日記(6/1)

もう六月。早い。
オリンピックまでにコロナが収束するとは思えないが、やる方向で動いている。
やめておけばいいのに。

モネの舞台になっている風車の場所は
オリンピックのボート競技会場を誘致しようとして落選した場所。
競技の場所が落選になったら今度は事前合宿を誘致。
ポーランドの事前合宿の場所に決まっていたと思う。
その後、どうなったのかはわからないが
朝ドラの誘致はうまくいったようで、
これでもかこれでもかという登米市紹介がちょっと鬱陶しい。

登米市は田舎の割にはコロナ患者が多い。
去年の12月にクラスターが大量にでた。
多くは田舎だから大丈夫という根拠のない油断で
カラオケ大会など地元の人が飲食店で罹ったケースだが
ドラマのロケが去年の10月~始まっていて、スタッフや関係者、報道の人の出入りが
多少は影響しているのではないかと思っている。
初期は新田の飲食店等で多く出ていた。

今日の突っ込み。
わざわざ県内のしかも隣の市の気仙沼の実家に帰省する子に
登米市の家庭料理を持たせる必要はないのでは?
ずんだなんて宮城共通だし。腐りやすいし。(昨日も書いたが)
油麩の卵とじも危険。
大体、お盆というものは地域地域で決まった食べ物がある。
モネの家だって祖父も同居しているような家なのだし
ましてや初盆なのだからいろいろ決まりがあるだろうに。
おくずかけっぽいものを作っていたのは見えた。
(ドラマ内で誰かがにんにくを指摘していたのは良かった)

盆棚の飾り方はあれでよし。
元民宿ということで、部屋数も多いだろうに
仏壇と神棚が同じ部屋にあるのはちょっと謎だけど、まあ、それはいい。
神棚と盆棚の上下の飾り方も同じ部屋の場合はあれでよし。

持ち帰った組手什が増えていた。

ミツオの名前を呼ぶアクセントはあれでよし。

ドラマや登米市を貶す意図はない。
注目しているだけに、また知っている場所だけに
いろいろ目についてしまうというだけ。

登米市はおいしいお蕎麦屋さんもあるし
食べ物は確かにおいしい。


「おかえりモネ」撮影、若柳の老舗書店でも 5月末の放送に登場

「おかえりモネ」撮影、若柳の老舗書店でも 5月末の放送に登場
2021年06月02日 06:00
https://kahoku.news/articles/20210602khn000002.html

NHK連続テレビ小説「おかえりモネ」の撮影が、
宮城県栗原市若柳の書店「朝野堂(ちょうやどう)」でもあった。
主人公の永浦百音が、これから目指す気象予報士の参考書を購入するドラマの重要な場面で、
5月28日と31日に登場した。
朝野堂は1890年創業の老舗。
昨年7月ごろ、NHKのスタッフが「街の小さな書店を探している」と同店を訪れ、撮影が決まった。
舞台となった登米市と気仙沼市で、設定に合う書店が見つからなかったという。
撮影はクランクインした昨年9月28日にあった。
「斎藤書店」という店名で、百音役の清原果耶さんが自転車で訪れる設定。
撮影は半日かけて行われた。
同店の佐藤りえさん(30)は店員役で出演した。清原さんの印象について、
「スタッフの人たちと気さくに話していて、現場の空気を和らげる穏やかな人だと感じた」と振り返る。
朝野堂の5軒隣は、連続テレビ小説「あまちゃん」の脚本を手掛けた宮藤官九郎さんの実家の文具店。
佐藤さんの祖母享子さん(81)は、同店で色紙を購入して清原さんのサインをもらったという。
今回の撮影で、若柳地区の商店街はNHK連続テレビ小説ゆかりの店が通りに並ぶ珍しいスポットになった。
享子さんは「おかえりモネが登米と気仙沼だけでなく、栗原はじめ宮城全体のPRになればうれしい」と期待する。

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自転車で若柳まで来るのすごーいと思っていたが
ドラマの設定上は登米市内らしい。
寺池園から風車まで自転車で通っているのもすごいけど
あれも設定上はもっと近いということになっているそうだ。

