分よりも相手の求めることを優先してあげることだよ」と。
アナは自分を助けるために走ってくる氷屋よりも、
どこかの国の13男に殺されそうになっているエルサを助けることを選んだ。
その行為が真実の愛であり、アナを溶かしたのである。

ブックオフでノベライズを立ち読みして納得。
明確に「アナは凍りついた心臓を自分で溶かした」と書いてある。


そして ところでをもうひとつ
途中、エルサが熱唱するシーン。
一緒に歌って他の家族に「もううるさい!黙って!じっくり聞きたいのに」と言われるのが
下の姪か私の母、そして私(三人とも姉がいる妹=アナ)
まあ、母の姉は遠くに住んでいるのでその場にはいないが。
で「うるさい」と注意するのが上の姪と私の姉(長女=エルサ)


電話は嫌い、非通知出ない 人事も驚く今どきの就活生

電話は嫌い、非通知出ない 人事も驚く今どきの就活生
2017/3/8
http://style.nikkei.com/article/DGXMZO13579300S7A300C1000000?channel=DF180320167086&style=1

「学生が電話に出てくれない」――。3月1日に解禁となった2018年卒の採用活動。
浪人や留年などの寄り道なしで卒業予定であれば、1995~96年生まれの大学生たちは、
生まれたときからの携帯電話世代だ。彼らの通信手段は「LINE」「ツイッター」がほとんど。
就職活動になって初めて、「見知らぬ大人との電話コミュニケーション」に直面、とまどう学生も少なくない。
通信手段の変化が、就活に思わぬハードルをもたらすこともあるようだ。

■電話対応、採用の評価に
 「電話、やっぱり嫌ですよね。アポの調整はメールがいい」。早稲田大文学部3年の女子大生はこう話す。
さらに「知らない番号は気になる」という。就職活動を本格化し始めた昨年秋ごろから、
登録した就職支援会社から、イベント勧誘の電話が頻繁にかかってくるようになった。
「何時にかかってくる、とあらかじめわかっていれば対応できるけど……」と不快感を隠さない。
就活生には電話1本かけるにも事前のアポイントメントが必要なのか。
 企業の人事担当者はどう感じているのだろう。
 主に海外など遠隔地にいる就活生向けに、無料ビデオ通話ソフト「スカイプ」を使った面接も一部受け付けるなど、
採用活動にデジタルメディアを広く活用している携帯電話大手、ソフトバンク。
しかし、社会人になってから期待するマナーは違うようだ。採用・人材開発統括部の源田泰之統括部長は、
「チームでやる仕事が多いし、コミュニケーションスキルは仕事の成果にかかわる。
さすがに電話が全然できないのは困る」という。
 ある東証マザーズ上場のアプリ開発会社の人事担当者は「電話の対応はチェックする」ときっぱり。
面接やインターンシップ(就業経験)など、「よそ行き」の顔がいくらしっかりしていても、
電話のやりとりができなければ評価が下がるそうだ。
また、この会社はメールの返信の早さ、遅さなどの対応力も見ているという。
 その一方、「『未登録の03ナンバーは怪しい』と思われているのだろう」と、電話に出ない学生の行動に理解を示した。
着信履歴を見たらまず検索でチェックし、企業名を確かめてから折り返す、という動きは、
IT(情報技術)リテラシーの高い学生には当たり前の自己防衛なのかもしれない。
 どちらにしても、インターネット上にマニュアルが流布する今だからこそ、
メールや電話の対応力が「学生の素を見たい」という採用担当者にとって絶好の機会の一つとなっているようだ。
 マスコミに勤務する30歳代の女性は、送られてきたOG訪問の依頼メールに感心した。
「拝啓」に始まり「敬具」まで、非常に丁寧な文面だったためだ。ところが、実際に会ってみて、もっと驚いた。
「会ってみたら目をあわせてくれないし、ずっと、おどおどしていた。メールではしっかりしていたのに……」。
電話にかぎらず、面と向かっての対応が苦手、という学生は多い。

