北海道でオーロラ観測 夜空を赤く染める

北海道でオーロラ観測 夜空を赤く染める
2023/12/2 11:24
https://www.sankei.com/article/20231202-5JWV47AOCVNGJDMY2NCMSPD5OM/

北海道各地で1日夜、オーロラが観測された。地元の天文台が撮影に成功したほか、
交流サイト(SNS)に愛好家らが次々と写真を投稿した。
東京都在住の星空写真家KAGAYA=本名・加賀谷穣=さん(55)は、
天気と磁気嵐の予報から、観測できる可能性が高いとみて1日に北海道入り。
オホーツク海側の美幌峠で午後8時半ごろ、空が赤く染まる様子を撮影した。
その後も午後10時半ごろまで断続的に観測できたという。
加賀谷さんは米アラスカなど海外では何度も見たことがあったが日本では初めてだったといい
「ぜひ日本のオーロラも見てみたいと狙っていた。夢中でシャッターを切りました」と感激した様子だった。

北海道美幌町で観測されたオーロラ=1日午後8時半ごろ(KAGAYAさん撮影)
https://www.sankei.com/article/20231202-5JWV47AOCVNGJDMY2NCMSPD5OM/photo/6EDJF52A3ZN65PFPJ4XIWBZ4WI/
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万葉衣装で市議会

宮城 NEWS WEB
万葉衣装で市議会 多賀城創建1300年をアピール
12月07日 14時44分
https://www3.nhk.or.jp/tohoku-news/20231207/6000025995.html

多賀城市で完成したばかりの新庁舎の議場で定例議会が始まり、
多賀城創建1300年をアピールしようと、出席者全員が古代の衣装をまとって議会にのぞみました。
多賀城市は老朽化に伴って現在の庁舎の北隣に地上5階建ての新庁舎を新たに整備し、
先月から使用を始めていて、7日は新しい議場で12月定例市議会が始まりました。
議会初日の7日は、多賀城に国府が置かれて来年で1300年になるのをアピールしようと、
出席者全員がえぼしや羽織など奈良・平安時代をイメージした万葉衣装をまとって
議会に臨みました。
はじめに深谷晃祐市長が「東北の政治を発展させた先人たちと同じ衣装を着て
身が引き締まり決意を新たにした。新しい議場で活発な議論をしていきたい」とあいさつしました。
続いて、記念のセレモニーとして平安初期の横笛を再現した
「古代笛」による演奏や祝いの舞が披露されました。
このあと、通常の議会が行われ、議員たちは市長から補正予算案などの説明を受けていました。
衣装を身につけた職員たちは「タイムスリップしたようだ」とか
「身が引き締まる思いだ」などと話していました。
深谷市長は「想像していた以上に厳かな雰囲気になった。
多賀城創建から1300年の歴史を広くアピールできるよう取り組んでいきたい」と話していました。

【出席者が着た衣装は・・・】
今回、議会の出席者が身につけていたのは、
毎年10月に開かれる「史都多賀城万葉まつり」の衣装行列に使われている衣装です。
奈良から平安にかけて国府が置かれた多賀城市では、
当時の繁栄をしのび、祭りのイベントであでやかな万葉衣装に身を包んだ当時の貴族や
歌人にふんした地元の人たちが市内を練り歩きます。
衣装は、まつりの実行委員会の衣装担当のメンバーが作っていて行列の参加者が年々、
増えたことからいまでは500着ほどにのぼっているということです。
「史都多賀城万葉まつり実行委員会」の加藤則博委員長は
「衣装の生地のなかには市民から寄付されたものもあります。
まつりや衣装を通じて奈良時代から続く多賀城の歴史に思いをはせてほしい」と話していました。

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面白いとは思ったけど、こんなことがアピールになるだろうか。
議会内で出席者だけしか見ていないのに。
まあ、取材が入ったからニュースで多くの人が見ることにはなったけど。
多賀城創建当時、本当にここまでカラフルだっただろうか、とは思った。
今度調べてみる。