新幹線のくりこま高原駅が平成2年にできる前は
東北本線の石越駅を利用していて、石越へ行く際には若柳の町の中をバスや車で通っていた。
文具センタークドウやこの本屋の前も通っていたが、
あの辺にある「けづりこや」というスーパーがとても気になっていた。
調べてみると今もあるようだ。


日記(6/4)

台風のように風も雨も強かった。
久しぶりに長靴が役に立った。

モネは震災。
昨日の放送分で14:46に時計が変わるところで終わり
今日は地震当日の夜から始まり、揺れそのものや津波映像はとばした。
気仙沼市のエキストラの方々も参加していたし、
あまりリアルに描かれても重たいので、これで良い。
でも茫々と続いていた瓦礫の感じはあまり出ていなかったかもしれない。

T学園(ドラマ内では青葉学園)の外観や北目町通のトンネルなど
知っている場所が出てきた。(昨日放送分)
私立高校の合格発表の時期とか、平日の昼間から生演奏するジャズ喫茶ってあったかなあ?とか
いろいろおかしな点はあるけど震災の時に島にいなかったという設定を作り出すためなので仕方がない。

あの日、仙台から気仙沼まで帰るのも大変だったろうなあと昨日は思ったが
今日の分を見ると仙台へは車で行ったということがわかった。

車があるのなら、モネ父が登米を訪ねた時も車で行けばよかったのに。
仙台よりずっと近いのだから。
あれも知人に車で拾わせるための設定か。

2011回想分で、誰も爺ちゃんの心配をしていなかった。言及さえしていなかった。
2011年時点ではまだ遠洋漁業中なのだろうか?
牡蠣の養殖を始めたのは震災以降?
あの2日前の9日の昼頃にも大きな地震がきて、小さい津波も来た。
翌日10日の夕方のローカルニュースで、志津川湾で牡蠣の綱が絡んだのを直しているという
ニュースをやっていたのを覚えている。
すべて直すのに一週間くらいかかると言っていた。
だから(ドラマ内での)爺ちゃんの心配をひそかにしていたのだが
まるで存在していないかのような扱い。
(2014年に生きているのだから死にはしないだろうけど)
遠洋漁業中で日本周辺にはいなかったということならば説明がつくがどうだろう?

モネのセリフの中で
お母さんはまだ町にいるけど無事、とも言っていた。
この町とは気仙沼市街地ということだろうか?
前は学校の先生をしていたという説明があったから
2011年はまだ先生をしていて現場から離れられなかったということか。
(じゃあ民宿はおばあちゃんひとりでやっていたのか?)
モネ父とモネは仙台から気仙沼までは戻ってきたけど数日足止め。
母も仕事か足止めで帰って来られない。
爺ちゃん、長期不在?
ちょっと耄碌しているよう?に見えたお祖母ちゃんはなかなか逃げようとしないし
モネ妹はどれだけ心細かっただろうと思う。

このドラマ、つまらなくはないけど、面白くもなく
時間も行ったり来たり、思わせぶりなワンカットを挟み込んだり
ちょっとわかりづらいかもしれない。
失敗しているかもしれない。
私はとりあえずしばらくは見る予定。







河北抄(6/4):脚本家で作家の向田邦子の父親は転勤族だった

河北抄(6/4):脚本家で作家の向田邦子の父親は転勤族だった
2021年06月04日 14:07
https://kahoku.news/articles/20210604khn000023.html


脚本家で作家の向田邦子の父親は転勤族だった。一家は1947年から3年近く仙台で暮らした。
学生だった向田は東京に残り、折を見て仙台を訪れた。
当時の彼女は黒を好んで着た。そのいでたちを、妹の向田和子さんはよく覚えている。
「黒のロングスカートの姉は、仙台でひときわ目立ちましたね。
すれ違う人がみな振り返るくらい」。文芸春秋編『向田邦子ふたたび』でそう述懐している。
第1エッセー集『父の詫び状』の表題作は、仙台時代の出来事を題材にしている。
典型的な「昭和の父」だった父親は不器用ながらも娘に愛情を注いだ。
娘は時に反発を覚えながらも、父親への思いがにじむエッセーをつづった。
父親は娘の来訪を内心待ち望んでいたに違いない。彼女はそれを知ってか知らずか、
ロングスカートの裾を翻しながら仙台の街をさっそうと歩いたのだろう。
セピア色の光景の中、ロングスカートの黒だけが鮮やかに浮かび上がる。
向田が不慮の航空機事故で亡くなってから、今年の夏で40年になる。