■「非通知」なんてありえない
 「学生は電話が苦手」と断言するのは、20年以上採用市場を見てきた就職情報大手、
マイナビ(東京・千代田)の栗田卓也HRリサーチ部長だ。
今どきの就活生は、LINEや フェイスブックの無料対話アプリ「メッセンジャー」など、
文字だけのコミュニケーションに慣れている世代だ。しかも、同世代の友人とのやり取りがほとんどなため、
「急に大人と接触する機会が訪れたり、電話で話そうとしたりすると緊張してしまう」(栗田部長)。
さらに、「非通知」の電話には出ないという学生が少なくないという。
 人事が番号非通知で学生に電話をかけてくることもままある。
採用現場の苦悩を描いた小説「あの子が欲しい」の作者、朝比奈あすかさんは、
「非通知での電話連絡は、できるかぎり情報を開示せず人を採りたい、という採用側の傲慢さが出ている」という。
 ただ、非通知は必ずしも故意とは限らない。栗田部長は「学生がつかまらないと嘆く人事に、
もしや『非通知では』と確認すると、意図せず設定されていた、というパターンがある。
オジサンはITに弱くて」と苦笑い。小さな確認もれで優秀な学生を取り逃がすケースもありそうだ。

■友人とのコミュニケーション、電話は1.3%
 マイナビが17年2月に18年卒の就活生を対象に実施した「ライフスタイル調査」では、
友人とのコミュニケーションに使うツールはなんと9割がLINEだった。一方、電話は1.3%とごくわずか。
スマートフォンの保有者は98.5%と「ほぼ全員持っている」状態だが、通話の頻度は少ないようだ。
 しかし、実際に日々仕事に向かうビジネスパーソンは誰もが
「『電話が苦手なので』では仕事にもならない」と即答するはずだ。
前述の栗田部長も、「電話のコミュニケーションに慣れていないのなら、就活で慣れたほうがいい」と進言する。
日々の仕事で必要なスキルだからこそ、面接官がチェックしている。
 学生諸君は「面接以外の場面でもチェックされているなんて」と負担に思わず、
この機会に「大人との電話コミュニケーション」を克服してはどうだろうか。
(松本千恵)

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私も電話は苦手だ。
今とは時代が違うが、はるか昔の大学生の就職活動での電話のやりとりもとても緊張した。
あらかじめ台本を作っておいたり、ひとりで練習したりもした。
予想外のことを言われたりすると、しどろもどろなってしまったりもした。
だから今の学生の気持ちもよくわかる。
今は非通知の電話に出ないことは、特別なことでもない。
携帯でも、固定電話でも非通知をはじく設定にしている人も少なくないと思う。
電話の対応力は必須という人事担当の人の言い分はもっともだが、
押し売り電話じゃあるまいし、せめて企業は非通知はやめてほしいと思う。

宅配

ヤマト運輸が値上げするとのこと。
午後12時から14時の時間指定も廃止するとのこと。

通販を利用する人が増えているし、
再配達が度重なることも多いそうなので、配達の人は本当に大変だと思う。
値上げもやむを得ないのかもしれない。
私はできる限りは日時指定をして、「再配達」にならないように気をつけてはいるが
複数注文して、一部が入荷待ちなどの場合、日時指定ができないこともある。
そういう時は、不在で再配達を利用することになってしまう。


ヤマトではなく飛脚だが、
二品注文して、日時指定。
一品はその通りに届いた。
一品は入荷が遅れた。
発送しましたメールが届いた時に日時指定しようとしたができなかった。
発送しましたメールの翌日。
不在票はなかったが、気になって荷物を追跡してみると
月曜日の昼間に来た形跡があり、インターネットで再配達の日時を指定した。
土曜日の午前にした。
それなのに、木曜日の夜9時に来た。
配達の人は「すいません、昨日の指定だったのに確認してなくて~」と言っていた。
箱には昨日の日付指定のシールが貼られていた。
わけがわからない。
飛脚さんはいつも適当で本当に嫌だ。