くりでん

テレビ東京で8月に放送された
「ローカル鉄道 完全制覇の旅!廃線を行けるトコまで行ってみた2」 ―くりでん編が
この前の日曜日にようやくこちらでも放送された。(ミヤギテレビ)
くりでんの沿線に住んでいたわけではく、さほど思い入れはないけど
関東地方に住んでいる親族が、面白かったよと言っていたので見てみた。

廃線後、あちこち線路が途切れているのは知っていた。
ちょっとした農道でも途切れていて、レールバイクを運ぶのは大変そうだった。
くりでんに乗ったことは数えるほどしかなく、
端から端まで乗ったことももちろんなく
石越-栗駒間や若柳-田町間など数回。
地元の人でも日常的に利用した人しか駅名すべては把握していないと思う。
でも、か○め○こやの後妻さんにあと三駅と騙されたのは気の毒だった。
(風の沢時代とは別の奥様なので交代したのだろう)

出演者は何駅あるかは知らなくても、
全長何キロで、丸二日撮影があることだけはわかっていただろう。
撮影隊や後方の別のレールバイクに控えていたスタッフ、
レールバイク手配者等は、何駅あるのかあとどれくらいか当然知っていただろうし
出演者も栗駒中心部で一泊することも最初から決まっていたのだろうし、
か○め○こやに行くこともあらかじめ決まっていたのだろう。
移住者が開いたあの店は、ちょくちょく取材に応じているので。

鴬沢や細倉は車でしか行ったことがなく、駅名の変遷や終点が少し移動したことなど全く知らなかった。
でもレールバイクからの田んぼの中の景色や
用水路の上のレールなど、実際には見たことはないはずなのに
夢に出て来たような記憶がある。

一日目の行程で栗駒山がとてもきれいに見える地点があるのだが
天気が悪かったから見えなかったのだろう。
二日目は天気が良さそうで、二日目にもよく見える地点があったのだが
一切スルーだった。(もしかしたら見えなかったのかな)

あの三人を全く知らないし、トークも面白いわけでもない。
でもうるささはないので不快でもなかった。
たびたび駅名を間違って読んでいるのは気になったが
その後で正しい読みのナレーションが入っていたので良かった。
難しい読み方のものもあるにはあったけど、
そのまま読んでいいものまでひねって間違った読みになったのはどうしてなんだろう。
景色は懐かしく、今まで知らなかったことを知ることもできたし、見てよかった。




日記(12/16)

昨日より気温は高いらしいけど、しけ寒い。
窓掃除をした。
他にもレンジフードの掃除、フィルター交換
ベランダや玄関回りの高い所の埃をはらった。
寒いとはいうものの、まだ凌げる寒さだ。

大掃除は捗っているが年賀状はまだ途中。
だいぶ数は減らしているけど、そろそろやめようかなとも思っている。
目上の方はどんどんお亡くなりになってきているので、ご存命のうちは出し続けるつもり。
メールでもやりとりできる相手はもうメールでの挨拶に移行しつつある。
年賀状「だけ」のやりとりしかしていない、一部の同級生とか、元同僚とかは
そろそろやめようかなと毎年思いながらまだやめてはいない。

前に、縁を切りたかった大学時代の同じ学生アパートだった(階が同じだっただけ)別の科の人に対して
黙って年賀状を出すのをやめたら、実家に手紙、共通の別の友達に私の住所を聞きまわる等々
しつこくて、ものすごくめんどくさかったことがあった。

今くらいの年齢になって黙ってやめると死んだと思われるかな?(思われてもいいけど)
何かの区切りか節目の年に一言書き添えて、やめようかと考え中。


日記(12/18)