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父の詫び状のエピソードは
お父さんのお客さんが自宅に来て、お酒でもてなし、酔っぱらった客が玄関でもどして、
翌朝戸溝に詰まった吐瀉物が寒さで凍っていた。
それをお母さんが掃除していた。
帰省中だった向田さんは(お母さんがそんなことをさせられていることに腹が立ち)、
お母さんに代わってその掃除を引き受けた。
玄関が開いたままで寒かった。
お父さんは廊下に立って、掃除が終わるまで見ていた。
その時は黙っていたお父さんだが、向田さんが東京に戻った後手紙が来た。
「このたびは格別のお働き」
それはお父さんからの詫び状だったと(向田さんが)解釈した。
今、手元に本はないけど、そんな話。

他に、仙台に帰省した時の話として
エッセイのタイトルは忘れたが、
妹たちの英語のリーディングが仙台のイントネーションになってしまっていて
驚いたという話を覚えている。
琵琶首丁というところに社宅があったらしい。
広瀬側が蛇行していて琵琶の首のように見える部分で今の花壇のあたりらしい。
地名が不気味だということも書いていたことを記憶している。



日記(6/9)

日中は暑かったらしい(29℃)けど、帰りには涼しいというより冷たい風が吹いていた。
天気予報によると、来週位には梅雨入りするかもしれないらしい。
西日本では今年は異常に梅雨入りが早かったが
東北は平年並みということになる。

またモネ話を書くが
やはり震災時にお爺ちゃんがどこにいたのか謎。
月曜日のセリフだと「若い頃はマグロ漁船に乗っていた」
でも2011年の回想には安否を含めて登場しない。
このドラマは、謎が後で解決することが多いが
さらに謎が深まるような思わせぶりなシーンも多く
そういうところで視聴を続けようとさせる意図があるのかもしれないが
いらいらして見切る人も多いと思う。
どうでもいいと思う人が大多数だとは思う。

モネがお土産に買って行ったお弁当箱はひとつ2500円。箸箱は1500円。
お弁当箱はリアルもくもくショップでは放送後、在庫分はすぐに売り切れたらしい。
あれもさりげなく登米市のアピールをしている。
四角いタイプではなく、楕円形のものもある。(宣伝の意図はないが)

昨日、薪を見て何の木かモネが言い当てていて
「山に住んでいたら当然だよ」って言ってたけど
山育ちだけど、知らない。
木が生えている状態ならば杉か椚かは当然わかるけど
薪の状態では私は何の木かよくわからない。

今日ははっと汁を作っていた。
ドラマ内の日付は今日は8/15。
空気を変えようとモネが提案して急遽作る流れになっていたが
うちでは8/15ははっと汁と決まっている。(地域的なものではなく、うちだけの決まり)
本当は小麦粉を水でこねてから数時間は濡れ布巾で包んで寝かせないと伸びない。
うすく伸ばして指でひっぱってこそはっとなので
あんなふうにわっぱが(急いで適当に)作ってはうまくいかない。
セリフでも「白玉みたいになった(ころころになったという意味か?)」と言っていたので
そういうことも織り込み済なのかもしれない。
ただ、登米で林間学校の時に大島蓉子さんたちが作っていたときも伸ばし方が足りなかった。
はっと監修がついているようなので、別におかしくはないのかもしれない。
(登米と栗原は違う?家によって違う?)