前にヤマトも再配達指定をしたのに、その日の夜中に来たということをここにも書いたことがあるが、
あれはその日の仕事を片づけてしまいたかったか、親切でしたことだろうとは思うが
飛脚の方は、再配達の日付を間違ったか、日付シールを間違っていたというミス。
初回で不在票が入っていなかったのも変。
こちらは指定した時の控えがあったが
再配達をして頂いて、文句を言える立場でもないのでやめた。

ここ1、2年、結構な確率で配送トラブルに当たる。  
配送会社はバラバラなので、どこの会社がどうということより、最近の傾向なのかもしれない。
人手不足で大変なのかねえ。

震災・空襲 慰霊


東日本大震災6年 政府主催の追悼式
3月11日 15時42分
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170311/k10010907381000.html
東日本大震災の発生から6年となる11日、秋篠宮ご夫妻が出席されて、政府主催の追悼式が東京で開かれ、
地震の発生時刻に合わせて、安倍総理大臣や遺族の代表ら出席者全員が黙とうをささげ、
震災で亡くなった人たちに哀悼の意を表しました。
政府主催の「東日本大震災六周年追悼式」は11日午後、東京の国立劇場で開かれ、
秋篠宮ご夫妻や安倍総理大臣、それに遺族の代表らが出席し、
地震が発生した午後2時46分に出席者全員が黙とうをささげ、哀悼の意を表しました。
追悼式には、これまで毎年、天皇皇后両陛下が出席されてきましたが、
6周年となるのに合わせて検討が行われた結果、ことしは秋篠宮ご夫妻が出席されることになりました。
この中で安倍総理大臣が、「被災地に足を運ぶたび、震災から6年を経て復興は着実に進展していることを実感します。
インフラの復旧がほぼ終了し、住まいの再建や産業・生業の再生も一歩ずつ進展するとともに、
福島においても順次避難指示の解除が行われるなど、復興は新たな段階に入りつつあることを感じます。
復興の進展に応じた切れ目のない支援に力を注ぎ、さらに復興を加速してまいります」と式辞を述べました。
また秋篠宮さまは「避難生活が長期化する中で、年々高齢化していく被災者の健康や、
放射線量が高いことによって、いまだ帰還の見通しが立っていない地域の人々の気持ちを思うと深く心が痛みます。
困難な状況にある人々誰もが取り残されることなく、平穏な暮らしを取り戻すことができる日が来ることは
私たち皆の願いです」とおことばを述べられました。
この後、追悼式では、岩手、宮城、福島の3県の遺族の代表があいさつしました。
岩手県の遺族代表の千葉陽さんは、「去年、今住む町で、台風による甚大な被害がありました。私にとって、
津波を思い起こす出来事でした。災害からなんとか生き残った者として、精いっぱいに生きることを全うすること、
そして、さまざまなことで起きる『つらさ』を『幸せ』に変えられるように、今の自分が持てる力が役立つのならば、
少しでもできることをしていきたいと思います」と述べました。
宮城県の遺族代表の佐藤昌良さんは、「過酷な経験を後世に色あせることなく語り続けるため、
あの悲しみを忘れません。あのつらさを忘れません。あの無力さを忘れません。あの寒さを忘れません。
両親の無念の思いに応えるため、火葬を済ませてすぐに東京の職を辞し、父の背中を追い、
現在は地域建設業の経営者として復興の最前線に立っております。全国から頂いた善意の力を借りながら、
ふるさとの復興を必ず成し遂げて参ります」と述べました。
福島県の遺族代表の石井芳信さんは、「川内村は、比較的放射線量が低く、一部の地域を残し
1年で戻ることができました。今では全村の避難も解除され復興も着々と進んでおりますが、
若い人たちが子どもの教育問題などから村に戻らないという課題なども多く、以前のような村の姿には
程遠い現況にあります。みんなで力を合わせ復興と再生を進めていくことが私たちの責務であると考えます」と述べました。
この後、追悼式では、各国の代表ら参列者が献花を行い犠牲者を悼みました。