朝、うっすらと雪が積もっていた。
寒い一日だった。

髪を切りに行ってきた。
ショートにしてから特に毛量の多さと伸びるスピードの速さが気になる。
前回から一か月も経っていないのだけど
鬱陶しくなってきたし、年末年始を挟むと間が空きすぎるのでシフト休みの今日にした。
何度か通っているけど、久しぶりの美容院。
美容師さんは初めての人。
ものすごく手際がよく、カットもうまく、希望をうまく聞き出し、その通りにしてくれて
アドバイスも的確だった。
仕上がりはすっきりコンパクトにまとまった。
似合っているかどうかはともかく、楽なのがいちばんいい(←おばさん化)

帰ってきてから店のHPで調べてみたら、担当してくれたのは店長さんだった。
予約時に指名すれば高い人だった。
いつも美容師さんの指名はしないけど今日は当たりだった。





日記(12/23)

上皇陛下は90歳(卒寿)のお誕生日。
心よりお祝い申し上げます。
悠仁親王殿下ご成年の加冠の儀はもちろんのこと、
皇嗣殿下のご即位と悠仁親王殿下の立太子の礼も見届けていただきたい。

今日も寒い一日だった。
風に交じって小雪がちらついていた。
いろいろ掃除。
今年もあと一週間強。
出勤しての仕事もひとまず終了し、また在宅勤務(及び副業優先)に戻る。
出勤ではない日でも7時前には起きていたが、
出勤する日はそれよりも1時間早く起きていた。
夏はなんともないが、冬は夜明けが遅いし寒いので辛かった。

大河はこの前の日曜日に終了。
今年はあまり面白くはなく、見ない回もあったし、つけていてもながら見だったりした。
戦国大河の中ではワースト3に入る。(大河全体ではなく、戦国時代に限った場合)
戦国大河ワースト1位は江、2位は天地人だったがそれは抜いて、どうするが2位、
天地人は3位となった。去年の時点で3位だった直虎はワースト3から抜け出した。
直虎は大河としてはいまひとつでも伝承物語としては成立していた。
今から思えばそう悪くはなかった。龍雲丸だけはいらなかったが。
最終回の出来では今作が最も酷かった…気がする。
15分延長した意味なし。
でも、途中のどうしようもなくつまらない回に比べれば、突っ込みどころはあった。
燃え盛る城で長話、さっさと介錯してやれ秀頼苦しそうだぞ、茶々の最後の演説いらない、
しょうもない鯉のドッキリ、絶対出ると思っていたよ瀬名。(とにかく瀬名の無駄シーンが多いドラマだった)
鎌倉殿の最終回に家康が出ていたが、それの逆バージョンで小栗旬が天海役で登場。
源氏物語-吾妻鏡と書物を見せて、去年、今年、来年とつなげたつもりだろうけど
そういう演出もドラマが面白ければ上手いと思うのだろうけど、わざとらしいとしか思えない。
家康に関係なく、独立した一話としての話としては面白い回もあった。
鳥居強右衛門の回が好きかもしれない。
評判はよくないけど阿月ちゃんの回も一話完結で悪くはなかった。
結論を言えば徳川家康を描いたドラマとしては物足りなかった。
主演が特に下手だとも思わない。脚本がいろいろおかしい。
千姫を演じた人が褒められているようだが、うまくはなかった。
若い女性では五徳や亀姫のほうがうまかった。
(大河全体での私にとってのワーストは幕末~明治を描いた花燃ゆ)


朝ドラ
今作は面白いとこの前書いたけど、先週位からつまらなくなってきた。
相手役が出てきてドラマの面白さが薄れたのはスカーレットと同じ。
ただ、スカーレットの相手役はじっとり感が全く受け付けなかったけど
今回の人(いつの間にか名前が変わっていた)はさほど不快ではない。
あの人、また(青天を衝けに続き)悲惨な死を遂げるのか。
初回の東京ブキウギの時期にはシングルマザーだったから消えるのは確実だろう。
ドラマのピークは第六週だったか。
大好きなおでん屋さんも退場してしまった。残念。