あいづちで「んだねえ」というのをようやく聞くことができた。(浅野さん演じるすさんだ元漁師)
んだねえってある世代以上は男女問わず、わりと普通に使うと思うけど
木婆婆は使っていなかった。「そうねえ」と言っていた。
外では使わず、家では使うという私のような人も多いとは思うが
木婆婆は変なところに濁点をつけたり、絶対に違うおかしなイントネーションの割には
緊急事態でもプライベートなところでも、あいづちは標準語を通している。
まあ、でもそういう人もいるだろうとは思う。
無理に方言を使わず、普段はすべて標準語を通して、モネとふたりきりのときに、
ついうっかり「んだね」って言ってしまったという感じのほうがリアルだったと思う。

追記
はっと監修の人を名前で検索して調べたら
東京在住の人でお母さんが登米出身ということだった。
食関連の仕事をしているらしい。
登米には20回くらい行ったことがあるとのこと。
それだと本場とは言えないかな?
伸ばし方が足りないという指摘は私だけではないということも分かった。
みにょーんと手で引き延ばした本物?の「はっと」をこの人にも知ってもらいたい。

木婆婆が「んでね!」(さようならとかまたねの意)と言っているのも一箇所発見した。
森林組合でよその人に対してのシーン。





新・引越 その11

一人暮らしをしてきて、今まで住んできたところは独立した玄関はなかった。
いつも玄関ドアを開けると台所という間取りだった。
単身者用のアパートだと大抵はそんな感じ。
独立した玄関がほしいというこだわりもたいしてない。

今回はマンションで玄関は、一応独立している。
玄関を開けると片側は作り付けの下駄箱、もう一方も作り付けの大きな収納戸棚になっている。
そして少し両脇が壁になっていてそこを通り抜けると台所。
通路と台所の境目には大きなのれんをつっている。
玄関の上部もあかり取りの窓はなく、壁なので玄関が暗い。
センサーライトをつけてはいるが、自然光が入ったほうが気分が良い。
上が素通し窓で丸見えなのも嫌だが、暗いのもそれほど良くはなく、
なかなか丁度良くはならないものだ。
ただ、外からは在宅か不在か夜でも気配を全く感じられないので
その点では気に入っている。
外の気配もほとんど分からない。
以前は宅配の人などの来訪者は階段を駆け上ってくる音が聞こえることがあったが
ここは全く聞こえないので、突然インターホンが押されると
心の準備ができていなくてびっくりすることもある。




日記(6/19)

梅雨入り。
平年より7日、去年より8日遅いらしい。
宮城県は今日から聖火リレー。
仙台市は21日の予定だったが中心部の公道部分は中止。
ようやく県内の日々のコロナ感染数が落ち着いてきたところなのでこれでよかった。
それでもニュースを見ると、気仙沼の道路沿いには結構人が集まっていた。
今後が少し心配だ。
朝ドラに便乗して観光客に来てもらいたいという動きもあるので、どうなることか。

朝ドラは見てはいるけど、やっぱりそんなに面白くはない、かな。
机は実話だが、実際には計画から完成までに2年はかかっている。
さっき土曜スタジオパークを登米からやっていてちらっと見たが
はっとを地元の人が、きちんと生地を寝かせて作っていた。
ドラマのはっと監修も東京人(登米ハーフ)じゃなくて、地元の人にすればよかったのに。
それと夏木さん、単語の方言はイントネーションを含めてきちんとできていた。
セリフになるとおかしくなるのはやはり仕方がないのだろう、ということは分かった。
ちょっと濁点と↑↓を強調しすぎだ。
観客は完璧と言っていたが、真に受けてはいけない。
すべてにおいて、あの辺の人(登米だけでなく栗原も)の
誉め言葉や「たいしたことない」や「大丈夫」を本気にしてはいけない。