秋篠宮さまのおことば 全文
6年前の3月11日午後2時46分、私たちが今までに経験をしたことがない巨大な地震と
それに伴う津波が、東北地方太平洋沿岸部を中心とした東日本の広範な地域を襲いました。
そして、この地震と津波によって、2万人近い人が命を落とし、
また2500名を超える人の行方がいまだ知られておりません。
ここに、本日、参集したすべての人々と共に、震災によって亡くなった方々とそのご遺族に対し、
深く哀悼の意を表します。この6年間、被災地においては、人々が互いに助け合いながら、
数多くの困難を乗り越え、復旧と復興に向けた努力を続けてきました。
そして、そのことを支援するため、国内外の人々が、それぞれの立場において、
様々な形で力を尽くしてきました。その結果、安全に暮らせる住宅の再建や産業の回復、
学校や医療施設の復旧などいくつもの分野において着実な進展が見られました。
また、原子力発電所の事故によって避難を余儀なくされた地域においても、
帰還のできる地域が少しずつではありますが広がってきております。
今まで尽力されてきた多くの関係者に対し、心からの感謝と敬意を表するとともに、
復興が今後さらに進んでいくことを祈念しております。
しかし、その一方では、被災地、また避難先の地で、困難な生活を強いられている人々が今なお多くいます。
特に、避難生活が長期化する中で、年々高齢化していく被災者の健康や、放射線量が高いことによって、
いまだ帰還の見通しが立っていない地域の人々の気持ちを思うと深く心が痛みます。
困難な状況にある人々誰もが取り残されることなく、平穏な暮らしを取り戻すことができる日が来ることは、
私たち皆の願いです。東日本大震災という、未曽有の災害のもとで、
私たちは日頃からの防災教育と防災訓練、そして過去の災害の記憶と記録の継承が
いかに大切であるかを学びました。この教訓を決して忘れることなく、
私たち一人ひとりが防災の意識を高めるとともに、
そのことを次の世代に引き継ぎ、災害の危険から多くの人々が守られることを強く希望いたします。
様々な難しい課題を抱えつつも、復興に向けてたゆみなく歩みを進めている人々に思いを寄せつつ、
一日も早く安寧な日々が戻ることを心から願い、御霊への追悼の言葉といたします。


昨日は東京大空襲の日。こちらの慰霊祭も秋篠宮両殿下がご出席された。


東京大空襲72年で法要 遺族ら参列、秋篠宮ご夫妻も
伊藤あずさ
2017年3月10日13時17分
http://www.asahi.com/articles/ASK3B3G7FK3BUTIL00H.html

約10万人が亡くなった東京大空襲から72年となった10日、東京都慰霊堂(墨田区)で都慰霊協会主催の法要があった。
秋篠宮ご夫妻や小池百合子都知事、遺族ら約600人が参列し、犠牲者を悼んだ。
僧侶らによる読経の後、小池知事はあいさつで、「東京は戦災と震災(関東大震災)で2度、焦土と化した。
記憶を決して風化させることのないよう、後の世代にしっかりと受け継ぐ」と述べた。
慰霊堂では、朝から追悼に訪れた人たちが列をつくった。墨田区の田中英雄さん(81)は、
家族と疎開せずに都内に残っていた父を空襲で失った。「いかに悲惨な出来事が起こったか、
若い人たちも思い起こす日にしてほしい」。祖父を亡くした江戸川区の平野和子さん(80)は
「逃げる途中、墨田区内で亡くなったと聞いています。おじいちゃんに会いたいな、話したいなと思い、
お参りに来ました」と話した。(伊藤あずさ)
     ◇
〈東京大空襲〉 1945年3月10日未明、米軍のB29爆撃機約300機が
東京の上空から33万発の焼夷(しょうい)弾を投下した。
下町一帯を激しい炎が襲い、犠牲者は推定10万人。
米軍の絨毯(じゅうたん)爆撃の始まりで、これ以降、名古屋、大阪、神戸などが大規模な空襲を受けた。

