震災・空襲 慰霊
東日本大震災6年 政府主催の追悼式
3月11日 15時42分
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170311/k10010907381000.html
東日本大震災の発生から6年となる11日、秋篠宮ご夫妻が出席されて、政府主催の追悼式が東京で開かれ、
地震の発生時刻に合わせて、安倍総理大臣や遺族の代表ら出席者全員が黙とうをささげ、
震災で亡くなった人たちに哀悼の意を表しました。
政府主催の「東日本大震災六周年追悼式」は11日午後、東京の国立劇場で開かれ、
秋篠宮ご夫妻や安倍総理大臣、それに遺族の代表らが出席し、
地震が発生した午後2時46分に出席者全員が黙とうをささげ、哀悼の意を表しました。
追悼式には、これまで毎年、天皇皇后両陛下が出席されてきましたが、
6周年となるのに合わせて検討が行われた結果、ことしは秋篠宮ご夫妻が出席されることになりました。
この中で安倍総理大臣が、「被災地に足を運ぶたび、震災から6年を経て復興は着実に進展していることを実感します。
インフラの復旧がほぼ終了し、住まいの再建や産業・生業の再生も一歩ずつ進展するとともに、
福島においても順次避難指示の解除が行われるなど、復興は新たな段階に入りつつあることを感じます。
復興の進展に応じた切れ目のない支援に力を注ぎ、さらに復興を加速してまいります」と式辞を述べました。
また秋篠宮さまは「避難生活が長期化する中で、年々高齢化していく被災者の健康や、
放射線量が高いことによって、いまだ帰還の見通しが立っていない地域の人々の気持ちを思うと深く心が痛みます。
困難な状況にある人々誰もが取り残されることなく、平穏な暮らしを取り戻すことができる日が来ることは
私たち皆の願いです」とおことばを述べられました。
この後、追悼式では、岩手、宮城、福島の3県の遺族の代表があいさつしました。
岩手県の遺族代表の千葉陽さんは、「去年、今住む町で、台風による甚大な被害がありました。私にとって、
津波を思い起こす出来事でした。災害からなんとか生き残った者として、精いっぱいに生きることを全うすること、
そして、さまざまなことで起きる『つらさ』を『幸せ』に変えられるように、今の自分が持てる力が役立つのならば、
少しでもできることをしていきたいと思います」と述べました。
宮城県の遺族代表の佐藤昌良さんは、「過酷な経験を後世に色あせることなく語り続けるため、
あの悲しみを忘れません。あのつらさを忘れません。あの無力さを忘れません。あの寒さを忘れません。
両親の無念の思いに応えるため、火葬を済ませてすぐに東京の職を辞し、父の背中を追い、
現在は地域建設業の経営者として復興の最前線に立っております。全国から頂いた善意の力を借りながら、
ふるさとの復興を必ず成し遂げて参ります」と述べました。
福島県の遺族代表の石井芳信さんは、「川内村は、比較的放射線量が低く、一部の地域を残し
1年で戻ることができました。今では全村の避難も解除され復興も着々と進んでおりますが、
若い人たちが子どもの教育問題などから村に戻らないという課題なども多く、以前のような村の姿には
程遠い現況にあります。みんなで力を合わせ復興と再生を進めていくことが私たちの責務であると考えます」と述べました。
この後、追悼式では、各国の代表ら参列者が献花を行い犠牲者を悼みました。
秋篠宮さまのおことば 全文
6年前の3月11日午後2時46分、私たちが今までに経験をしたことがない巨大な地震と
それに伴う津波が、東北地方太平洋沿岸部を中心とした東日本の広範な地域を襲いました。
そして、この地震と津波によって、2万人近い人が命を落とし、
また2500名を超える人の行方がいまだ知られておりません。
ここに、本日、参集したすべての人々と共に、震災によって亡くなった方々とそのご遺族に対し、
深く哀悼の意を表します。この6年間、被災地においては、人々が互いに助け合いながら、
数多くの困難を乗り越え、復旧と復興に向けた努力を続けてきました。
そして、そのことを支援するため、国内外の人々が、それぞれの立場において、
様々な形で力を尽くしてきました。その結果、安全に暮らせる住宅の再建や産業の回復、
学校や医療施設の復旧などいくつもの分野において着実な進展が見られました。
また、原子力発電所の事故によって避難を余儀なくされた地域においても、
帰還のできる地域が少しずつではありますが広がってきております。
今まで尽力されてきた多くの関係者に対し、心からの感謝と敬意を表するとともに、
復興が今後さらに進んでいくことを祈念しております。
しかし、その一方では、被災地、また避難先の地で、困難な生活を強いられている人々が今なお多くいます。
特に、避難生活が長期化する中で、年々高齢化していく被災者の健康や、放射線量が高いことによって、
いまだ帰還の見通しが立っていない地域の人々の気持ちを思うと深く心が痛みます。
困難な状況にある人々誰もが取り残されることなく、平穏な暮らしを取り戻すことができる日が来ることは、
私たち皆の願いです。東日本大震災という、未曽有の災害のもとで、
私たちは日頃からの防災教育と防災訓練、そして過去の災害の記憶と記録の継承が
いかに大切であるかを学びました。この教訓を決して忘れることなく、
私たち一人ひとりが防災の意識を高めるとともに、
そのことを次の世代に引き継ぎ、災害の危険から多くの人々が守られることを強く希望いたします。
様々な難しい課題を抱えつつも、復興に向けてたゆみなく歩みを進めている人々に思いを寄せつつ、
一日も早く安寧な日々が戻ることを心から願い、御霊への追悼の言葉といたします。
昨日は東京大空襲の日。こちらの慰霊祭も秋篠宮両殿下がご出席された。
東京大空襲72年で法要 遺族ら参列、秋篠宮ご夫妻も
伊藤あずさ
2017年3月10日13時17分
http://www.asahi.com/articles/ASK3B3G7FK3BUTIL00H.html
約10万人が亡くなった東京大空襲から72年となった10日、東京都慰霊堂(墨田区)で都慰霊協会主催の法要があった。
秋篠宮ご夫妻や小池百合子都知事、遺族ら約600人が参列し、犠牲者を悼んだ。
僧侶らによる読経の後、小池知事はあいさつで、「東京は戦災と震災(関東大震災)で2度、焦土と化した。
記憶を決して風化させることのないよう、後の世代にしっかりと受け継ぐ」と述べた。
慰霊堂では、朝から追悼に訪れた人たちが列をつくった。墨田区の田中英雄さん(81)は、
家族と疎開せずに都内に残っていた父を空襲で失った。「いかに悲惨な出来事が起こったか、
若い人たちも思い起こす日にしてほしい」。祖父を亡くした江戸川区の平野和子さん(80)は
「逃げる途中、墨田区内で亡くなったと聞いています。おじいちゃんに会いたいな、話したいなと思い、
お参りに来ました」と話した。(伊藤あずさ)
◇
〈東京大空襲〉 1945年3月10日未明、米軍のB29爆撃機約300機が
東京の上空から33万発の焼夷(しょうい)弾を投下した。
下町一帯を激しい炎が襲い、犠牲者は推定10万人。
米軍の絨毯(じゅうたん)爆撃の始まりで、これ以降、名古屋、大阪、神戸などが大規模な空襲を受けた。