今週の何曜日だったか、モネが生まれた日を台風が来た日に設定したのはよいが
その日は満月ではないのでは?というのをどこかで読んだ。
1995年9月17日ということで、確かに台風は来ていたが、旧暦8月23日なので満月ではない。
「二週間早く産気づいたのは満月だったからだと思います」というモネのセリフが余計だった。
漁業の人は月齢カレンダーを今も活用している場合が多いから
月が見えない天候でも、満月かそうでないかを間違えることはない、
台風の特異日に生まれたという設定が必要だったらしいので、
9月17日という日付は動かせなかったのだろう。
満月というセリフさえなければOKだったのに。
二週間早く産気づいた(だからあらかじめ本土に渡っていなくて、無理して船をだしてもらった)、
それだけで良かったのに、満月だからなんて余計だったね。
台風と満月という材料で誕生日を当てるという筋書きを作りたかったのだろうけど
生まれ年、生まれ月はどうやらあらかじめ知っている設定のようだから台風だけで良かったのだ。
それから2014年のお盆の週(第二週)は8/10が日曜、
モネ帰省前日の8/12(火曜)に菅波が居た。
医師は一週間交代という設定。
モネは8/13水曜から8/17日曜まで帰省したことは、盆行事(迎え火、送り盆)で明確にわかる。
8/17に登米に帰った時、交代の医師がいて、東京に帰るところだった。
第二週の途中で交代があったことになる。
菅波だけをみればお盆休みだったのかな?と考えられる。
もう一人は菅波よりも明らかに目上だが、8/13以降の半端な何日かを菅波の代わりに勤務したことになる。
そもそも週替わり医師は人手に余裕がある東京の方のシフトの時に交代で休みをとりそうなものだ。
脚本上の都合なのだろうが菅波だけ優遇されている。
あと、BRTの出発地柳津まで、行きは木婆婆に送ってもらっていて(あの距離だから)納得したが
帰りは真夏に生ガキをもってちんたら北上川沿いを歩いてた。
どちらも車か、どちらも歩きならば架空の町として納得なのだが一貫性がない。
フィクションに細かいことを気にしてはいけないのだろうけど、ものすごくいずい。






国内最古 伝統守る 栗原・千葉家 正藍冷染

河北新報オンライン
<アングル宮城>国内最古 伝統守る 栗原・千葉家 正藍冷染
2021年06月21日 10:20
https://kahoku.news/articles/20210621khn000008.html
 
 国内最古の草木染技法で火を使わない発酵が特徴の「正藍冷染(しょうあいひやぞめ)」。
その伝統が受け継がれている栗原市栗駒文字の千葉家は、
長年藍を使った鮮やかな染め物を生み出している。
 千葉家では藍を育てるところから、一つ一つの工程を自分たちで行う技術を100年以上受け継いてきた。
4代目となる千葉正一さん(71)が会社勤めを終え藍染めに関わるようになって6年目を迎えた。
藍の成長に関わる天候や、藍に加える灰の原料となる木の違いで出来が大きく左右される。
「前も力仕事だけは手伝っていたけど、本格的な作業はまだ慣れないね。
生き物を扱うのは難しいよ」と千葉さん。今年の藍は例年になくいい状態でよく染まったという。
 4月上旬に畑にまかれた藍は、6月に植え替えを終えた。
千葉さんは既に来年の藍の出来を気に掛けている。

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私が小学生のころは、初代の千葉あやのさん(人間国宝)がご健在だった。
地域のことを学ぶ学校の授業でも習ったし、何度かテレビにも出ていた。
あやのさんからよしのさん、まつ江さんと続き、正一さんで四代目。
大変な手作業で、お値段もかなりするが、色合いや風合いは素晴らしい。

河北抄(6/22):43年前の宮城県沖地震では、宮城刑務所

河北抄(6/22):43年前の宮城県沖地震では、宮城刑務所(…
2021年06月22日 13:50
https://kahoku.news/articles/20210622khn000023.html

43年前の宮城県沖地震では、宮城刑務所(仙台市若林区)外周にあった
高さ4メートルの赤れんが塀が被災した。約6割に当たる610メートルが倒壊または損壊した。
このとき、収容していた受刑者らは約900人。
地震が発生した夕刻は食事中で食器が飛び散った。鉄格子が音を立ててきしみ、悲鳴が上がった。
雑居房では被害に関するデマも飛び交い、家族を心配して泣きだす人もいたという。
仙台市発行の体験記集に刑務官が記している。
「一瞬脳裏をかすめたのは、大量の逃走者が出るのではないかということであった」。
計200人が倒壊した箇所に立ち、徹夜で警戒に当たった。
消灯の午後9時には動揺は収まり、トラブルはゼロ。
むしろ地震後は、房内でのけんかなど規則違反が減ったという。
受刑者の中には「帝銀事件」で強盗殺人罪が確定した故平沢貞通元死刑囚がいた。
絵や詩を創作しながら無実を訴えた。
激しい揺れに驚いた様子だったが、刑務官に「大丈夫」と語ったとの記事が残る。
都内の刑務所で亡くなる9年前。大地震にまつわる興味深い逸話である。