「怒りを自ら作り出す人」の残念な思考回路

東洋経済ONLINE
「怒りを自ら作り出す人」の残念な思考回路
怒りを「大掃除する」効果的な方法
草薙 龍瞬 :僧侶、興道の里代表 2017年03月08日
http://toyokeizai.net/articles/-/161332


人間関係、仕事、家族、日常生活……あらゆる場面で「怒り」を感じることがあります。
怒りのせいで「また失敗した」と感じることも。
怒りを外にぶつけて、苦い思いを繰り返すか、ぐっとのみ込んで、時間が経つのをひたすら待つか。
いずれも、苦しい状態です。
怒りから、もっと自由に、ラクになれる方法はないものか――
“人生の達人”ブッダに聞いてみると、意外な「怒らない方法」が返ってきます。
「人生を快適にする合理的な方法」として仏教を説く、
独立派の出家僧・草薙龍瞬氏(著書に『反応しない練習』がある)が、ブッダ流「怒りの消し方」を紹介します。


「怒り」は、誰にとっても切実なテーマです。その最大の理由は、
人間関係に支障を来すこと。自分にとって、ストレス・苦しみになることです。
だから「怒らないようにしよう」と考えるわけですが、現実には「つい怒ってしまった」「やってしまった」ということばかり……。
「怒ってはいけない」と頭ではわかっているのに、なぜ怒ってしまうのでしょうか。
仏教流に考えれば、それは「怒りの正体が見えていない」からです――。

■怒りのほとんどは、理由がない
怒りは “心の反応”のひとつ。不快な反応です。
その理由は、世間ではさまざまだと思われていますが、仏教的には、実は2種類(!)しかありません。
ひとつは「物理的な刺激」によるもの。たとえば、危険な目に遭ったり、体に触られたりしたときの不快感――
これは、生き物に共通する最も原始的な怒りです。
これ以外の怒りは、1種類だけです。つまり「精神的な刺激」による怒りです。
たとえば、嫌いな相手の振る舞いや、思いどおりに進まない現実への怒り、
いつ始まったのか自分もわからない慢性的なイライラなど――
これらはすべて、肉体ではなく、心が刺激を受けて生まれた反応です。
しかし、不思議な現象だと思いませんか? 
なぜ物理的な接触がないのに、心が刺激を感じて怒ってしまうのでしょうか?
心が刺激されてしまう理由――そこを突き止めることが、「怒らない方法」の決定的なポイントになります。

■初公開・怒りを克服する3つの対策
ブッダの知恵を生かせば、怒りのタイプは3つです。そのタイプごとに「怒らない方法」を、まとめてみましょう。

《その1 貪欲タイプの怒り》
ひとつは、「貪欲」つまり “欲求過剰”(求めすぎ)な精神状態からくる怒りです。
たとえば「もっと高く評価されたい」「もっと業績を上げたい」
「もっと早く、もっと高いスコアで試験に受かりたい」といった願望です。
人間関係で「あの人とは話が合わない」「わかりあえない」という不満・ストレスも、
意外かもしれませんが、貪欲タイプの怒りだったりします。
つまり、相手に「わかってほしい」「こうあってほしい」「味方でいてほしい」という過剰な期待や要求が、
そうはならない現状に「怒り」をつくり出しているのです。

<対策>
こうした求めすぎタイプの怒りは、「私が求めすぎているんだな(欲求過剰なんだな)」と
客観的に理解することが、コツになります。
というのも、求めすぎている精神状態では、何も変わらないからです。
他人は、自分以上に変わりにくい(期待できない)相手なので、そのままでは、不満も、相手との衝突も、続いてしまいます。
そこで、求めすぎている状態に気づいて、「考え方を切り替えよう」と考えます。
「自分に今できることは何だろうか?」と、自分に聞いてみるのです。
体を動かす作業。自分の役割。自分にとって有意義で、楽しいこと。できることは、意外とたくさんあります。
自分の持ち分・領域のほうに心を向けることを基本とするのです。
こうした心掛けを、仏教の世界では「脚下照顧(きゃっかしょうこ)」と表現します。
反応するより、自分の足元をよく見よう、という意味です。