レックリングハウゼン病(神経線維腫症1型) の子の母として

朝日新聞デジタル
2023年12月25日
レックリングハウゼン病(神経線維腫症1型)の子の母として
「4万人の患者とともに皆が生きやすい社会を目指したい」
https://www.asahi.com/ads/tu/15052544?cid=pre1

幼少時に全身に現れる「カフェ・オ・レ斑」と呼ばれる濃い褐色のしみ・あざが特徴的なレックリングハウゼン病(神経線維腫症1型、NF1)。日本での患者数は推定4万人とされ、遺伝性と子どものNF1遺伝子が偶然変化して発症する孤発性があります。末娘の紬乃(ゆの)さんがレックリングハウゼン病と診断され、患者・家族会である「To smile」の代表を務める大河原和泉さんに、レックリングハウゼン病を持つお子さんとともに暮らす日々を聞きました。

「神経線維腫症1型で間違いないですね」

2017年4月15日、6児の母である大河原和泉さんは病院の診察室でそう告げられました。診断を受けたのは、大河原さんの末っ子、生後3カ月ほどの紬乃さんです。大河原さんは初めて聞いた病名に「え? どんな病気なんですか?」と耳をそばだてました。医師からは「ゆっくり見ていくしかない病気です」と告げられ、「インターネットでは絶対に検索しないように」という忠告を繰り返し受けたことをよく覚えています。

現在はこの「神経線維腫症1型」に関する患者・家族会である「To smile」の代表を務める大河原さんは、続けて診断に至るまでのことを振り返ります。

「生後すぐに眉間に白斑があったのは気づいたんです。それほど気にしていなかったのですが、生まれて2カ月くらいたって、5ミリから2センチくらいの茶色い母斑が体全体で増えていったんです。それでも、『メラニン色素が豊富な子なんだろう』程度にしか思っていませんでした。3カ月健診でも『健康です』と言われたのですが、近所のかかりつけの病院に次女のニキビの薬をもらいに行ったとき、紬乃の母斑に気づいた先生が病気を疑って、大学病院の先生に紹介状を書いてくださったんです」

大河原さんが「どんな病気なんですか?」と聞き返した「神経線維腫症1型」は、1882年に初めて症例を報告したドイツの病理学者フリードリッヒ・ダニエル・フォン・レックリングハウゼン氏の名にちなみ、「レックリングハウゼン病」とも呼ばれています。

この病気について、名古屋大学医学部附属病院のリハビリテーション科で科長を務め、日本レックリングハウゼン病学会の理事長としても活動する西田佳弘教授は次のように説明します。

「神経線維腫症1型は遺伝子の変化を両親のどちらかから受け継ぐ家族性と、子どもの遺伝子が偶然変化する孤発性の二つがあります。代表的な症候の一つは、生後から皮膚にあらわれている茶色のしみやあざで、これらはその色から『カフェ・オ・レ斑』と呼ばれています。また、十代以降に多く見られるのが皮膚神経線維腫で、主に顔や四肢にイボのように見える腫瘍ができます。NF1という遺伝子の変化によって起こる病気で、疾患自体をNF1と短縮して呼ぶこともあります。日本では出生約3000人に1人の割合で生じ、およそ4万人の患者がいると推定されています」
ネットにあふれる誤情報と悪意にショックを受ける
医師から「インターネットでは検索しないように」とくぎを刺された大河原さんでしたが、診察室を出てすぐスマートフォンで「神経線維腫症1型」という疾患のことを調べ、言葉を失いました。当時を振り返り大河原さんが話します。

「ネガティブな情報ばっかりだったんですよ。そのときは、正しい知識もあまりなく、ショックを受けました。ネットの中には、『私はレックリングハウゼン病なんですが、子どもを妊娠しました。同じような経験をした方はいらっしゃいますか?』という質問に対して、『不憫な子を産むなんて無責任だ』といった心ない言葉もあって、この子はこれから、こんな偏見とも闘わなければならないのかと暗い気持ちになったことは忘れられません」