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外からの情報源がない、刑務所内でもデマが飛ぶとは興味深い。
逃走者が出るのではと刑務官が一瞬思ったとのことだが
10年前の東日本大震災の時には受刑者が脱走したというデマも一部であった。
震災時は若林区に住んでいて、刑務所も割合近かったので結構怯えた。
同僚は八木山に住んでいて、動物園から動物が脱走したというデマに怯えたらしい。
宮城刑務所はブラタモリでも取り上げられていたことがあるが若林城のあった場所。



日記(6/26)

久しぶりの友人と会った。
たぶん、この前に会ったのは前回の引越の直後位なので7年ぶりくらいかもしれない。
年賀状やメールのやりとりだけはしていたが、ふたりともめんどくさがり屋なので
計画を立てて会うということはしていなかった。
仙台独自の緊急事態宣言があけたあたりに、ごはんでも?のメールがきてようやく実現。
でも、ご飯を食べながらのおしゃべりというのは、今はまだ控えなくてはならないので
ご飯は横並びでさっさと食べ、混んでいないところを選んで歩きながらお互いの近況等を話した。
友人は仕事柄、毎月PCR検査必須らしい。

今週のモネ
医師が登米から東京へ戻るときに
「新幹線に遅れるよ」というモネのセリフ
これはくりこま高原から乗ったのだろう(風車から車で15分ほど)
別の時には「高速バスがどうのこうの」という医師本人のセリフ
あれは登米市役所前から仙台行きの高速バスということだと思う。
(患者のジャズ喫茶に寄ることを正当化するための設定)
そして仙台から新幹線に乗る、ということか。
仙台の次は大宮まで停まらないような速いものに乗るのだろう。
くりこま高原駅に停車する新幹線は一時間に1本程度(朝や夕方は除く)だが
仙台はずっと本数も多い。
あの医師のように一週間毎に同じ区間を往復するときはダブル切符が便利。
有効期間は一か月間。
その時々(の脚本の都合)でくりこま高原から乗車したり、仙台から乗車したり、
下りの時は東京から(おそらく)一関まで乗って一関から気仙沼まで行って
サメのぬいぐるみを買ってBRTで登米まで戻るようなあの医師はダブル切符なんぞは使ってないんだろね。
モネも仙台に試験を受けに行くときに高速バスのチケットが映っていた。
森林組合複合施設も木婆婆の家も登米市役所から近いという設定なのだろう。
バスだと仙台まで1時間半くらいで新幹線の3倍以上の時間がかかるが
登米の中心部から仙台に行くには新幹線よりバスのほうが便利だと思う。

カフェだからあのような照明なのだろうけど
勉強するときに間接照明では疲れるだろうなと思う。

引っ張った割にはさほどたいしたことはない馴れ初めだった。
じいさんには伝わったか、これから伝わるのかわからないが
続きが気になるじいさんも拍子抜けすると思う。
だが、頑張って20代を演じたおふたりは凄い。

お正月のシーン、お雑煮がちょっと違う気がするけど、気仙沼のお雑煮はああなのかもしれない。
神棚周りや切り紙等は登米よりも気仙沼の方が実家方面に似ていると思った。




新・引越 その12

引越の段ボール
前回の引越では、引越屋さんからもらった段ボールの他に自分でも用意した。
半々位の割合。
今回(昨年)の引越は、引越を決めてから引越日までそれほど時間がなく、
自分では用意できなかった。用意する気力もなかった。
引越屋さんから料金に含まれている上限分以上に貰えたし、
一部の荷造りお任せ分はそれとは別に段ボールが用意されていた。
パンダの絵柄はちっともかわいくはなかったが、丈夫でよい箱だったし
保護するための薄い紙やガムテープも上質ものだった。

引越後の段ボール回収は前回は無料なのでお願いした。
今回は有料だった。
3000円だったと思う。
お願いせずに、市の無料の紙回収に出した。
一度に出すこともできただろうけど、小分けにして出した。
紙回収は月に二回なので、全部出すのに二か月位かかった。
今住んでいるところは、マンション脇の外に全住居分、小さな物置があり、
一度そこに全部押し込んで紙回収の朝にそこから出して、回収する場所まで運んだ。
まとめて下に運ぶときだけは大変だったが、物置と回収場所は近いので良かった。



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