《その2 怒りタイプの怒り》
ふたつ目は、「怒り」がつくる怒りです。
奇妙な言い方ですが、「すでにある怒りが、あらたな怒りをつくり出している」状態です。
たとえば、過去にイヤなことがあって、怒りが残っていたとします。
すると、心は、持続する(執着する)性質を持っているので、その怒りで別のことに反応しようとします。
その刺激となるのが、「不快な過去の記憶」や「他人の欠点」や、「これは許せない」と思える世間の話題です。
これらに反応して、新たな怒りをつくり出すのです。
これは、いわば「怒りの自家発電」。過去の怒りをエネルギーにして、新たな怒りを生んでいる状態です。
「怒りっぽい人」というのは、その一例です。
理性では「怒ってはいけない」と思いつつ、心に残っている「怒り」でつい反応してしまうのです。
怒りがぶり返すごとに、正しい言葉で切って返す

<対策>
この怒りにも「心の理解」から入ります。「過去の怒りが残っている。でも今は関係ない」と、はっきり自覚するのです。
心にくすぶっている怒りは、今とはなんの関係もありません。心にとどまっている「感情の残りかす」みたいなものです。だから、
「この残りかすの怒りだけ、解消すればいいんだな」と考えましょう。
そのうえで楽しいこと、たとえばスポーツとか、食事とか、気の合う友だちと飲みに行くことなどに時間を使って、
「怒りのお掃除」に努めます。
このタイプの怒りで大事なのは、後で「思い出さない」ことです。
過去の怒りは、過去のもの。思い出すだけ、自分がソンです。そこで、
「過去の怒りを、今怒る理由にはしない。忘れていい怒りなのだ」
と、言葉にして(念じて)みましょう。なかなか消えない怒りもありますが、
そうした怒りがぶり返すごとに、正しい言葉で切って返すのです。

《その3 妄想タイプの怒り》
もうひとつが、「妄想」が生み出す怒りです。妄想とは、現実に存在しない、頭の中にしかない思いのこと。
この妄想が実に厄介、しかもバラエティに富んでいます。
たとえば、イヤな過去を思い出して、怒りを再発させる。
これは、先ほどの「怒りタイプの怒り」ですが、最初の怒りを長引かせてしまうことに力を貸しているのが、
「記憶」という名の妄想です。
また、人がよくやる良しあしの「判断」――つまり「自分は正しい。
相手が間違っている」という思いや、他人と比較したり、優劣・勝ち負けにこだわったりという心理も、妄想にあたります。
さらには、怒らなくてもいい(怒ってもしようがない)ひとごと、たとえば世間をにぎわす事件や話題に、
「まったく!」と1人で憤慨している状態も、妄想して怒っている状態です。
つまり、過去も、判断も、ひとごとも、心の状態としてみるなら「妄想」です。これにとらわれると、暗い怒りが募っていきます。
「小さなことに腹が立つ」「なぜかいつもイライラしている」「最近楽しくない」と悩んでいる人は、大勢います。
こうした怒りの根っこにあるのは、妄想なのです。