ただ、大河原さんは落ち込んだのは少しの間だけで、「本当に悩むのは私ではなくこの子なんだから、私は一番悩んではいけない人間だ」とすぐに前を向いたと言います。「こういう疾患だと私が悩み、落ち込みながら育てたら、この子はたぶん自分が生まれてきたことすら後悔してしまうんじゃないかと思ったんです。だったら、まず私が思いっきり子育てを楽しもうと」。翌日からは自身のブログを通じ、かわいい服を着た紬乃さんの写真や毎日の様子を発信し、「逆にやる気すらみなぎっている」と感じていたと言います。「やる気」のなかには、この病気に関する誤った情報発信や社会が持つ認識を変えたいという気持ちがあったそうです。

覚えておきたい神経線維腫症1型の症状
西田教授によれば、臨床的な診断基準は以下の7つで、2項目以上が当てはまる場合は神経線維腫症1型と診断されるとのこと。「皮膚科や小児科の先生であれば見逃すことは少ないでしょう。臨床的な様々な症候が出ますが、年齢ごとにあらわれやすい症状が異なるので、何歳ごろにどんな症候が出るのかを知っておくと、早めに対処できる可能性が高いと思います」と話します。

6個以上のカフェ・オ・レ斑
2個以上の神経線維腫(皮膚の神経線維腫や神経の神経線維腫など)またはびまん性神経線維腫
腋窩(えきか)あるいは鼠径部(そけいぶ)の雀卵斑様色素斑
視神経膠腫
2個以上の虹彩小結節
特徴的な骨病変の存在(脊柱・胸郭の変形、四肢骨の変形、頭蓋骨・顔面骨の骨欠損)
家系内(第一度近親者)に同症

なお、「雀卵斑様色素斑」はそばかすのような斑点、「視神経膠腫」は視力の低下や眼球が揺れるなどの症状、「虹彩小結節」は瞳の茶色い部分にあらわれる小さな粒のようなものを指します。虹彩小結節が視力に影響を与えることは基本的にありません。

発達障害も症状のひとつ
神経線維腫症1型の症候には学習障害や注意欠陥多動性障害といった発達障害も含まれており、西田教授は「発達障害にも注意が必要です」と指摘します。

「我々医師は、カフェ・オ・レ斑や神経線維腫、または骨が曲がる側弯症に特に注目しますが、神経線維腫症1型に伴う発達障害に気づかない場合があります。カフェ・オ・レ斑があるのに神経線維腫症1型と診断されず、単に発達障害だけだと思っていたのに実は神経線維腫症1型が背景にある場合があります。思春期以降に顔や体にたくさんの皮膚神経線維腫が出てきて驚く患者さんもいらっしゃいます。その際は、皮膚科や小児科を受診してしっかり診断してもらうのがいいでしょう」

「私がブログで情報発信をしてから3カ月くらいで『神経線維腫症1型』や『レックリングハウゼン病』の検索結果は変わりました。私のブログや紬乃の写真が検索上位に来るようになったんです」と大河原さんは明かします。

紬乃さんに関してポジティブな発信を続けると、ほどなく同じ病気の患者やその家族から質問や連絡、励ましの声が届きました。大河原さんはLINEなどのSNSを活用して、医師や仲間たちから正しい情報を得て、ブログを書き続けました。大河原さんのもとに届く悩みはそのころも今もほとんど同じだと言います。

「遺伝性の親御さんは『自分のせいで』と自分を責め、孤発性の親御さんは『健康に産んであげられなかった』と落ち込んでいることが多いです。子どもに病気のことを話せない親御さんも多いですが、『大きくなってから自分の病気を知ったときのほうが子どもにとってつらいこともありますし、親も後悔しますよ』とか『子どもを不憫にするのは親の言動ですよ』と伝えています。いずれにせよ、不安を抱えている親御さんが多くて、そうした社会を変えたいと思っているんです。この病気のことを知らない人の無知や偏見によって大切なわが子の人生が暗くなるなんて悔しいじゃないですか」

正しい認識を持ってもらうために声をあげる
診断を受けたご家族の多くが絶望に近い感覚を一度は抱いてしまいがちなのは、神経線維腫症1型が一生付き合わなければならない病気だからかもしれません。また、根本的な治療方法が確立しておらず、厚生労働省によって「指定難病」と位置づけられています。完治することは難しく、とりわけ顔や首にたくさんのイボや大きなコブができると、学校でのいじめや、結婚や就職活動の壁になり得る「見た目問題」につながってきます。まだまだ「生きにくさ」が伴う病気ですが、西田教授はこう話します。

「神経線維腫症1型の症状は多岐に渡り、腫瘍や骨の弯曲等が出る年齢も人によってさまざまなので、医師の指示に従って定期的に受診、あるいは検診を受けたり、必要に応じた治療を受けることが大切です。神経線維腫症1型の患者さんは、悪性末梢神経鞘腫瘍と呼ばれる肉腫や脳腫瘍、あるいは乳がんなどのがんを含めた腫瘍を発症するリスクが高く、健常の方と比較して寿命が短くなるという報告もありますから、早期発見のためにも定期検診は不可欠です」

大河原さんは自身が立ち上げた「To smile」の存在意義を実感しています。神経線維腫症1型はまだまだ多くの人に知られていません。そうした人々に病気の存在を知らせ、正しい認識を持ってもらうには声を大きくする必要があります。大きく通る声にするには患者とその家族がまとまることが大切で、「To smile」が団結の役割を果たしています。大河原さんの言葉に熱がこもります。

「この世の中で紬乃だけを救うなんて、無理なんです。紬乃ひとりだけを社会から守るより、4万人の患者たちとその家族たちでつながって助け合うほうが現実的だというのが私の考え方です。4万人を巻き込んでお互いに救い合って、広く情報を発信したほうが社会に変化が起こせる可能性が高いと思いませんか? 4万人がまとまれば、今まで肌を露出したくなくて長袖を着ていたのに半袖を着て出られるようになったなど小さな一歩を踏み出せる。『たった一歩で何かが変わるのか』と言う人もいるかもしれませんが、その一歩は二歩目のためにあるんです。患者とその家族が着実に前に進んでいけば、無知や偏見も減っていき、この病気の人たちが誇りを持って夢や思いを実現できる社会や、生きやすい世の中がつくられていくはずです」

人生のチャンスをつかむために前向きに生きてほしい
「根っからポジティブな性格」の大河原さんは、「誰にでもチャンスが来るんです。この病気の患者も例外ではありません」と話します。ただし、神経線維腫症1型を抱えて生まれたことを不幸に感じたり、世の中を恨んだりするネガティブな感情は、すぐ前にあるチャンスを見つけるべき目を曇らせてしまうと感じています。前向きに生き、自分の人生を豊かにしてくれるチャンスをつかむためには、ただただ悲観的になるのではなく、助けてくれる人や味方をしてくれる人とできるだけ多くめぐり合うことが大切だというのが大河原さんの考え方です。さらに、大河原さんは、より広い視野を持っています。

「私が最初に出合った情報や写真のように、まだまだ間違った認識が少なくありません。私たちがめざしているのはこの病気について多くの人に知ってもらうこと。知ってもらうことが第一歩であり、知ってもらうことが受け入れてもらえることにつながるはずです。拒絶されず、普通に接してもらうことが、この病気の人たちが意欲的に夢や思いを叶えられる社会や、生きやすい世の中をつくっていくと信じています」
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