<対策>
妄想への対策は、仏教の世界にはたくさんあります。
今回は、なかでも決定的に大事な心掛けを、ひとつ紹介しましょう。それは、
「事実と妄想は違う」
という理解です。これはシンプルですが、革命的な力をもった理解です。
事実とは、妄想の外にあるもの。いわば、脳の外・自分の外に客観的にあるものです。
今目の前にあるもの――その相手や、家族や同僚や、モノや、職場は、自分の妄想以外のところに存在している事実です。
これに対して、頭の中で、言葉で考え、映像で見るものは、妄想です。
この妄想が消えると、どうなるでしょうか? すると、妄想が作り出す怒りも、消えてしまいます。
たとえば、人間関係で考えてみます。相手がこちらに視線を向けてきた、イヤミを言ってきた、
非難・中傷をぶつけてきた、としましょう。
ここで反応すると、瞬時に妄想にのまれます。
つまり記憶に刻んで、思い出して、相手を裁いて、攻撃して、という精神状態に陥ります。これが、妄想が作り出す怒りです。
では「事実確認にとどめて、決して妄想しない」という態度なら、どうなるでしょうか。
求めないし、思い出さないし、判断もしない、としたら?
そのときは、「相手の言っていることは、理解できます(でも反応しません)」という態度に変わります。
もちろんなかなか難しいことです。でも、妄想さえ捨ててしまったら、多くの怒りは消えてなくなります。
そのことは、理解してもらえるのではないでしょうか。

■ブッダは妄想ではなく理解で返した
興味深い例として、『原始仏典』という古い仏教書のエピソードを紹介しましょう。
ある日ブッダは、嫉妬に駆られたバラモンに、さんざん悪口をぶつけられるという災難に遭遇しました。
周りの人は青ざめたり、激高したりと、騒然となりました。
でも、このときブッダが返したのは、意外な言葉でした。
「あなたがふるまったごちそうを客人が食べなかったら、その食事は、あなたのものになるだろう」と語り、こう続けたのです。
「私は、あなたが差し出す食事(つまり怒りの言葉)を受け取らない。だからそのまま持って帰るがよい」
平たくいうと、「あなたが食べるのは、あなたの自由だけど、私は食べません(反応しません)よ」というのです。
実に合理的で明快な返し方だと思いませんか。
確かに、外の世界も、他人も、いろんなことを言ってくるし、よからぬ考えを向けてきます。
でも、それに反応したら、自分の中に苦しみが生まれます。
その苦しみを長引かせるのが、妄想です。ひとの心には、記憶や、良しあしの判断、先行きへの不安や心配、
社会にあふれる情報や話題など、妄想する材料は、いくらでもあります。
しかしそのままなら、怒りは、いつまでも続くことでしょう。
だからブッダに学んで、「怒りをつくっている妄想に気をつける」のです。
そこで、こんな心構えで日常を過ごしてみましょう。難しいけれど、練習です――。

・外の世界・相手に、妄想から入らない。「期待」や「判断」に走らない
・そうした自身の思いに、「これは妄想」と、まずは気づく
・不愉快な相手には、「あなたにとっては、そうなのですね(理解はできます)」という立場に立つ

妄想せずに、理解から入るように練習するのです。相手に対しても、どんなときもです。

■「いざというときの考え方」を知っておくほど得をする
『反応しない練習 あらゆる悩みが消えていく ブッダの超・合理的な「考え方」』
「でも、そんなこと口に出したら、余計に怒られます」と言う人がいます。それはそうです(笑)。心の中でやってください。
また、期待も、求める心も、妄想も、決してマイナスだけではありません。
やる気につながったり、仕事や人間関係に改善をもたらしたりと、プラスに働くこともあります。
ただ確実に必要といえるのは、問題が起きたときの「心の使い方」なのです。
その点で、2500年の蓄積をもつブッダの知恵を、生かさない手はありません。
怒りをつくっている本当の原因に気づいて、正しい心の使い方に戻ること。
こうした心掛けで暮らしていけば、小さな怒りを引きずることは減っていきます。やってソンはありません。
練習次第で、心は変えられます。幸福、充実、軽快、満足という、もっと大切な心に向かって、いざ、精進!

第2242回「桜餅の葉は食べますか?」


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もちろん食べる
あの塩気がいい
香りもいい
桜餅はつぶつぶタイプが好き

日記(3/20)

三連休。
お彼岸のお墓参りに行くために帰省した。
お墓参り以外は特に出かけず、ばっけを取って天ぷらにして食べたりした。
ばっけみそももらってきた。
今日、新幹線で帰ってきたが
朝の人身事故で夕方まで遅れがでて、ホームで一時間ほど待った。
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